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脳機能を若返らせる臍帯血成分

若いマウスの血液と同様、若いヒトの血液にも若返り効果があるのかもしれない。 Credit: Fairfax Media/Fairfax Media via Getty Images

若いヒトの血漿に含まれるタンパク質の1つによって、加齢マウスの脳機能を改善することができる。Nature 2017年4月27日号488ページに掲載されたこの知見は、ヒトのタンパク質がこうした若返り効果を持つことを初めて示したものだ1。またこの知見は、加齢に伴う記憶力や筋機能や代謝の低下、骨構造の劣化といった症状を、「若い血」の注入によって改善できることを示した最新の証拠でもある。

若い個体の血液が老化にどのような効果をもたらすかについては、数十年前からマウスでパラビオーシス(並体結合)という手法を使って調べられてきた。これは、高齢マウスと若齢マウスを外科的処置で結合して循環系を共有させる実験手法である。

若い個体の血液が持つ「若返り」効果については、今まで、マウス個体間でしか実証されていなかった。それにもかかわらず、そうした研究に触発されて、現在少なくとも2つの企業が、若齢成人ドナーの血液を高齢者に輸血して身体機能が改善されるかどうかを調べる臨床試験を行っている。

それらの臨床試験の1つに出資している企業には、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の神経科学者Tony Wyss-Corayが関わっており、彼はその企業の科学諮問委員会の議長を務めている。研究の一環として、彼は特別研究員の神経科学者Joseph Castellano(同じくスタンフォード大学)らとともに、新生児の臍帯から採取した血漿を使う試験をスタートさせた。彼らの目標は、ごく幼若なヒトの血液がどのような仕組みで加齢の症状に影響を及ぼせるのかを明らかにすることだ。

謎めいた影響

Wyss-Corayらが、「ごく若い」ヒトの血漿を加齢マウスの静脈に注入したところ、迷路を通り抜けたり、ケージ内の電気ショックエリアの回避を学習したりする能力が改善された。マウスの脳を解剖したところ、学習と記憶に関係する海馬という脳領域の細胞で、より多くの接続をニューロンに作らせる遺伝子が発現していることが分かった。この現象は、高齢のヒトから採取した血液を加齢マウスに注入した場合には起こらなかった。

次にWyss-Corayらは、臍帯血漿中に見つかった66種類のタンパク質を、高齢のヒトの血漿中にあるタンパク質や、マウスのパラビオーシス実験で特定された複数のタンパク質と比較した。すると、若返りに関与しそうなタンパク質候補が数種類見つかった。そこで、1回の実験ごとにタンパク質を1種類ずつ、加齢マウスの静脈に注入してから記憶実験を行った。

それら数種類のタンパク質のうち、 加齢マウスの成績を向上させたのはTIMP2(tissue inhibitor of metalloproteinase-2)のみだった。ただし、正常な加齢過程で失われた脳細胞の再生にまでは至らなかった。また、TIMP2を含まないヒト臍帯血漿を注入しても、記憶力に変化は見られなかった。

TIMP2が、細胞や組織構造の維持に関わっていることは分かっている。しかし、Wyss-Corayらは、TIMP2が記憶力に影響を及ぼす仕組みをまだ明らかにできていない。また、TIMP2が若齢マウスの脳で発現していることは知られていたが、これまで学習や記憶と明確に関連付けられたことはなかった。TIMP2は、細胞の増殖や血管の成長に関わる「マスター調節因子」として働き、その発現量が増えると多くの経路に同時に影響を及ぼすのではないかと、Wyss-Corayは考えている。

ブラックボックス

「これは見事な論文だと思います」と、ワイツマン科学研究所(イスラエル・レホヴォト)の神経免疫学者Michal Schwartzは評価する。彼女が今回の研究で興味をそそられたのは、マウスの脳内に血漿を注入するのではなく、静脈内投与によって効果が得られた点だ。Schwartzは、TIMP2は免疫系もしくは代謝を変化させて間接的に脳に影響を及ぼすのではないかと推測している。

ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の幹細胞研究者Lee Rubinも、Schwartzの考えに賛同している。彼は、Wyss-Corayと同じ企業の科学諮問委員会の委員でもある。2014年、Rubinは研究室の仲間と、若齢マウスの血液にGDF11というタンパク質が多く含まれていることや、GDF11を加齢マウスに投与すると脳内の血管の成長が促進されることを明らかにした2。その後彼らは、GDF11が脳内に入り込めないことを見つけており、TIMP2は全身の複数の系に働くことで間接的に脳に影響を与えている可能性があるとにらんでいる。

TIMP2がどのようにして脳に影響を与えるかを突き止めることが次の研究目標だと、Wyss-CorayとCastellanoは話す。Wyss-Corayは特に、TIMP2が加齢の症状に特異的に影響するのか、それとも細胞の一般的な健康状態に影響するのかを知りたいと考えている。

「今回の実験には、ブラックボックスのような側面がちょっとあります。実験者は中で何が起こっているのか分からないのですから」と、ケンタッキー大学(米国レキシントン)の神経科学者Philip Landfieldは話す。彼によれば、TIMP2について最も期待されるのは治療への活用の可能性だという。

数千人の若者から血漿を集めて保存しておき、それをアルツハイマー病などの加齢関連疾患の患者に投与する、といった治療法も1つの可能性としてあり得る。あるいは、年配の患者がGDF11やTIMP2などの入ったタンパク質カクテルを飲んだり、それらの作用を模倣した薬剤を服用したりする日がやってくるかもしれないと、Wyss-Corayは話す。「包括的に見て、今回の研究成果はとても刺激的なものです。若いヒトの血中には1種類だけで『優れた』作用を発揮する因子が複数含まれている、という見解が裏付けられたのですから」。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2017.170604

原文

Young human blood makes old mice smarter
  • Nature (2017-04-19) | DOI: 10.1038/nature.2017.21848
  • Traci Watson

参考文献

  1. Castellano, J. M. et al. Nature 544, 488–492 (2017).
  2. Katsimpardi, L. et al. Science 344, 630–634 (2014).