Editorial

幹細胞治療を商業化するまでの道のり

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 7 | doi : 10.1038/ndigest.2017.170738

原文:Nature (2017-04-06) | doi: 10.1038/nature.2017.21757 | Pioneering cell transplant shows vision and promise

人工多能性幹細胞を使った治療については、日本が初期段階で成功を収めており、称賛に値するが、この治療法の商業化を進める際には、やはり慎重さが求められる。

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The Asahi Shimbun via Getty Images

2014年9月、人工多能性幹細胞(iPS細胞)に由来する網膜細胞が、加齢黄斑変性の女性患者に移植され、(現在のところ)治療は成功している。iPS細胞を用いた世界初のこの外科手術を率いたのは、理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター(現 多細胞システム形成研究センター:兵庫県神戸市)の網膜再生医療研究開発プロジェクトのリーダーで神戸市立医療センター中央市民病院(兵庫県)の眼科医である高橋政代と、同病院の眼科部長である栗本康夫らだ。iPS細胞は、体内のさまざまな種類の細胞に分化する能力を持っているが、ヒト胚に由来する幹細胞ほどの倫理的問題性はない。

そして高橋と栗本らの研究チームは、2017年3月28日に再び成果を収めた。同じような外科手術だったが、重要な「ひねり」が1つ加わっていた。治療のために移植された網膜細胞は、匿名のドナーに由来するiPS細胞から作られていたのだ。

この成果については、言うべきことがたくさんある。まずはお祝いの言葉だ。高橋と栗本は、時間をかけて慎重に行うという理想的なやり方でiPS細胞技術の臨床応用に取り組んでおり、優れた先例となっている。つまり、ヒト以外の霊長類でデータを集め、iPS細胞を厳密に検証した上で治療に用いた。ところが2例目の患者の細胞から作製したiPS細胞に遺伝子変異が見つかった。それが細胞のがん化につながるものではないと高橋と栗本は考えたが、移植手術は中止され、遺伝子変異が見つかったことが公表された。

このように慎重に取り組めば、(例えば、遺伝子治療で起こったような)常軌を逸した臨床試験が行われることはなく、現在進行中のiPS細胞を用いた他の外科的治療の研究を妨げることもないと期待できる。例えば京都大学では、iPS細胞由来の輸血用血液とパーキンソン病治療用のニューロンに関する研究が行われているところだ。

第2に、この成果が皆にとっての朗報であることを指摘したい。iPS細胞を利用することで、特に米国で10年以上も幹細胞研究の足かせになっている胚性幹細胞(ES細胞)をめぐる激しい論争からさらに一歩距離を置くことができるのだ。しかし当然のことながら、この論争が消え去ることはないと多くの科学者が主張しており、本誌でもこれまで何度も論じている。またES細胞が役立つ領域は残っているため、そのような研究を進めたいと考える科学者は同じような政治的障害にぶち当たるだろう。それでもiPS細胞由来の組織を用いて研究を進めることで、胚を作成して臓器を得るための「農場」といったセンセーショナルな話に終止符を打つことはできるだろう。

第3に、iPS細胞を用いた治療の医学的恩恵がこれまでより公平に行き渡ることが示唆されていることを指摘したい。これまでiPS細胞が富裕層向けの先進治療法に終わるという懸念を一部の人々が抱いていた。iPS細胞を用いた治療は、患者自身のiPS細胞から作製された新たな細胞を必要とする医療処置である。この治療の実施に当たり、細胞の抽出と再プログラム化、そして安全性確保のための厳密な検証という高コストで面倒な過程を毎回経なければならないとすれば、細胞は非常に高価なものとなり、富裕層しか利用できなくなるというのだ。

この問題に関しては、1つの集団における多数の人々との免疫適合性が高いiPS細胞を選び出して保存用のバンクを構築し、その費用を政府が負担する制度を作り、そうした細胞を利用すれば、経費を削減でき、もっと多くの人々に恩恵が行き渡るようになる可能性がある。それに、バンクに保存された細胞が直ちに利用できるのであれば、損傷直後に幹細胞を用いた修復を始めると成功率が最も高くなると科学者が考えている脊髄損傷などの状況にとって、大きな恩恵となる。

第4に、日本が「我を忘れない」ことを望む。これまでのところ高橋は、時間をかけて研究を進めている。ところが日本には、有効性の検証を十分に行わなくても臨床的商業化への道が開く早期承認制度というものがある(Nature ダイジェスト 2016年3月号「再生医療製品の早期承認制度は果たして得策か」参照)。治療法などについて、大量の商業利用の機が熟したかどうかを判定する際には、リスクとメリットを注意深く比較評価した結果に基づいて行うべきだ。しかし、どれほど注意深くリスク評価を行ったとしても、外科的治療には手術中の事故、未知の変異が生じる予測不能な可能性、より有効性の高い選択肢の見落としといった固有のリスクがある。

そうしたリスクを伴う外科的治療にそれだけの価値があるかどうかを判断するには、その安全性を実証するだけでなく、そのメリットの分析も行わなければならない。日本の早期承認制度では、メリットの評価、つまり外科的治療の有効性の確認は、商業化された後に実施される研究に委ねられる。しかし、有効性の確認が実際に行われることはないのではないかという疑念が生じている。その理由として、病院間で標準化されたプロトコルがないことや、対照群がないこと(そしてそうした厳密な検証を行っても得るものがないこと)が挙げられる。

早期承認制度が適用されると、6人くらいの患者を対象として安全性を実証するだけで「治療法の商業利用の承認に十分」とされる可能性がある。高橋と栗本が現在行っている臨床試験は、安全性を実証するための「臨床試験」であり、早期承認の条件である「臨床試験」とは見なされない。ただし、そうした臨床試験は、高橋と栗本の長期的な目標になっている。現在行われている研究のプロジェクトリーダーたちをはじめ、今後同じような研究に取り組む人々には、iPS細胞を用いた外科的治療が臨床試験の段階に入る際に、同じように注意深く慎重に研究を進めることが求められる。

(翻訳:菊川要)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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