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合成手順を自ら導き出すAI

複雑有機化合物合成の設計指針として「逆合成解析」を考案した米国の化学者Elias James Coreyは、この業績などによって1990年にノーベル化学賞を受賞した。 Credit: Pam Berry/The Boston Globe via Getty Images

化学者が人工知能(AI)という新しい実験助手を手に入れた。このほど、ウェストファリア・ヴィルヘルム大学(ドイツ)の有機化学者で、AI研究者でもあるMarwin Seglerらは、医薬品などの小分子有機化合物を合成するのに必要な一連の化学反応の青写真を作る「深層学習」コンピューター・プログラムを開発し、Nature 2018年3月29日号に発表した1。このツールが提案する経路と文献で示された経路を熟練の化学者たちが見分けられるかを二重盲検試験で調べたところ、両者は同等であることが示された。

人間のスキルと直観の代わりにAIを利用するソフトウエアが開発されたのは、今回が最初ではない。しかし、化学者たちはこれを画期的なツールとして歓迎している。創薬プロセスを加速し、有機化学合成を効率化できると期待しているからだ。

マンチェスター大学(英国)で合成予測ツールを設計しているPablo Carbonell(今回の研究には参加していない)は、「私たちは今や、この種のAIが有機化学の専門知識を取り込めることを知ったのです」と言う。彼はこの論文を「画期的な論文」と評価する。

化学者たちはこれまで、他の化学者が報告した化学反応のリストを徹底的に調べ、特定の化合物を合成する反応経路を自分の直観を頼りに1段階ずつ考えていった。この作業は通常後ろ向きに進められる。すなわち、自分が作りたいと思っている分子から考え始めて、入手しやすい試薬の中からどれを選び、どのような化学反応を利用すれば、その分子を合成できるかを解析するのだ。このプロセスは「逆合成」と呼ばれ、計画には何時間、場合によっては何日もかかる。

独習するシステム

今回新しいAIツールを開発したSeglerらは、深層ニューラルネットワークを利用して、これまでに知られている一段階有機化学反応のほとんど全てをAIに学習させた。その数は約1240万にも上る。これにより、任意の一段階として利用可能な化学反応を予想できるようになった。Seglerらのツールは、こうしたニューラルネットワークを繰り返し適用して多段階合成反応を計画し、作りたい分子を、最終的に入手可能な出発試薬に到達するまで分解する。

こうしてプログラムが導き出した合成経路を、Seglerのチームは二重盲検試験によって検証した。経験を積んだ化学者が、AIが導き出した経路と人間が考案した経路を識別できるかどうか調べたのだ。9種類の分子の合成方法を各方法で1つずつ用意し、中国とドイツの研究機関の有機化学者45人に見せ、どちらの経路が好みか尋ねたところ、どちらかが特に好まれるような傾向は見られなかった。

研究者たちは1960年代からコンピューターの力を借りて有機化学合成反応を計画しようとしてきたが、あまりうまくいっていなかった。けれども近年、AIを利用して反応経路候補を知らせるプログラムがいくつか開発されるようになった。Seglerのツールも、その1つとして位置付けられる。

こうしたツールの中で最も有名なのはケマティカ(Chematica)で、これを開発したグリズボウスキー・サイエンティフィック・インベンションズ(Grzybowski Scientific Inventions)社は2017年5月にドイツの製薬会社メルク(Merck)に買収された。なお、買収金額は明かされていない。蔚山科学技術大学校(韓国)の化学者Bartosz Grzybowskiのチームは、ケマティカに有機化学の法則を入力するのに数年を費やした。

試験段階

2018年3月初旬、Grzybowskiらは、自分のアルゴリズムが提案する8つの反応経路を実験室で試してみて、どれもうまくいったと報告した2。彼は、「逆合成の再興を非常にうれしく思っています。いろいろなアプローチが出てくることは大歓迎です」と言う。

一方、Seglerのツールはデータを用いて自力で学習するため、Grzybowskiらのツールとは異なり、人間が法則を入力する必要はない。

製薬会社アストラゼネカのヨーテボリ研究所(スウェーデン)の計算化学者Ola Engkvistは、今回の研究に感銘を受けている。「合成化学反応の成功率を高めることは、創薬プロジェクトのスピードと効率を大幅にアップさせるだけでなく、コスト削減にもつながります」。

Seglerによると、すでにいくつかの製薬会社が今回のAIツールに興味を示しているという。しかし彼は、このツールが有機化学者の仕事を奪うとは考えていない。「このツールは、特定の分子をなるべく短時間で作ったり、Aという化合物からBという化合物を作りたいと考えたりする化学者のための助手なのです。カーナビによって紙の地図の出番はなくなりましたが、車を運転する人間はやはり必要です」と彼は話す。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180602

原文

Need to make a molecule? Ask this AI for instructions
  • Nature (2018-03-28) | DOI: 10.1038/d41586-018-03977-w
  • Holly Else

参考文献

  1. Segler, M. H. S., Preuss, M. & Waller, M. P. Nature 555, 604–610 (2018).
  2. Klucznik, T. et al. Chem 4, 522–532 (2018).