News Feature

偽造試薬と戦う中国

北京生命科学研究所のSong Huangは、科学者が偽造試薬をつかまされないようにするためにさまざまな対策を講じている。 Credit: GILLES SABRIÉ FOR NATURE

2013年、北京北西部の印刷店に入ったSong Huang(黄嵩)は、科学界で大きな問題になっている犯罪が堂々と行われている現場に出くわした。Huangは、この店から15kmほどの所にある北京生命科学研究所で合成生物学の研究をしている。実験に必要な数百種類のラベルを印刷するための小型の卓上プリンターを探していた彼は、このモデルで耐熱紙に印刷できるだろうかと店主に尋ねた。店主は、同じプリンターを使って他の顧客のために印刷したという出力サンプルを得意げに持ってきた。

出力サンプルを見たHuangは衝撃を受けた。欧米の企業が製造する高価な抗体の容器に貼ってあるのとそっくりなラベルに、AbcamやCell Signaling Technologyなどの文字が印刷されていたからだ。ラベルの文字は、人の良さそうな店主には何の意味もないものだったが、Huangにとっては、「自分たちが中国の販売業者から購入する抗体の多くは、思っているものと違うかもしれない」という、以前からの疑惑を裏付ける直接的な証拠だった。北京の代表的なテクノロジーパークである中関村にあるこの店は、偽造試薬や正規品を薄めた試薬を市場に流す業者がラベル作成用プリンターを購入する場所の1つだった。「私も同僚も、何かがおかしいとは思っていましたが、その疑惑が事実に変わったのです」とHuang。

中国の賑やかな公設市場は、海賊版DVDやルイ・ヴィトンのバッグやロレックスの時計のコピー商品が堂々と売られていることで知られる。しかし偽造試薬は、こうした雑然とした市場ではなく、洗練されたウェブサイトで正規品に紛れて販売されている。その供給や販売には、中関村の印刷店の店主のような、事情を知らない協力者のネットワークが利用されている。基礎化学試薬、細胞培養用血清、標準的な検査キットなどの研究室用の偽造試薬を製造する「闇のプロセス」には、大学の清掃員も関与している。この違法行為が及ぼす影響の大きさを具体的な数字にするのは困難だが、中国と欧米の一部の科学者は、偽造試薬のせいで研究が間違った方向に進んでしまい、時間と材料を無駄にしてしまったと話す。

中国は現在、世界の科学をリードする存在になることを目指して国を挙げて取り組んでいるが、一部の人々は、こうした努力が偽造試薬の問題によって台無しになることを危惧している。偽造業者と戦うための選択肢は限られている。ブランドに傷をつけられた試薬メーカー(と、偽造試薬をつかまされた科学者)の当惑は大きく、規制当局が偽造試薬の売買を撲滅できるとは思えないこともあって、法的手段に出ることには消極的だ。「偽造試薬の販売を阻止することは不可能です。ぼろもうけできる商売だからです」とHuang。

科学者と試薬メーカーは今、こんな状況を変えるための戦略を考えている。主要な試薬メーカーは啓発運動を立ち上げた。科学者たちは、偽造試薬に困らされた体験談や、偽造試薬をつかまされないようにするコツを共有している。Huangは、中国政府などが所有する試薬輸入会社の設立に協力した。この会社が輸入する試薬には新たな通関・検疫手続きが適用され、偽造試薬市場に打撃を与えることが期待されている。しかし、これらの対策で全ての科学者を救えるわけではない。特に、北京や上海などの主要な研究拠点の外にある大学や研究所の科学者は、大きな危険にさらされている。北京大学の生物物理学者Can Xie(謝粲)は、「輸入試薬の偽造品を購入・使用している研究室は今でもたくさんあります」と言う。「残念なことです」。

偽造試薬の供給ルート

偽造試薬業者にとって、中国は魅力的なターゲットだ。中国では研究への投資が急激に拡大していて、国家自然科学基金委員会(NSFC)の生物医学・科学予算は、この10年で4倍になっている。また、中国はあまりにも広大であるため、需要に供給が追いつかず、ややこしい流通システムを嫌う外国企業は、地元の販売業者に頼らざるを得ない。抗体メーカーCell Signaling Technology社(米国マサチューセッツ州ダンバーズ)のグローバル・バイスプレジデントでアジア太平洋地域ゼネラルマネージャーのJay Dongは、「中国の流通システムには問題が多く、物流の管理は困難です」と言う。

欧米企業の製品の販売を中国企業が担うことになるのが多いのは、そのためだ。中国有数の抗体販売業者であるShanghai Universal Biotech社の最高経営責任者Jack Leng(冷兆武)は、販売業者の中には製造業者から販売権限を与えられている会社もあるが、多くは販売権限を与えられておらず、科学者が両者の違いに気付くのは難しいことが多いと言う。たちの悪い商人は、中国の煩雑な税関・品質管理措置によって生じる正規品の価格の高さや長い待ち時間を不当に利用する。正規品によく似た製品を見せて、安い価格と迅速なサービスを提供するのだ。時には密輸品だと言うこともある。「中国では他の国より偽造試薬が多いことが分かっています」とDongは言う。

米国でのポスドク経験のあるXieが、自分が購入している化学試薬の一部が標準以下の品質であることに気付いたのは、2009年に中国に帰国してから数年後のことだった。販売業者は、高品質の製品を製造する外国企業の代理店だと言っていたが、実際に販売していたのは中国で製造した安価な製品だった。Xieは、自分の実験が失敗した原因が不純物の入った質の悪い試薬にあったかどうかは明確には分からないが、溶液中に「何だか分からない不溶性のもの」を見つけたときにもっと警戒するべきだったと言う。彼は今は、中国に支社がある有名企業からしか試薬を購入していない。

研究所の管理副所長であるHuangは、2012年に同僚が同じような問題を抱えているのを目にしていた。その研究者は、論文を発表してから半年間、一部の実験の結果を再現することができなかった。通常のトラブルシューティングを全て行った彼は、研究所の同僚に助けを求めた。そしてついに、細胞内にDNAを導入するのに使った試薬が再現の妨げになっていたことを突き止めた。Huangは今、問題は偽造試薬にあったと考えている。「試薬に問題があるなんて、普通は考えません」と彼は言う。「試薬を疑うことがどれほどのストレスになるか。言葉にはできません」。

中でも大きな問題になっているのが偽造抗体だ。抗体は、さまざまな生物学実験に欠かせない試薬であり、広範囲な生物システムのタンパク質を標識して追跡することができる。ただ、偽造品でない抗体にも問題がないわけではない。バッチごとに特性にばらつきが出ることがあり、予期せぬタンパク質が標的となることもあるのだ(Nature ダイジェスト 2015年8月号「再現できない実験の裏に抗体あり」参照)。

不確実性がいくつも重なると、偽造品の特定は困難になる。アブカム社(Abcam;本部は英国ケンブリッジだが、上海に地域拠点がある)の抗体技術部門のシニア・バイスプレジデントであるZhu Weiminは、「否定的な結果が出たとき、その理由はいくつも考えられます。問題は深刻です」と言う。

この混乱と不確実性の影響を受けているのは中国だけではない。例えば2012年には、ロンドン(英国)とビャウィストク(ポーランド)の研究者が、ELISAと呼ばれる抗体を利用した検査キットを使って慢性腎臓病の患者の血液中に含まれる特定のタンパク質を検出することに成功したと報告した1。けれどもマサチューセッツ総合病院(米国ボストン)の腎疾患の専門家Herbert Linが、同じキットを購入して厳密な検証をしたところ、同じUSCN Life Science社(現 Cloud-Clone社;中国・湖北省武漢)製であるにもかかわらず、両者のキットは全く別のタンパク質を標的にしていることが明らかになった2。オリジナルの論文の著者らも、抗体の標的が異なるタンパク質なのは明らかだと同意し2、「製造業者に分析結果について電子メールで2回問い合わせをしたにもかかわらず返事がなかった。このときに、何かがおかしいと気付くべきだった」と記している。

マウントサイナイ病院(カナダ・トロント)のがん研究者Ioannis Prassasも、USCNブランドのELISAキットについて、似たような経験をしている。彼のチームは、問題を特定するために2年の歳月と50万ドル(約5500万円)を費やしたという3

Cloud-Clone社で技術開発チームを率いるChris Sunは、同社はPrassasが購入したキットを調べたが問題は見つからなかったと言う。同社はPrassasの損害の一部を弁済したが、Sunは、意図的に質の悪い抗体を販売したわけではないと主張する。彼女は「私たちは自社で製造した数千種類の抗体を持っています。本物の抗体を持っているのに偽物を使う理由はありません」と言い、Linが問題があるとしたキットについては苦情の記録はないと話す。

またSunは、USCNブランドのキットのほとんどは販売業者を通して売られていて、Cloud-Clone社はこれまで、USCNの製品と偽る偽造品をときどき見つけていると言う。

問題の大きさを見積もるのは難しいが、いくつかの企業がそれに取り組んでいる。アブカム社は2016年末に、自社のラベルが貼られた製品の真贋に関する中国の科学者からの約1年分の問い合わせに対する回答を集計した。疑問が寄せられた数百点の製品のバーコード、ロット番号、購入時期をチェックした結果、そのうちの42%が偽造品であったと同社は結論付けた。

秘密の成分

偽造試薬の容器の中身はさまざまだ。アブカム社の上海支社のゼネラルマネージャーであるJade Zhangによると、どこにでもある安価な抗体の容器ラベルが貼り替えられて、希少で高価な抗体として販売されることもあるという。簡単な検査をして抗体が本物かどうか確認しようとする科学者たちに怪しまれないよう、偽造業者は本物に近い分子量の抗体を探してくる。けれども実験になれば、その抗体が標的タンパク質と結合することはない。

詰め替えよりも多く行われているのは希釈だ。Lengによると、偽造業者は中国の販売業者や海外から正規品を購入して、1瓶を5瓶に増やすという。「購入者が手にするのは正規品よりずっと弱いもので、使えることもあれば使えないこともあります」。

「偽造業者は、我が社のものと見分けがつかないほどよく似た試験管やラベルを製作して、正規品とそっくりのパッケージにしようとします」とDongは言う。「偽造品の問題は、市場の中の小さく活動的な部分から生まれてくるようです」。

研究者たちは、中国・中関村のこうした印刷店で、偽造試薬の売買の証拠を手にした。 Credit: GILLES SABRIÉ FOR NATURE

偽造に関与している人の多くは、そのことに気付いていない。中関村の印刷店の店主は、自分が違法行為に巻き込まれていることを分かっていなかった。「彼らは偽造の一端を担っていますが、悪ではないのです」とHuang。

2015年、Huangは研究室の清掃員の女性がゴミの中から試薬のボトルを選り分けているのに気付いた。不審に思った彼が女性に「この瓶の中身は飲めませんよ」と声をかけると、1瓶40元(約640円)で売ってほしいと言う人がいるのだと教えてくれた。偽造試薬をめぐる新たな事実が明らかになった瞬間だった。

そのボトルにはもともとウシ胎児血清(fetal bovine serum:FBS)が入っていた。食肉処理場で採取される血液に由来する製品で、細胞培養に広く用いられている。しかし、感染症を理由に米国、オーストラリア、ニュージーランドからのウシ由来成分の輸入が禁止されたことで、高品質のFBSの供給はひどく不足している。

禁止地域からの血清の在庫の価格は、この数年で2倍になり、現在は1瓶当たり約1万元(約16万円)だ。他の地域からの低品質のFBSは、禁止された輸入品の4分の1ほどの価格だが、正規品の代わりにはならない。世界有数の血清メーカーであるサーモフィッシャーサイエンティフィック社(Thermo Fisher Scientific;米国マサチューセッツ州ウォルサム)は、この問題に気付き、模倣しにくいラベルとボトルを開発した。そこから清掃員による「リサイクル」が始まった。偽造業者は、回収した正規品のボトルに質の悪いFBSを入れ、高値で販売していたのだ。

問題がどこまで広がっているかは不明だが、Huangは大まかな見積もりをしている。主な研究室が消費して捨てるボトルの本数を考えると、FBSの偽造品の潜在的な市場規模は北京だけでも1年当たり数千万元になるだろう。

偽造業者はずる賢く立ち回るため、捕まえるのは困難だ。ほとんどの場合、顧客がクレームを入れれば、販売業者は返金や交換に応じる。つまり、研究室が無駄にした時間や資源については、研究者が法的な請求をする余地がないことになる。しかし実際には、こちらの損失の方が深刻だ。「警察は直接的な損失にしか目を向けてくれないのですが、間接的な損失は比べ物にならないくらい大きいのです」とLengは言う。

偽造品のせいで企業は収入を失い、ブランドに傷をつけられることもあるが、彼らの助けになるものはほとんどない。アブカム社は、自社製品の偽造品と思われる商品を無許可で販売しているいくつかの業者と対決した。しかし販売業者は、自分たちは抗体がどこから来たのか知らないし、どうしてそんな問題が生じたのかも分からないと言った。弁護士は法的手段に出るべきではないと助言した。費用がかかる割に、大した成果は見込めないと予想されたからだ。「1社を叩けば、次が出てきます」とZhangは言う。Lengも同じ意見だ。彼によると、偽造業者は通常は1人か2人でやっていて、「毎年新しい会社を登記して、同じことを繰り返す」という。

一部の科学者は、偽造業者に腹を立ててはいるものの、事を荒立てようとはしない。そんなことをしたら、自分たちが偽造試薬を使っていたという事実の方に注目が集まってしまうからだ、とZhangは言う。そのことを認めてしまったら、自分たちのこれまでの研究成果に疑惑の目が向けられてしまうf。

抑止計画

Huang自身は、偽造機構の歯車にすぎない清掃員や印刷店に制裁を加えたいとは思っていない。彼らにとっては、それは生活のための手段であるからだ。「印刷店がラベルを1000枚印刷することに、どんな問題があるでしょう?ボトルを殺菌する人々だって、良心的に作業をしているのでしょう」と彼は言う。

科学者には科学者のやり方がある。Huangは研究所で使用する一般的な試薬の注文を集中させることで、科学者たちが多くの買い物について正規品だと確信できるようにした。また、研究者がFBSの古いボトルを返却しないと新たに購入できないようなシステムにして、使用済みのボトルが確実に破砕されるようにした。

他の科学者はNatureに、一度痛い目にあってからは、販売権限のない業者から試薬を購入するのはやめて、高価な正規品を買うようになったと語った。深圳市計量質量検測研究院という第三者検査機関の化学者Wei Luo(羅偉)は、購入したデンプン分解酵素の匂いとパッケージに違和感を覚えたことがあるという。ラベルにはシグマ アルドリッチ社(Sigma-Aldrich;米国ミズーリ州セントルイス)の製品で、ロット番号や関連情報は同社のウェブサイトにある詳細な商品説明と一致していたが、同社は、試薬が入っていた白いボトルは、この製品には使っていないものだと確認した。やはり偽造品だったのだ。

一部の試薬メーカーは偽造業者と戦うための教育プログラムも作成した。アブカム社、Cell Signaling Technology社、Universal Bio社は、セミナーやオンラインマニュアルを通じて、現在および将来の顧客に偽造試薬の見つけ方を教えている。彼らはまた、購入した製品が偽物ではないかと疑う顧客のための問い合わせ窓口も開設した。「企業には、法的手段を取るか、顧客を教育するかという2つの選択肢がありました。私たちは後者を選んだのです」とZhangは言う。

科学者たちは、偽造試薬への意識をもっと広めようと協力し合っている。オンラインチャットルームには偽造試薬をつかまされないようにするための(しばしば経験に基づく)助言が多数寄せられている。粗悪品を販売したことが明らかになった企業のブラックリストもある。

とはいえZhangによると、中国の主要な研究拠点の外にいる多くの科学者にとっては、販売業者の選択肢は限られていて、警戒を呼びかける言葉も届きにくいという。研究資金が不足していれば、どうしても価格が購入の決め手になってしまう。業者は彼らに、高品質の密輸品を安値で販売すると言って近づいている可能性が高い。Zhangは、「ほとんどの顧客は、自分が偽造品をつかまされていることに気付いていないと思います」と言う。

Huangは、究極の解決策は事業の収益が出ないようにすることだと指摘する。彼は、2015年12月のiBio社の設立に協力した。iBio社は60%を国が所有する企業で、北京生命科学研究所のキャンパスで税関・検疫検査をまとめて行う。Huangはこの事業から利益は得ていないが、それまで入手に1カ月以上かかっていた試薬のほとんどを10日以内に入手できるようになったと言う。上海と蘇州にも同じような企業が設立されている。

手続きの迅速化により、中国の科学者は外国の科学者と同じ条件で競えるようになる。Huangは、「それぞれの実験につき、ボトルネックになる試薬が1つか2つあるものです」と説明する。外国の研究者が数日で入手できる試薬を中国の科学者が数カ月かけて入手していたら、「中国の科学が外の世界と競争することはできません」と彼は言う。

2012年に中国政府当局が規則を改定して、生物学用試薬をスムーズに輸入できるようにした背景には、このような理由があった。けれども変化が起こるには時間がかかる。

Huangは、中国の科学の競争力向上につながるこうした改善を喜んでいる。さらに好ましいのは、偽造業者に直接ダメージを与えられることだ。「関税の重荷がなくなれば、彼らの利幅をなくすことができます」とHuangは言う。彼は、犯人を追いかけるよりこの方がいいと考えている。「供給源を断つことさえできれば、犯人を追いかける必要はありません」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2017.170820

原文

The secret war against counterfeit science
  • Nature (2017-05-11) | DOI: 10.1038/545148a
  • David Cyranoski
  • David Cyranoskiは中国・上海在住のNatureライター。

参考文献

  1. Rumjon, A. et. al. Am. J. Nephrol. 35,295–304(2012).
  2. Gutiérrez, O. M., Sun, C. C., Chen, W., Babitt, J. L. & Lin, H. Y. Am. J. Nephrol. 36, 332–333 (2012).
  3. Prassas, I. & Diamandis, E. P. Clin. Chem. Lab. Med. 52, 765–766 (2014).