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汎用量子コンピューティング・サービスが始まる

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 6 | doi : 10.1038/ndigest.2017.170617

原文:Nature (2017-03-09) | doi: 10.1038/nature.2017.21585 | IBM's quantum cloud computer goes commercial

Davide Castelvecchi

量子コンピューティング技術は未完成だが、IBM社はその市場を創造するための汎用量子コンピューターとサービス提供プラットフォームの構築を計画している。

IBMの量子コンピューター内の超伝導ケーブル。 | 拡大する

IBM

映画『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公が聞いた天の声「それを作れば彼は来る」を、IBM社(米国ニューヨーク州アーモンク)も聞いたのだろうか? 2017年3月6日、同社は世界初の「汎用」量子コンピューティング・サービスの商用提供を年内に開始すると発表した。「IBM Q」と名付けられたこのシステムは、インターネットを介して有料で利用できる。

少なくとも現時点では、このシステムが従来型のコンピューターをしのぐ性能を見せる可能性はない。けれども同社は、今日の従来型コンピューターでは不可能な複雑な計算を扱える未来の量子コンピューターの市場を創造するためには、このシステムが極めて重要になると考えている。

このプロジェクトは、誰でも無料で利用できる同社のクラウド・コンピューティング・サービス「Quantum Experience」に関して蓄積されたノウハウを基礎にしている。同サービスの提供は2016年5月に始まったばかりだが、IBM研究所(米国ニューヨーク州ヨークタウン・ハイツ)の量子コンピューティング研究室を率いる物理学者のJerry Chowは、「これまでの運用で、多くのことが分かりました」と言う。Quantum Experienceの登場により、自前の量子コンピューターを持っていない研究者でも量子アルゴリズムを構築する練習が可能になった。Chowによると、同社は、このテクノロジーの周囲に「コミュニティーとエコシステム(生態系)」を構築することを目指しているという。

IBMの発表では、年内にIBM Qのサービスの提供が始まるとされているが、具体的な時期は不明である。そのシステムがどの程度強力なものになるのかも、利用料も不明だ。同社はすでに、この量子コンピューターの試験を行ったり独自のアプリケーションを開発したりする数社の事業パートナーを獲得しているというが、その社名も明らかにしていない。

量子コンピューターは、素粒子物理学の直観的でない性質を利用している。従来型のコンピューターが扱う情報の単位(ビット)は0か1のどちらかの状態をとるが、量子コンピューターが扱う情報の単位(「量子ビット」あるいは「キュービット」)は、同時に複数の状態をとることができる。量子アルゴリズムは、理論的には従来型コンピューターよりも指数的に速く計算を実行できるとされていて、IBMの研究者を含む理論物理学者たちは1990年代から開発に取り組んできた。

量子コンピューター間の競争

けれども実際には、十分な数の量子ビットを結合して、いわゆる「汎用量子コンピューター」として量子アルゴリズムを走らせるのは、極めて困難であることが分かっている。量子ビットを扱う方法はいろいろ提案されているが、現時点の最有力候補は、電場と磁場を利用して真空中にイオンを捕捉する方法と、絶対零度に近い低温に保った微視的な超伝導回路に量子ビットを実装する方法の2種類だ。IBMは後者のアプローチに賭けている。

近年、グーグルもこの競争に参加して、米国カリフォルニア州サンタバーバラに超伝導量子ビット研究所を設立している。その他にも、いくつかの企業や学術研究機関の研究室が、従来型コンピューターをしのぐ性能を備えた量子コンピューターの構築に向けた積極的な戦略を発表している。どの量子コンピューターも、機能するには約50量子ビットが必要だ。ところが、現時点の記録は約20量子ビットで、せいぜい簡単な計算ができるにすぎない。

だから、IBMが5量子ビットのQuantum Experienceについて発表したときには、何をしようとしているのか分からないと言う人もいた。メリーランド大学カレッジパーク校(米国)でイオントラップ型の量子コンピューターを開発している物理学者のChristopher Monroeは、「多くの人が、宣伝目的の企画にすぎないと見ていました」と言う。「けれども私は、大きな意義のある計画だと思います」。

Quantum Experienceは最先端の量子コンピューターではないものの、インターネットを介してサービスを提供できるようにしたり、量子コンピューターの研究をしたことがない、物理学者以外の研究者にも利用できるようにしたりするために、IBMはいくつかの難しい課題を克服する必要があった。量子コンピューターを建造した科学者たちが絶えず注意を払っていなくても機能するようなシステムを構築することも、そうした課題の1つだった。「量子コンピューターを利用できるクラウド・サービスを提供するのは当然です。けれども、システムをそのレベルまでもっていくためには多くの作業が必要です」とMonroeは言う。

Quantum ExperienceやIBM Qなどのシステムが利用可能になることで、世界中の研究者が独自の量子プログラミングに挑戦できるようになる。量子プログラミングは従来のプログラミングとは大きく異なり、プログラマーが物理的量子ビットの限界を理解し、適応する必要がある。Monroeによると、5量子ビットの量子コンピューターは、古典的コンピューターで簡単にシミュレーションすることができ、ノートパソコンで十分だという。けれども本物の量子ビットは、そんなに単純なものではない。

量子クラウドの時代

マサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)の物理学者Isaac Chuangは、「本当に難しいのは、まだ不完全なところのある現実のハードウエア上でアルゴリズムを走らせることです」と言う。

Chowによると、IBM Qの量子ビットの数はQuantum Experienceよりも多くなる予定だが、まだ具体的な数は決まっていないという。

これまでに、100カ国以上の約4万人がQuantum Experienceを利用して、27万5000回の実験を行い、約15編の研究論文を発表している。

そのうちの1編はMonroeらによる論文で、IBMの超伝導量子コンピューターとMonroeの研究室の5量子ビットのイオントラップ型量子コンピューターの性能を比較している(N. M. Linke et al. Preprint at http://arxiv.org/abs/1702.01852;2017)。比較の結果、速度はIBMのコンピューターの方が速かったが、Monroeのコンピューターの方が正確だった。

Monroeは近年、IonQという企業を共同設立し、ゆくゆくはイオントラップ型量子コンピューターのクラウド・サービスを展開したいと思っているが、その時期については考えていないという。米国カリフォルニア州サンタバーバラでグーグルの量子コンピューティング研究室を率いるJohn Martinisは、同社も独自の超伝導量子コンピューターで同様のクラウド・サービスを提供することを考えているが、全ては50量子ビットのコンピューターを稼働させることができてからだ、と言う 。

一方、D-Wave社(カナダ・ブリティッシュコロンビア州バーナビー)は2010年から量子コンピューティングのクラウド・サービスを提供している。しかし、同社の量子コンピューターは「汎用」コンピューターではなく、決まった範囲の量子アルゴリズムしか走らせることができない。それでも、これまでに複数の研究グループが、自分たちのプロジェクトのために同社のサービスを利用している。

(翻訳:三枝小夜子)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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