News & Views

難聴を防ぐ遺伝子編集技術への頌歌

作曲家のルートウィヒ・ファン・ベートーベンは32歳の頃、聴力が落ちていくのを自覚し、弟に宛てて手紙を書いている。「秋に木々の葉が枯れ落ちるように、私自身の人生も不毛になっていくようだ」。ベートーベンの難聴の原因は分かっていないが、後発性の難聴には、遺伝性のDNAの変化と関連しているものが数多く知られている。ベートーベンが難聴に苦しんだ時代から約2世紀がたった今、遺伝性の難聴を防ぐ技術の臨床応用が、ついに現実味を帯びてきた。バーバード大学およびブロード研究所(共に米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)のXue Gaoらは、遺伝子編集技術を用いた遺伝性難聴マウスモデルの治療についての進展を、Nature 2018年1月11日号の217ページで報告した1。ヒトの治療に遺伝子工学を用いる機運が高まっている中、この方法を臨床で用いるために必要な道筋が明確になった。

音の感知において特に重要な過程は、内耳で起こる2。内耳にある蝸牛管(渦巻管)には、有毛細胞と呼ばれる、表面に繊毛(感覚繊毛)が並んだ細胞がある。この繊毛は、音波の機械的な刺激を、各繊毛の根元にあるタンパク質集合体に伝える。すると、タンパク質集合体の性質が変化して、電気信号が生み出される。TMC1(transmembrane channel-like gene family 1)タンパク質はヒトにおいて、この集合体の一部と考えられており、TMC1変異のいくつかは、聴力の低下を徐々に引き起こすことが分かっている3。この症状は小児期に始まり、関連する有毛細胞の変性と細胞死を伴って進行し、10~15年以内に難聴になる4

Gaoらは、Tmc1に変異があるために難聴が引き起こされるマウス系統「ベートーベン」5を解析した。このマウスモデルは、ヒトのTMC1変異と同一の変異を有し、この変異はヒトでも進行性の聴力低下と結び付いている6。また、この変異は優性(顕性)形質であるため、細胞内に2コピー存在するTMC1の一方にこの変異があるだけで難聴を発症する。この変異型遺伝子コピーは不完全なタンパク質を産生するが、細胞には野生型コピーも1つある。それにもかかわらず細胞機能が損なわれる理由については、まだ明らかになっていない7

優性(顕性)変異と関連した難聴を修復するには、同一細胞内にある野生型遺伝子を保ったまま変異型遺伝子を無効化する必要がある。だが、2つの型のTMC1遺伝子中で1塩基の違いを見分けるのは、簡単なことではない(図1)。遺伝子編集技術8を使えば、有毛細胞内の変異型遺伝子だけを選んで取り除くことが可能と考えられる。遺伝子編集では、生きた細胞内で、特定の遺伝子内の標的DNA配列を切断するために、ヌクレアーゼという酵素を用いる。この酵素はDNAの二本鎖切断を行い、その修復過程でしばしばエラーが起こり、ヌクレオチドの付加や欠失を生じる。このような変化により、翻訳を不完全に終わらせるようなDNA配列に変わる場合があり、その結果として遺伝子の発現を妨げる可能性がある。

図1 遺伝子編集によりマウスで遺伝性の聴力低下を防ぐ
Gaoらは、Tmc1の遺伝子変異によって起こる後発性難聴のマウスモデルを研究した1。この変異は、難聴との関連が知られるヒト遺伝子変異と全く同一である。内耳には、繊毛突起を介して音を感知する有毛細胞がある。有毛細胞のTmc1遺伝子にこの変異があると、有毛細胞は死滅していき、聴力低下が起こる。Gaoらは新生仔マウスの耳に、遺伝子編集に必要なガイドRNAとヌクレアーゼ(Cas9)を注入した。ガイドRNAは、変異型Tmc1にCas9を導き、Cas9は、有毛細胞の核内でDNAを切断する。これらの編集装置は、脂質滴にパッケージングした上で注入された。この脂質滴は細胞と融合するため、遺伝子編集成分を細胞内に送達できる。変異型Tmc1は、野生型ではチミジン(T)となっている部位がアデノシン(A、変異型配列中の赤色の強調)になっている。遺伝子編集を施すと、ヌクレオチド欠失などの機構を介して、この変異型遺伝子が選択的に不活性化された。編集された細胞は野生型Tmc1タンパク質(白色)のみを発現し、変異型(赤色)は発現しなかった。

今回Gaoらは、Cas9というヌクレアーゼを用いた。Cas9と標的DNAの両方へ結合するRNA断片を利用することで、このヌクレアーゼは特異的な部位でDNAを切断する9。この方法はCRISPR–Cas遺伝子編集と呼ばれる。野生型を手付かずで残したまま変異型のみを確実に切断するという課題に取り組むために、Gaoらは、ガイドRNAを変異型配列にだけ結合するように設計した。

課題はもう1つある。Cas9を内耳へ届けることだ。in vivoでの遺伝子編集法では、ヌクレアーゼをコードした配列を個体に導入するために、ウイルスを使うことが多い10,11。しかしGaoらは、このヌクレアーゼが細胞内でその役割を果たせばよいのであり、タンパク質そのものを導入すれば十分だと考えた。そこで、Gaoが所属する研究チームが以前に開発した技術に目を向けた(Gaoはこの研究には関わっていない)12。この方法では、編集装置(ガイドRNAと結合したCas9タンパク質)を、細胞に融合可能な脂質滴へパッケージングして、細胞へ導入することができる。彼らは編集装置入りの小滴を、ベートーベンマウスの新生仔の内耳へ注入した。

成体になったこのマウスを調べると、何もしなかった個体の内耳には有毛細胞が見られないが、遺伝子編集した同腹個体には有毛細胞があり、その形態や数は、野生型マウスの有毛細胞とほぼ同等であった。また、遺伝子編集マウスは突然の大きな音に驚くが、編集していない個体は反応しなかった。より詳細な測定でも、遺伝子編集の結果としての聴力の改善が確認された。編集装置はその設計に忠実な働きをし、有毛細胞のDNAに対し望ましくない遺伝的変化を加えなかったのである。

編集された細胞は少数だった。そのためGaoらは、少数の編集済み細胞の有益な影響が「ハロー(halo)」のように近隣の未編集細胞に広がり、近隣細胞の細胞死と変性を防いでいるのではないかと考えている。有益な影響が近隣細胞にもたらされる機構は不明だが、Gaoらの研究結果は、この治療法を臨床利用するための後押しとなる。というのも、聴覚の改善にはおそらく、全ての有毛細胞の遺伝子修復は必要ないからだ。

Gaoらは、ヒトで見られる遺伝子変異に類似の変異や、同程度の聴力低下が表れる動物を用いて、このような方法が安全かつ効率的であるという証拠を示した。Gaoらの研究成果は、この手法を臨床に近づけるために不可欠な、最初の一歩といえる。では、TMC1変異の保因者が遺伝子編集で治療されるようになるまでに、どれくらいの時間が必要だろうか。楽観視する理由の1つに、他の遺伝子編集法が速やかに臨床利用されてきたことがある。

臨床試験の実施例をいくつか挙げよう。HIV感染者のウイルス量を低下させる試みとして、ジンクフィンガーヌクレアーゼ(ZFN)を用いて、免疫細胞のCCR5遺伝子を不活性化している13。また別の臨床試験では、がん細胞を攻撃する免疫細胞を作製する目的で、TALENと呼ばれる別のヌクレアーゼを用いて免疫細胞の遺伝子を編集している14。両技術とも、患者の体内から細胞を取り出して遺伝子編集を行った後、その細胞を体内に戻しているが、耳の細胞は取り出すことができないため、直接的なin vivoの手法が必要である。in vivoの手法は、ex vivoで遺伝子編集を行う上述の例よりもずっと難しい。

心強いことに、in vivo法の臨床試験は既に、ZFNを用いる手法で実施されている15。この試験から、Gaoらが次にやるべきことは明確だ16。まず、ヒト細胞を使って、臨床応用に耐え得る有効性と特異性を有するヌクレアーゼを見つけることだ。それに、ヒトの内耳にそのヌクレアーゼとともに注入しても問題のない脂質を見つける必要もある。その後、霊長類などの大型動物を使って安全性を調べる必要がある。米国では、ウイルスベクターを直接、患部である目に注入するin vivo遺伝子治療17に対し、米国食料品医薬品局(FDA)の諮問委員会が承認を推奨した。この研究は、臨床へ移転するときに考慮する必要がある科学的、医学的、そして商業的な検討事項へのロードマップを示した。

1902年、内科医のアーチボルド・ギャロッドによって、遺伝子と疾患の関連を調べる研究が始められた。以来、単一遺伝子の変化と結び付くことが明らかにされた疾患は5000以上にのぼる。これまでは、疾患の原因となる変異遺伝子を修正するツールがなく、臨床では遺伝学者たちの知識を役立てられないことが多かったが、ゲノム編集技術の発展により、この状況は変わりつつある。ベートーベンの名前にちなんだマウスがCas9と運命的な出合いを果たしたことで、難聴の原因となる変異を有する人が、遺伝子編集により聴力低下を免れることのできる日が近づいている。

翻訳:山崎泰豊

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180431

原文

An ode to gene edits that prevent deafness
  • Nature (2018-01-11) | DOI: 10.1038/d41586-017-08645-z
  • Fyodor Urnov
  • Fyodor Urnovは、アリゾナ州立大学(米国)に所属。

参考文献

  1. Gao, X. et al. Nature 553, 217–221 (2018).
  2. Fettiplace, R. & Kim, K. X. Physiol. Rev. 94, 951–986 (2014).
  3. Kawashima, Y. et al. J. Clin. Invest. 121, 4796–4809 (2011).
  4. Kurima, K. et al. Nature Genet. 30, 277–284 (2002).
  5. Vreugde, S. et al. Nature Genet. 30, 257–258 (2002).
  6. Zhao, Y. et al. PLoS ONE 9, e97064 (2014).
  7. Pan, B. et al. Neuron 79, 504–515 (2013).
  8. Carroll, D. Annu. Rev. Biochem. 83, 409–439 (2014).
  9. Jiang, F. & Doudna, J. A. Annu. Rev. Biophys. 46, 505–529 (2017).
  10. Li, H. et al. Nature 475, 217–221 (2011).
  11. Ran, F. A. et al. Nature 520, 186–191 (2015).
  12. Zuris, J. A. et al. Nature Biotechnol. 33, 73–80 (2014).
  13. Tebas, P. et al. N. Engl. J. Med. 370, 901–910 (2014).
  14. Qasim, W. et al. Sci. Transl. Med. 9, eaaj 2013 (2017).
  15. https://clinicaltrials.gov/ct2/show/NCT03041324
  16. Sharma, R. et al. Blood 126, 1777–1784 (2015).
  17. Russell, S. et al. Lancet 390, 849–860 (2017).