現生人類の分散を描く
現生人類の大きな特徴として、その「旅心」が挙げられる。詩人のシャルル・ボードレールがそれを「家の恐怖(l’horreur du domicile)」と呼んだ話は有名だ1。現生人類は、アフリカにある進化上の生まれ故郷2から地球上のほぼ全ての居住可能な場所へ移動し(図1)、氷や砂漠、海や山などの障害を克服した。アフリカ発の人類分散の人数、時期、そして経路は、人類の過去について、そしてその過去が現在の人類のゲノム変動パターンにどのような影響を与えたかについての理解に影響する。Nature 2016年10月13日号の207、201、および238ページに掲載された3件の研究(Anna-Sapfo Malaspinasら3、Swapan Mallickら4、およびLuca Paganiら5)は、地理的に多様な集団の人々について新たな高精度ゲノムを787セット示した。これらのデータにより、人類の歴史的移動に関する従来のモデルを改良して拡張することが可能になった。
図1 人類の移動を描いた洞窟壁画
地理的に多様な集団の高カバー率ゲノム塩基配列に基づく3件の遺伝学研究3–5から、人類がいつ何回アフリカを出て世界中を移動したのかを含め、人類の歴史に関する手掛かりが得られた。 Credit: Peter Chadwick/Gallo Images/Getty
過去10年で全ゲノム塩基配列解読の技術が成熟し、かつては想像もつかなかった規模のデータが得られるようになった。2015年に完了した1000ゲノムプロジェクト6のようなゲノム規模のヒト研究は、さまざまな環境への適応能力をもたらす遺伝的変動とゲノム領域の列挙に寄与した。しかし、既存の遺伝的データは、集団サンプリングの広がりの限界やデータのカバー率の低さ(各ゲノム領域の配列がわずかな回数しか読み取られないため、エラー率が上がりバリアントの見逃しが生じる)など、さまざまな要因の制約を受ける場合が多い。この問題を解決するため、今回の3研究は、世界中の270を超える集団の個人を対象に、高カバー率の塩基配列データを収集した。この集団内および集団間の遺伝的多様性を調べることにより、各研究チームは、人類の過去に関する多くの問題に取り組むことができた。
原住民集団の遺伝子データは入手困難なことが多い上、そうした集団は急速に消滅しつつあるため、そうした集団の遺伝子データの目録を作成することは重要な仕事だ。MallickらとPaganiらはそれぞれ、基本的に研究が進んでいない地域の標本を幅広く入手しようと尽力した。対象には、遺伝的、言語的、文化的に極めて多様なアフリカ人集団が含まれる。Malaspinasらも同様に、オーストラリアで行った人類の遺伝的多様性に関する最初の大規模な調査の結果を示している。オーストラリアは、ニューギニア島とともに、アフリカ外の現生人類に関する最古級の考古学的証拠と化石証拠がありながら、研究が進められてこなかった地域だ。
こうした研究で得られた人類の遺伝的多様性に関する高精細像により、アフリカを出た人類の移動に関する新たな推論が可能になる。現在、人類のそうした分散には、対立する2つのモデルが存在する。1つは、人類の出アフリカは約8万~4万年前に起こった1回だけの出来事と想定するものだ。このシナリオでは、現在の全ての非アフリカ人が単一集団の血を引くとされる。対照的に、もう一方の多重分散モデル7は、最初の出アフリカ移動が13万~12万年前には行われ8、それが最終的に東南アジアとオーストラレーシアでの人類の定着に至るとするものだ。この集団は、アラビア半島やインド亜大陸の海岸沿いを通る南寄りの経路をとったと考えられている。最初の分散の数万年後、アフリカを出てレバント地方を通った第二の分散が起こり、この集団がユーラシア大陸で定着した。
表面上、今回の3研究は、出アフリカ分散について異なる結論に至っているように見える。Paganiらの知見によれば、パプア人の集団のゲノムの約2%は、その祖先が他のユーラシア人よりも早くアフリカ人から分かれたことを示している。この所見は、約12万年前にアフリカを出た現生人類の初期的な広がりがオーストラレーシアでの人類定着につながったとする多重分散モデルと一致する。この初期的な出アフリカ移動はその後の分散に先行するもので、現在のパプア人の血統に対する寄与はごく小さかったと考えられている。頭蓋の形態やそれ以外の遺伝学的データも、初期的な広がりの考え方を支持している9。
一方、MalaspinasらのグループとMallickらのグループは、事の推移について違った見方をしており、現在の非アフリカ人は全て単一の祖先集団から分岐したと考えている。Malaspinasらは、現生人類が出アフリカの直後に分かれ、二股の分散を生じたという証拠を示している。すでに提案されているように10、1系統はオーストラレーシアでの人類定着につながり、もう1系統は現在のユーラシア大陸人の祖先に寄与した。Mallickらの説は、ユーラシア大陸人が東側の集団と西側の集団に分かれたことがこの初期的な分岐に当たる、と考えるものだ。つまり、現在のオーストラリア人とパプア人は東アジア人と同じ流れを汲むのではないか、という考え方だ。
しかし、MallickらもMalaspinasらも、複数回の出アフリカ分散の可能性は排除していない。実は、初期的な分散が現在の非アフリカ人集団の遺伝子プールにほとんどあるいは全く寄与していない以上(Paganiらの知見に基づく)、両者のモデルは初期的な分散と矛盾しない。古いDNAの研究は、人類史のあちこちで集団の大規模な交代が起こったことを明示している。例えば、かつてユーラシアに住んでいた集団は、骨を除けば跡形もなく消滅しているのだ11,12。このように、提唱されたモデルの間には擦り合わせを行う余地が残されてはいるが、それぞれは見かけほど異質なものではない。
この3件の研究は、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人との遺伝的混合のモデルを明確化するための手だてももたらした。Malaspinasらは、現在のオーストラリア先住民のゲノムが過去に起こった未知のヒト族集団との接触の痕跡をとどめているのではないかと考えている。未知のヒト族集団からの遺伝子流入を示す証拠は不確かなものではあるが、幅広いサンプリングを行うことで人類のゲノム変動に関して予想外の事象が明らかになる可能性が示されたのである。
今回の研究は人類史のパズルに欠けていたピースを見つけたが、興味深い問題はまだ多数残されている。ヒトゲノムの多様性の継続的なサンプリングとますます高度化する統計ツールの開発により、人類の過去に関する秘密がさらに明かされることは間違いない。ただし、遺伝学の限界を認識することは重要だ。昔の人類が世界を歩き回って各地に定着したときの足取りを完全にたどるには、先例があるように13、言語学や考古学、人類学、遺伝学など、伝統的に分かれている学問領域の枠を超えてデータを組み合わせることが必要だろう。
翻訳:小林盛方
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 1
DOI: 10.1038/ndigest.2017.170126
原文
Population genetics: A map of human wanderlust- Nature (2016-10-13) | DOI: 10.1038/nature19472
- Serena Tucci & Joshua M. Akey
- Serena Tucci & Joshua M. Akeyはワシントン大学ゲノム科学科(米国シアトル)に所属。
参考文献
- Baudelaire, C. Journaux intimes (Crès, 1920).
- Stringer, C. B. & Andrews, P. Science 239, 1263– 1268 (1988).
- Malaspinas, A.-S. et al. Nature 538, 207–214 (2016).
- Mallick, S. et al. Nature 538, 201–206 (2016).
- Pagani, L. et al. Nature 538, 238–242 (2016).
- 1000 Genomes Project Consortium. Nature 526, 68–74 (2015).
- Lahr, M. M. & Foley, R. Evol. Anthropol. 3, 48–60 (1994).
- Armitage, S. J. et al. Science 331, 453–456 (2011).
- Reyes-Centeno, H. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 111, 7248–7253 (2014).
- Rasmussen, M. et al. Science 334, 94–98 (2011).
- Fu, Q. et al. Nature 524, 216–219 (2015).
- Fu, Q. et al. Nature 514, 445–449 (2014).
- Cavalli-Sforza, L. L. The History and Geography of Human Genes (Princeton Univ. Press, 1994).
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