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火星の石を持ち帰れ!

着陸候補地に選ばれたイェゼロ・クレーター。粘土鉱物が検出された場所で、かつて湖だったと考えられている。 Credit: NASA/JPL-Caltech/University of Arizona

2012年、空中の降下ステージから吊り下げられたNASAの火星探査車「キュリオシティ」が完璧な着地を決めたとき、この大胆極まりない着陸作戦を成功させたAdam Steltznerは、エンジニア界のスターになった。現在、NASAの次の火星探査車「マーズ2020」のチーフエンジニアを務める彼の最大の関心事は、いかにして試料の汚染を防ぐかということにある。

惑星間探査車のテストにはキュリオシティのレプリカが使われている。 Credit: PATRICK FALLON FOR NATURE

Steltznerの頭を占領しているのは、手の中にすっぽり入ってしまう程度の大きさの、濃い灰色をした金属製の試験管だ。試験管は、彼が作業をするジェット推進研究所(JPL;米国カリフォルニア州パサデナ)の倉庫のような建物内の作業台の上にある。火星探査車が無事に使命を果たすためには、この試験管は、人類がこれまでに作り出した全てのものの中で最高レベルのクリーンさを保っている必要がある。

早ければ2020年7月にも、43本の試験管を積んだ重量1tの六輪ローバーがフロリダから打ち上げられ、赤い惑星への7カ月の旅に出る予定になっている。火星に到着したローバーは表面を走り回り、試験管に土や岩石や空気を詰めていく。それから試験管を密封して地表に置き、別の探査機が回収に来て地球に持って帰ってくれるのを待つ。待ち時間は数年かもしれないし、数十年かもしれない。それでも、火星の一部を地球に持ち帰ろうとする試みは人類初のものである。

全てが計画どおりに行けば、これらは今までに採取された地球外物質の試料の中で最も貴重なものになる。試験管の中には、微生物や生体鉱物(生物起源の無機物質)、有機分子の形で、地球外生命の存在を示す証拠が封入されたものもあるかもしれない。

Steltznerのチームがクリーンさにこだわるのは、そのためだ。地球上の生物の細胞がたった1つ混入しただけでも、あるいはごく微量の汚染物質が付着しただけでも、火星の微生物を確実に検出する機会は損なわれてしまう。そこでプロジェクトチームは、汚染の恐れのない自動試料採取システムを設計しようとしている。Steltznerは、好ましくない微生物を払い落とそうとするかのように試験管を振りながら、「私たちは前例のないレベルのクリーンさの実現に取り組んでいます。何とかして作り上げるしかないのです」と言う。

賭け金は、ありえないほど高い。NASAはマーズ2020に24億ドル(約2600億円)と火星探査プログラムの未来を賭けている。ローバーが最終的に地球に持ち帰るためのクリーンな岩石試料を採取できれば、彼らは太陽系科学の道筋をつけることになる。反対に試料採取に失敗し、火星が宇宙ミッションの墓場として悪評を得ることになれば、NASAは数十年越しの夢を諦めなければならない。

今、JPLの会議室、実験室、クリーンルームでは、科学者や技術者がミッションに関する重要な最終決定を行っている。火星の表面で試験管を低温に保つ方法から、火星の表面で計画された作業の全てをこなすためのローバーの分刻みのスケジュールまで、彼らはあらゆる詳細を検討し、議論する。2017年2月には特に重要な決定が行われた。NASAは着陸地点候補を8カ所から3カ所に絞り込み、プロジェクトを前に進めるのに必須の、ある重要な設計の評価も行った。現時点での選択が、2020年の打ち上げ成功の可否を一部ながら握っているのだ。

マーズ2020ローバーの掘削システム(左)は、岩石から約15gの試料(右)を採取するように設計されている。 Credit: PATRICK FALLON FOR NATURE

ローバーの誕生

ロサンゼルスの北と東に広がる山々を背景にしたJPLの日当たりの良いキャンパスで、ユーカリの木が影を落とす道を、シャツ姿の技術者たちがのんびりと歩いている。そのうちの数人は角を曲がって1つの建物に入っていく。この建物内では、管制官たちが火星で活動を続ける2台のローバーを動かしている。他の技術者たちは179号棟に入っていく。ここは歴史的な宇宙船組立て施設で、月や火星、惑星間空間を目指す数多くの探査機が誕生した場所だ。

今はここでマーズ2020ローバーが誕生しようとしている。建物内には巨大なクリーンルームがあるが、現段階では、ミッションで重要な役割を果たすものは1つしか置かれていない。それは、シワシワの銀色のシートに包まれた円盤状の耐熱シールドだ。耐熱シールドはキュリオシティのミッションから引き継いだもので、新しい探査機に再利用される予定である。

NASAは、2012年12月にマーズ2020のミッションについて発表したときに、この再利用性を喧伝していた。NASAは、1996年のマーズ・パスファインダーの重量11kgのローバーに始まり、2003年の180kgの双子のローバー「スピリット」と「オポチュニティ」を経て、2012年の900kgの巨大ローバー「キュリオシティ」まで、一連のローバーを火星に送り込むことに成功してきた。これら全てのローバーはJPLが設計し、毎回、複雑性と科学的目標を一段階ずつ高くしてきた。

けれどもマーズ2020は、エンジニアリングの観点からすると、キュリオシティの時代から進歩していない部分がかなりある。実際、新しいローバーのデザインの約85%が、過去のデザインを踏襲したものになっている。シャシー、電源システム、通信システムなどは前回のローバーのものの複製だ。数々のローバー・ミッションに従事してきた副プロジェクトマネジャーのMatt Wallaceは、「予算が大幅に削減されているのでね」と言う。

その代わり、火星の表面で測定を行う道具や、岩石試料を採取して保管する道具など、科学に関わる部分は新しくする。ローバーに搭載される科学研究用の機器・装置は7種類で、全く新しい装置もあれば既存の装置を改良したものもある。例えば、ローバーのマストの上のパノラマカメラには、面白そうな領域をよく見るためのズーム機能が付けられる。また、岩石の化学組成や鉱物学的特徴をもっとよく調べられるように、レーザー装置の波長も増やした。さらにロボットアームには、キュリオシティの装置よりも詳細に岩石をマッピングできるように、紫外線分光計とX線分光計が搭載される。

観測機器にここまで力を入れるのは、貴重な岩石試料の地質学的背景を収集する機会が一度しかないからだ。ローバーが採取した試料がもたらす情報は、火星の物質だけでなく火星という惑星そのものを理解するためのカギとなる。火星の岩石試料だけなら、科学者たちはすでに何百個も手にしている。ただ、地質学的背景は不明である。これらの岩石は、何百万年も何十億年も前の衝突により火星から吹き飛ばされた破片が、長年にわたって宇宙をさまよった後、隕石として地球に落ちてきたものであるからだ。火星に行って岩石を拾い、地球に持ち帰ることによって、試料を採取した場所が今の地形となった過程を読み解くことが可能になり、火星の進化の物語をまとめ上げるための手掛かりとなる。

「私たちが求めているのは、これから何世紀も参照できるような現地調査メモなのです」と、JPLの宇宙生物学者で、X線分光計の主任研究者であるAbigail Allwoodは言う。「火星に生命が存在することを証明したいなら、最高のレベルで精査する必要があります」。

宝探し

ここでSteltznerのチームの出番となる。彼らは理想の試料採取システムを思い描くところから始めた。初期のアイデアには、複数のアームの先にさまざまな測定装置を備えたローバーなど、かなり大胆なものも含まれていたが、最終的には、岩に向かってアームを伸ばし、ドリルで掘削して、15gの試料を採取するシステムに落ち着いた(「火星からのサンプルリターン」参照)。ローバーはそれから試験管を密封し、内部の容器に格納する。試料が火星の大気にさらされる時間を減らして汚染の恐れを小さくするため、一連の作業は1時間以内に行われる。

「火星からのサンプルリターン」PDF

ローバーには、長さ14cm、直径2cmの試験管少なくとも31本に試料を詰めて密封できるだけの物資が積み込まれる(問題が生じた場合に備えて、スペアもいくつか持っていく)。ただし、全ての試験管に火星の試料が入るわけではない。いくつかは「証拠用(witness)」試験管として利用するため、環境中の汚染物質を捕捉するためのアルミニウムメッシュやセラミックなどの材料が詰めてある。そうした試験管のうち1本は、火星への往路で蓋をせずにおき、飛行中に探査機から気化する可能性のある物質を捕捉する。その試験管は火星到着時に密封される。他の証拠用試験管は順次火星の表面にさらされ、それぞれの場所の空気中に存在する物質を試料として採取する。科学者たちは後日、これらの証拠用試験管を利用して、掘削された試料が汚染されているかどうか、汚染されているとしたらその時期はいつかを知ることができる。

実をいうと、プロジェクト科学者のKenneth Farleyとマーズ2020チームの他のメンバーが証拠用試験管の搭載を決めたのは、つい最近のことだった。きっかけは、未来の研究者の気持ちを代弁する科学者委員会からの助言だった。科学者委員会の共同議長を務めるテネシー大学(米国ノックスビル)の惑星地質学者Hap McSweenは、「私たちは、試料が地球に届いたときに未来の科学者たちがどのような調査をしたいと思うか、察する必要があるのです」と言う。

何よりも、試料にはわずかな汚染も許されない。試験管を製造し、汚れを落とし、高温に熱し、探査機の中に格納するときには、地球上で最もクリーンな環境になっていなければならない。プロジェクト副責任科学者のKenneth Willifordは、「無機的、有機的、生物学的要請を全て満たさなければならないのです。このミッションの難度が非常に高いのはそのためで、NASAがこれまでに実施してきたミッションでは前例がないのです」と言う。

地球の微生物を他の惑星に持ち込んでしまうことがないよう、これまでの探査機も汚染対策にはかなり気を遣ってきた。1970年代にはすでに、NASAの火星探査機バイキングの着陸機の主要な装置は、溶剤で清掃した後、ヘリウムガス中で4日間加熱されていた。また、マーズ2020と同じ2020年に打ち上げ予定で、火星で生命の痕跡を探すことになっている欧州宇宙機関(ESA)のエクソマーズ(ExoMars)ローバーについても、同様の保護的クリーニングが計画されている。中国も2020年に独自の火星探査車を送り込むことを予定しているが、このローバーには生命を検出する機能はない。

NASAの2020年のミッションでは、将来、地球に持ち帰ることになる試料を科学的に万全の状態に保つため、通常の惑星保護に必要とされる以上の慎重な取り扱いが必要になる。NASA本部(米国ワシントンD.C.)の惑星保護局のCassie Conleyは、火星の岩石はアポロの宇宙飛行士が持ち帰った月の石と同じくらい、もしかするともっと慎重に扱われることになるだろうと語る。

現実問題として、探査機を完全にきれいにする方法はない。そこでミッション科学者たちは、どのレベルの汚染まで許容できるかを決定しようとしている。有機物も無機物も、ある上限を超えないようにする必要がある。例えば諮問委員会は、どの試料についても全有機炭素濃度が40ppbを超えないようにすることを推奨している。

しかし、ドリルの刃は窒化タングステンからできているため、試料がタングステンで汚染されることは避けられない。つまり未来の科学者は、火星の岩石に対してハフニウム-タングステン年代測定法を利用することができず、他の選択肢の中から選ぶ必要があるわけだ。「そこは仕方ありません」とMcSween。

もう1つ、火星の表面で地球への帰還を待つ試験管がどこまで高温になるかも考えなければならない。Farleyの要請を受けたMcSweenの委員会は、さまざまな温度でどのような科学的情報が失われるかを分析し、60℃が許容できる上限であると結論付けた。それ以上の高温になると、一部の有機化合物の劣化や一部の鉱物の分解が始まるほか、研究を台無しにする恐れのあるその他の変化も起こる。そこで技術者たちは、試験管を酸化アルミニウムで被覆し、日光を反射して60℃未満に保てるようにすることにした。

NASAはまだ試料を持ち帰るためのミッションを計画していないが、試験管が無事に地球に戻ってきたら、研究者たちはあらゆる技術を用いて火星に生命が存在する可能性を調べることになる。彼らはアミノ酸やタンパク質前駆体をはじめとする複雑な有機化合物を探す。主要な分子の同位体比も、生命の存在を示す証拠になるかもしれない。実際、地球については、この比から生物過程の存在がはっきり分かる。ただ、どのような測定値の組み合わせが得られたら火星の生命の存在を証明できるかという点について、研究者たちの意見は一致していない。火星の岩石とその成分に関する観察結果が蓄積してくれば、説得力のある主張ができるようになるかもしれない。

言うのは簡単だが、実現は容易でないかもしれない。地球化学者であるFarleyは、宇宙線が岩石の化学的性質をどのように変化させるかを研究しているため、古代の火星に有機化合物があったとしても、表面に何百万年も露出していれば分解してしまうだろうと心配する。最良の試料を得るためには、崖の下など、高い所から落ちて割れた新鮮な岩石が転がっていそうな領域を探すのが良いかもしれない。

NASAの計画では、1~1.5火星年の間に、試料20本を慎重に選んでそれらの関連情報を記録することになっている。そのためローバーは、有望そうな試料採取地点を何カ所も回り、さまざまな地質学的環境の中から興味深い情報が得られそうな場所を決定する必要がある。ローバーは、試料を採取しながら、1つまたは複数の地点に試験管を置いて保管する。

現在も活動中のキュリオシティは、火星での4年半の間に15回の掘削を行い、16km以上走行している。マーズ2020は、もっと素早く仕事をしなければならない。「私たちはハイペースを維持しなければなりません。『この辺りで掘削しようか』などとのんびり相談している暇はありません」とFarley。

決着

マーズ2020が科学的成果を挙げられるかどうかは、どこに着陸するかに大きく左右される。NASAは当初、8カ所の着陸地点候補を検討していた。そのうちの半分は、かつての湖や三角州の他、長年にわたって水が存在し、かつ古代の生命の痕跡を保存できそうな堆積物が存在することが確認された所だ。残りの候補地点は、より古い時代の岩石がある所で、こうした場所では大昔に火星の地殻から熱水が噴出し、生命が栄えていた可能性がある。カリフォルニア工科大学(米国パサデナ)の惑星地質学者Bethany Ehlmannは、どの候補地点が選ばれるかで火星の科学の方向性が決まってくると説明する。

着陸候補地に選ばれたイェゼロ・クレーター。粘土鉱物が検出された場所で、かつて湖だったと考えられている。 Credit: NASA/JPL-Caltech/University of Arizona

2月には、カリフォルニア州モンロヴィアで開催されたワークショップで着陸地点候補が絞り込まれ、大シルティス台地北東部(火星の表面の中でも特に古い場所)、イェゼロ・クレーター(かつて湖があった場所)、コロンビア・ヒルズ(NASAの火星探査車スピリットが調査した場所で、かつて温泉があったと考えられる)の3カ所になった。打ち上げの1~2年前には、最終的に1つの着陸地点をNASAに推薦することになっている。

ミッションの設計についてもあらゆる側面から最終的な評価が行われ、JPLはいよいよ科学機器、試料採取システム、およびその他のハードウェアの本格的な製作に取りかかる。ローバーが完成したらテストを行い、2020年7月または8月の打ち上げを迎える。

試料を地球に持ち帰る時期については、NASAはまだ何も決定していない。マーズ2020ローバーの後の火星ミッションは、予算がつくどころか承認さえされていないのだ。だがNASA本部のマネジャーたちは、2022年にオービターの打ち上げを希望していることをほのめかしている。将来のミッションで通信の中継を担わせ、現在稼働している老朽化したオービターを交代させるためだ。その後は、火星の試料を地球に持ち帰ることを優先しつつ、有人火星探査計画もサポートすることになるだろう。NASAは現在、試料が入った容器(ボウリングのボール程度の大きさ)を火星周回軌道に乗せる「マーズ・アセント・ビークル」(MAV)のアイデアに関する初期の研究を助成している。軌道上の試料容器を回収して地球に持ち帰る探査機についてはまだ計画されていないが、地球に届けられた試料は厳しい検疫を受けることになるだろう。

Farleyは、1980年代後半に火星のサンプルリターンについて真剣に検討し始めたときのことを回想する。当時、NASAは実現には10年かかると見積もっていた。今でも、火星の試料が地球に届くには最低10年はかかるだろうと彼は言う。「少なくとも着手はしている点で、昔とは違いますがね」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2017.170418

原文

The $2.4-billion plan to steal a rock from Mars
  • Nature (2017-01-19) | DOI: 10.1038/541274a
  • Alexandra Witze
  • Alexandra Witzeは米国コロラド州ボルダー在住のNature記者。