圧力で誘起される化学反応
化学反応の誘起には、ごく一般的な熱から、電気や光、超音波まで、さまざまな種類のエネルギーが用いられている。しかし、「メカノケミストリー」として知られる機械的な力による化学反応の誘起については、これまであまり研究が進んでいなかった。メカノケミストリーの例には、反応物質を混ぜてすりつぶしたり、固体に圧力をかけたりすることによる結合の活性化がある。こうした反応の機構は、最近になってようやく集中的に研究されるようになったが、原子レベルでの理解はまだ不十分だった。今回、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)およびSLAC国立加速器研究所(同メンロパーク)のHao Yanらは、機械的に性質の異なる成分からなる分子の結晶で、圧縮により酸化還元反応が誘起されることを実証し、Nature 2018年2月22日号505ページに報告した1。実験と計算から導き出されたメカノケミストリーの反応機構に関する原子レベルでの手掛かりは、まさに化学者たちが長く待ち望んできた知見である。
メカノケミストリーの歴史は非常に古い2。古代ギリシャの哲学者テオフラストスは、辰砂(硫化水銀)を酢と共に銅製の乳鉢と乳棒ですりつぶすと単体の水銀に変化させられることを報告した。19世紀には、イギリスの化学者・物理学者マイケル・ファラデーが、塩化銀を亜鉛やスズ、鉄、銅などの金属と共に乳鉢で粉砕すると還元反応が起こることを報告しており3、その後アメリカの化学者ケリー・リーが、機械的に誘起した反応と熱的に誘起した反応とでは生成物が異なることを実証して高い評価を得ている4。また、近年の研究では、ポリマー鎖が機械的応力の下で切断されることが観察されており、機械的な力による材料の劣化には常にメカノケミカル反応が関与している可能性がある、と予想されている5。
メカノケミストリーは長年、化学物質の工業生産では実現可能な製造方法とは見なされていなかった。しかし、状況はこの10年で一変し、メカノケミストリーへの関心は特にこの分野で大いに高まっている。その理由の1つは、メカノケミカル反応では通常、溶媒をほとんどあるいは全く必要としないため、溶媒を使う従来の合成方法よりも廃棄物の量やコストを減らせることにある6。だが、こうして重要性が増しているにもかかわらず、メカノケミストリーの機構は謎に包まれたままだった。そもそも、機械的エネルギーはどのようにして化学反応性へと変換されるのだろう。
Yanらは今回、この興味深い疑問を解決する手掛かりをつかんだ。彼らの研究の根幹にあるのは、機械的な力の影響を分子レベルで検証しやすいように設計された分子構造体である。この分子は、銅(Cu)原子と硫黄(S)原子からなる機械的に「柔らかい」無機コア(メカノフォア)と、炭素系の機械的に「硬い」有機基(リガンド)という、機械的な性質の異なる2つの成分が互いに連結した構造を持つ(図1)。
Yanらが、この分子の結晶に最高で12GPa(ギガパスカル)の圧力をかけたところ、結晶内で化学反応が誘起され、ナノメートルスケールの金属Cu粒子と、S–S結合を有する有機副生成物が生成した。また、透過型電子顕微鏡(TEM)および複数のX線分析法による観察からは、この反応では電子がSからCuへと移動し、CuがCu(I)から金属Cu(0)へと還元されることが分かった。一方、同じ分子を真空下で400℃まで加熱して誘起させた反応では、硫化銅(I)(Cu2S)が生成した。つまり、メカノケミカル反応と熱化学反応とでは、同じ分子において異なる化学結合が切断・形成されたことになる。ここでまた同じ疑問が湧いてくる。メカノケミストリーの反応は原子レベルでどのように進むのか。
Yanらは、密度汎関数理論(DFT)計算を用いて、この結晶に等方的な圧力をかけると分子が「非等方的(異方的)」に圧縮されることを示している。機械的に硬いリガンドは、圧力を受けてもそれ自体は強固なため内部の結合距離はさほど変わらないが、隣接するリガンドとの距離は短くなる。これに伴い、機械的に柔らかなメカノフォア内ではS原子間の距離が短くなり、これを受け入れるためにCu–S間の結合が大きく押し曲げられる。S–Cu–S結合の角度は、常圧では176°だが12GPaでは104°にまで小さくなる。また、こうした結合の押し曲げによってCu–S間の結合距離は著しく伸長し、その結合力は弱くなる。さらには、S–Cu–S結合の角度が小さくなるのに伴い、電子密度がS原子からCu原子へと移動し、結果としてCu(I)が還元される。実験結果と一致するこの一連の計算結果は、金属Cu粒子の形成につながるメカノケミストリーの反応機構をうまく説明している(図2)。
この反応機構はまた、リガンドの相対運動が、メカノフォアの異方的なひずみと反応性を生じさせていることを示している。そこでYanらは次に、結晶中での相対運動が構造的に阻害されるようなリガンドを持つ類似の分子を用いて、リガンドの運動性と分子の反応性との関係を検証した。この類似分子は、同じくCu原子とS原子からなるメカノフォアを持つが、リガンドは先のものと異なり互いに近接していてファンデルワールス結合している。DFT計算からは、結晶内でのリガンド間距離が縮まらないために、メカノフォア内のS原子間の距離やS–Cu–S結合の角度はわずかしか変化せず、Cu–S結合の距離に至っては伸長するのではなくわずかだが縮小することが分かった。結果として、20GPaの超高圧下でもこの類似分子の組成は維持され、Cuの還元反応は起こらない。これらの結果は実験でも裏付けられた。つまり、メカノフォアに機械的な力をかけて反応を誘起するには、硬いリガンドが結晶内で動くことのできる十分なスペースが必要ということになる。
今回の研究はさらにいくつかの点で興味深い。現在さまざまなメカノフォアが知られているが、それらは主に有機系であり、ポリマーの形で研究が進められてきた。例えば、引張によるポリマー鎖の切断では、それが特定のメカノフォア部位で起こるよう制御が可能になっている5。これに対し、今回のYanらのメカノフォアは無機系であり、引張ではなく圧縮、しかも等方的な圧力に応答して酸化還元反応を起こす。加えて、Yanらは、メカノフォアの概念を長いポリマー鎖ではなく小分子結晶に適用することに成功した。こうした圧縮によるメカノケミストリーからは、一般的なナノ粒子作製法が得られる可能性がある。
メカノケミカル反応は極めて多様であるため、今回の研究で提示された機構はその一部の説明に役立つにすぎない。とはいえ、メカノケミカル反応の機構に関する原子レベルの知見は貴重であり、Yanらの研究は間違いなく、商用材料や医薬品の合成に関係する反応を同等のレベルで理解するための今後の取り組みを推進するだろう。また、Yanらが行ったDFT計算に基づく構造解析は特に効果的だ。顕微鏡を用いてメカノケミカル反応を原子分解能で直接観察するには限界があるが、Yanらの手法ではそうした困難を回避することができる。
今回の研究は、確かな情報に基づくメカノケミストリーの理解が、今後の反応予測・設計の改善につながることを示している。そうした研究の積み重ねによって、より合理的な根拠がもたらされ、メカノケミカル反応の応用が促進されて、メカノケミストリーが化学合成法の主流になる日が訪れることだろう。
翻訳:藤野正美
Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2018.180533
原文
Molecules pressured to react- Nature (2018-02-22) | DOI: 10.1038/d41586-018-02047-5
- Stuart L. James
- Stuart L. Jamesはクイーンズ大学ベルファスト校(英国)。
参考文献
- Yan, H. et al. Nature 554, 505–510 (2018).
- Takacs, L. Chem. Soc. Rev. 42, 7649–7659 (2013).
- Faraday, M. Q. J. Sci. Lit. Arts 8, 374–376 (1820).
- Lea, M. C. Am. J. Sci. 43, 527–531 (1892).
- May, P. A. & Moore, J. S. Chem. Soc. Rev. 42, 7497–7506 (2013).
- James, S. L. et al. Chem. Soc. Rev. 41, 413–447 (2012).