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脳内の地図に表された音の「景観」

Credit: allanswart/iStock / Getty Images Plus/Getty

全ての動物は、周囲環境の中をナビゲーションするという難題に直面する。それを助けるのが、自分がどこに行ったことがあるか、そしてどこに行くつもりなのかを表す、頭の中の地図だ。哺乳類では海馬体と呼ばれる脳領域のニューロンがそのような地図の基盤を形成すると考えられている。しかし、頭の中の地図を、別のタイプの情報を体系化することにも使えるかどうかは分かっていない。プリンストン大学(米国ニュージャージー州)のDmitriy Aronovら1は今回、ラットでは、頭の中の空間的地図にも非空間的地図にも同じ神経回路が使用され得るという証拠を示し、Nature 3月30日号719ページで報告した。

海馬体(海馬とそれに隣接する内嗅皮質を含む脳領域2)のニューロンは、空間中の動物の位置について複雑な表現を提供する。例えば、海馬の場所細胞と内嗅皮質のグリッド細胞(格子細胞)は、ラットがある環境を横断するときに特定の物理的位置で発火する3,4。研究者の中には、これらのニューロンが主として脳のナビゲーションシステムとして機能すると考える人もいる。しかし、別の研究者らは、これらのニューロン集団は、情報の体系化にもっと一般的なやり方で関与しているのではないかと考えている5,6。この仮説に立つと、そのようなニューロン群が、空間を地図のように表現するのと同じ方式で、経験の非空間的側面も表現しているのかどうか、という疑問が生まれる。

この疑問の解明に取り組むために、Aronovらは、海馬体のニューロンが非空間的な環境の「地図」を表現できるのかどうかを、聴覚情景を例として調べた。彼らはジョイスティックで音の高低を調節できるようラットを訓練した。ジョイスティックを長く押すと、音が高くなる仕組みになっていて、音が特定の周波数範囲に達したときにジョイスティックを放すと、ラットは報酬として1滴の水を与えられた。このようにしてAronovらは、周波数が変化したとき起こったニューロン活動のパターンを分析した。そして、この結果と、採餌課題中にラットが環境をナビゲーションしているときの位置の変化を表現するニューロンの反応とを比較した。ラットが単に「設定された経過時間」に反応したのではなく「特定の周波数」に反応していたことを確かめるため、Aronovらは試行中、周波数が上昇する速度を変化させた。

ラットが特定の物理空間にいるときに、海馬体のニューロンが反応するのと同じように、聴覚課題においてもニューロンは特定の高さの音に反応して発火した(図1)。聴覚課題で音の高さに特異的に反応するニューロンのいくつかは、採餌課題での場所特異的ニューロンでもあった。このことから、両方のタイプの情報地図の基盤となっている神経ネットワークは共通であることが示唆された。

図1 空間と音の地図は共通
ラットが直線的な経路を走るとき、海馬体と呼ばれる脳領域のニューロンは空間内の異なった地点で発火する。例えば、「黄緑色」で塗られたニューロンは経路の黄緑色の区域を表現しており、ラットがこの領域にいるときに発火する。その後、ラットが青緑色の区域を通ると「青緑色」のニューロンが活性化し、次には「青色」のニューロンが発火する。Aronovら1は、これらのニューロンが音の変化にどのように反応するかを調べた。ジョイスティックを使って音の高低を操作ができるようにラットを訓練した(ジョイスティックを長く押すと音が高くなる)。この実験によって、ニューロンが位置の変化に対するのと同様のやり方で、音の周波数の変化にも反応することが示された。

次に、Aronovらは、(もっと単純な脳の知覚領域で予想されるように)ニューロンが単に特定の周波数に反応していただけなのか、あるいはこのようなニューロンの反応はラットが行動課題に取り組んでいることによって起こったのかどうかを調べた。この疑問を解明するために、著者らはジョイスティック課題を行っていないラットに、ジョイスティック操作で生じるのと同じようなスイープ音(低い音から高い音まで連続的に周波数が変化する音)を聞かせた。録音された音をこのように受動的に聞かせている間に活性化した海馬細胞はごくわずかだったが、興味深い発見があった。受動的に再生音を聞かせた最後に水の報酬をラットに与えると、海馬神経は周波数によって変化する活動を示したのである。ただし、行動課題を行っていたときよりも活性化する細胞は少なく、正確性も低かった。つまり、報酬が予測されたことによってラットの注意が刺激に向いたと考えられる。刺激に注意を向けることが、ニューロン地図を形成するための一般的な前提条件なのかもしれない。

Aronovらは、彼らの課題で観察された地図形成の重要な特徴の1つは、連続した周波数の情報を連続体(連続した変数の集合)として体系化することだと考えている。Aronovらが観察した海馬地図は、音階の構造を採用していた。よって、このネットワークでは、明暗や冷温などのように刺激の性質の程度が段階的に変わっていくものであればどのような刺激でも地図にできる、という仮説を立てることができるかもしれない。しかし、刺激が連続体であることが重要だという仮説は、海馬体が地図に表現できる体系のタイプに重い制約を与える。この仮説に従えば、例えば海馬は、時間順に並んだ不連続の出来事よりむしろ、ある刺激の特定の特徴を地図にすると考えられる。もしくは、地図は、音の高低を標識として用いて報酬に向かう進行状況を追跡している、という解釈もできる。

この問題は、将来の研究で、ラットがジョイスティックを押すときに、音の高さが変わるやり方を変更することによって解決できるだろう。例えば、単純に周波数が上昇していくのではなく、弧を描くように上昇するようにしたりするのだ。同じ周波数の音が弧の始めと終わりで聞こえるので、ニューロンの活動が本当に周波数空間の地図を表現するなら、それぞれの音の高さに特異的なニューロンは2度発火するだろう。あるいは、ニューロンの活動は、試行の始まりから報酬に至るまでの音の変化を通して進行状況を追跡しているかもしれない。このどちらなのかを区別できれば、海馬の過程がその入力の本質的な特徴(例えば、周波数の変化なのか、空間の変化を表しているのかなど)によって制約されるのか、もしくはこの脳領域が任意の刺激を結び付ける関係地図を作成できるのかが明らかになることだろう。

著者らのデータからさらなる疑問も湧いてくる。ある回数あるいは周波数で発火するものなど、状況特異的なニューロンの亜集団は、どの程度本当に「地図」を形成すると考えられるのだろうか? そのような地図の目的は何なのだろうか? Aronovらは、周波数表現には、それらを地図のようにする重要な特性が備わっていること示唆している。つまり、ニューロン集団の連合した活動は、課題で進行中の出来事を完全に反映しているのである。従って、時間のどのポイントにおいても、下流の脳領域は、集団内でどのニューロンが活性化しているかを読み出すことで、課題の正確な段階を解読できる。このことから、連続的なニューロンの活動は、行動課題での経験の進行的な流れを表現し、出来事を1つの記憶に結び付けていることがうかがわれる。これによって、個々のニューロンの活動パターンよりももっと根本的な海馬活動の説明が可能になるかもしれない。

今回の研究成果は、海馬体における活動が非空間的な内容の体系を反映できるという考え方についての、単一ニューロンレベルでの有力な証拠といえる。海馬がナビゲーションだけでなく、経験の構造的な体系を提供できることを示す文献が増えつつあり、今回の知見もそれに加わるものである。近年、空間を表す場所細胞の解明が進んでおり、それとともに、記憶課題を行っている間に異なる時間間隔で活性化する海馬細胞7,8が特定されている。より最近では、海馬体は、ヒトの社会的関係9と概念的な関係10を構造化している体系と関わりがあることが示されている。

これらをまとめると、Aronovらの研究は、海馬体の機能に関する我々の知識を広げるものだといえる。今後の研究では、研究対象をさらに別の動物種に広げ、ニューロン集団内での連続的発火を促進する条件を明らかにしていくことになるだろう。それにより、海馬でのこうした表現がどのように情報を体系化しているかや、記憶形成を支えている仕組みが明らかになっていくと考えられる。

翻訳:古川奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2017.170634

原文

Auditory landscape on the cognitive map
  • Nature (2017-03-30) | DOI: 10.1038/543631a
  • Jon W. Rueckemann & Elizabeth A. Buffalo
  • Jon W. Rueckemann & Elizabeth A. Buffaloは、ワシントン大学(米国シアトル)の生理学および生物物理学科に所属。

参考文献

  1. Aronov, D., Nevers, R. & Tank, D. W. Nature 543, 719–722 (2017).
  2. Amaral, D. & Lavenex, P. in The Hippocampus Book (eds Andersen, P., Morris, R., Amaral, D., Bliss, T. & O'Keefe, J.) 37–114 (Oxford Univ. Press, 2006).
  3. O'Keefe, J. & Dostrovsky, J. Brain Res. 34, 171–175 (1971).
  4. Hafting, T., Fyhn, M., Molden, S., Moser, M.-B. & Moser, E. I. Nature 436, 801–806 (2005).
  5. Schiller, D. et al. J. Neurosci. 35, 13904–13911 (2015).
  6. Buffalo, E. A. Hippocampus 25, 713–718 (2015).
  7. Pastalkova, E., Itskov, V., Amarasingham, A. & Buzsáki, G. Science 321, 1322–1327 (2008).
  8. MacDonald, C. J., Carrow, S., Place, R. & Eichenbaum, H. J. Neurosci. 33, 14607–14616 (2013).
  9. Tavares, R. M. et al. Neuron 87, 231–243 (2015).
  10. Constantinescu, A. O., O'Reilly, J. X. & Behrens, T. E. J. Science 352, 1464–1468 (2016).