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英国のEU離脱に戸惑う科学者ら

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 9 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160909

原文:Nature (2016-06-30) | doi: 10.1038/534597a | UK scientists in limbo after Brexit shock

Alison Abbott, Daniel Cressey, Richard Van Noorden

英国が国民投票でEUからの離脱を決めた。英国の研究者たちは予期せぬ影響に備えて身構え、科学研究をこれまでと同様に維持するよう政府に働きかけようとしている。

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LEON NEAL/AFP/Getty Images

英国で2016年6月23日に行われた国民投票で、投票者の52%が欧州連合(EU)からの離脱を選んだ。EU離脱決定による混乱は収まらず、離脱が英国の科学研究にどのように影響するのか、まだ誰にも分からない。多くの研究者は長期的な損失を心配し、予期せぬ副作用に備えて身構えている。

科学者たちは、短期的な経済への影響だけでなく、英国の大学の研究費の約16%を占めるEUからの研究資金が途絶える可能性や、英国と大陸間の移動の自由が失われることを恐れている。EU加盟国民は、EU加盟国であれば原則として自由に居住、就労できたからだ。

「私は昨日、科学者のキャリアに関する討論会に参加し、若い科学者にとってチャンスに恵まれた素晴らしい場所として英国を称賛したのですが、それは一夜にして変わってしまったように感じています」。インペリアル・カレッジ・ロンドン(英国)の感染症研究者Vanessa Sancho-Shimizuは、投票日翌日に行われたNature のアンケート調査でこう回答した。彼女はスペイン国籍で、同じような感想を述べる科学者たちは多い。

英国のEU残留を求める研究者らの運動を率いるMike Galsworthy。彼は、英国の科学研究を取り巻く状況を注意深く監視し、EU離脱のあらゆる副作用を早期に発見することが必要だと考えている。 | 拡大する

GAVIN BLACK PHOTOGRAPHY

研究者たちはすでに組織的な行動を起こしている。英国がEUの科学研究プログラムにとどまるよう、また、EU離脱に伴って発生するだろう研究資金の不足を国内の研究資金で補うため、政府に働きかけている。英国のEU残留を求める運動を行っている研究者らの組織「サイエンティスツ・フォー・イーユー」の代表を務めるMike Galsworthyは「予期せぬ影響を早期につかみ、対策を実行するために、ある種の緊急の監視活動が必要です」と訴える。

素粒子物理学や宇宙科学などへの研究資金を管理している英国政府組織「科学技術施設協議会」(STFC)の最高責任者John Womersleyは「英国の科学者たちが英国の離脱交渉戦略に影響力を持ちたいなら、科学者コミュニティにとっての優先事項は何かをはっきりさせ、それを強く訴え始める必要があります。私は、EUの研究補助金プログラム『ホライズン2020』に今後も参加できる保証を得ることこそ、科学者コミュニティにとって最高の、そして唯一の目標であるべきだと考えます」と話す。

ホライズン2020は、EUが1984年から行っている研究補助金制度の第8次プログラムであり、2014~20年の7年間でEU予算の約8%に相当する748億ユーロ(約8兆7000億円)を充てることになっている。

一方、英国のEU離脱を支持した、民間の教育コンサルタントJamie Martinは、今後を懸念している研究者たちにとって「究極の安心材料」になることを指摘したい、という。Martinは、大学などの研究者らの大半は英国のEU残留を支持していたことを踏まえ、「『離脱に投票を』運動の指導者たちの科学研究に対する考え方は、科学者たちと変わりありません。離脱派の指導者たちは、今後も技能を持った人々は他の国から受け入れる考えであり、また、研究資金が継続することの重要性も理解しています」と話す。

移民

英国が実際にいつ、EUを離脱するのかははっきりしない。英国政府がリスボン条約第50条に定められたEU脱退手続きを始める期日に決まりはない。英国が同条項の脱退手続きを始めれば、交渉プロセスが始まり、2年以内に結論を出さなければならない。テリーザ・メイ(Theresa May)新内閣の外務大臣に就任した前ロンドン市長ボリス・ジョンソン(Boris Johnson)ら、離脱を支持した運動家たちは、このプロセスをすぐに始める必要はなく、まずはEUとの非公式な交渉が持たれる可能性がある、としていた。

EU離脱を支持する人たちは、英国がEUを離脱すれば、移民の総数を減らすことができる一方で、より多くの熟練した研究者たちを呼び寄せることができるだろうと言う。離脱支持の運動家たちは、オーストラリアのような点数に基づいた移民制度を支持していた。そうした移民制度であれば、EU加盟国の研究者もEU非加盟国の研究者も公平に扱われることになるという主張だった。

しかし、英国が才能のある研究者たちにとってこれからも魅力的な国であるかは分からない。英国外からの研究者の中には、「今回の離脱運動で移民問題をめぐって過激な主張が叫ばれ、さらに国民投票は離脱を選びました。私たちはこの国ではあまり歓迎されていないと感じています」と話す者もいる。

カネ

主に英国籍の研究者が占めている研究室でも、今回の離脱決定を危機的状況とみているかもしれない。EUから英国への研究資金は、この10年間で約80億ユーロ(約9300億円)に上った。

英国は、欧州投資銀行(EIB)から大学や研究所への貸し付け額が最大である国であり、英国の大学や研究所は、2005年以降で28億ユーロ(約3200億円)以上をEIBから借りている。この額は、EIBがこの期間に高等教育と研究に貸し付けた総額の約28%を占める。EIBのスポークスマンであるRichard Willisは「取り扱いについてすでに合意があった貸し付けは安全ですが、検討が始まったばかりの貸し付けがどうなるのかははっきりしていません」と話す。

離脱を唱えた指導的な運動家たちは投票前、「現在、EUから研究資金を得ている英国の大学や科学者らは、離脱後も継続して研究資金を得られる」と約束した。

ホライズン2020に関して英国は、EU非加盟の15カ国がEUとの合意に基づき同プログラムに参加しているのと同様の参加形態を求めて交渉する可能性がある。しかし、多くの離脱支持者が要求していたように、英国が人々の自由な移動を制限することを選べば、それも難しくなるかもしれない。EU非加盟国のスイスはホライズン2020の「提携国」だったが、2014年の国民投票で移民を制限する決定をした後、「部分的提携国」に格下げされ、スイスの研究者たちはEU加盟国の研究者と同じようにはホライズン2020から研究資金を得ることができなくなった(Natureダイジェスト 2014年5月号「研究者の楽園スイスに垂れ込める暗雲」参照)。

カラム核融合エネルギーセンター(英国アビンドン)のセンター長であるSteven Cowleyは、「先のことまで考えると本当に心配でたまりません」と話す。同センターは、欧州委員会(EC)との契約に基づき、核融合研究施設「欧州トーラス共同研究施設」(JET)を運転している。JETに関する契約は2018年で切れるが、Cowleyは「契約は延長されると確信しています。なぜなら、フランス南部で建設中の国際熱核融合実験炉ITERに不可欠な専門的知見がJETで得られるからです」と言う。「真の問題は、欧州の次の大型核融合研究施設を誘致する競争に英国は加われないだろう、ということです」と彼は話す。

ITER計画において、EUは7つの主要な参加国・組織体の1つだ。英国はITER計画に参加し直す必要に迫られる可能性がある。そうなればその立場は、欧州原子核共同研究機関(CERN;スイス・ジュネーブ近郊)への参加形態と同じ、個別の国としての参加か、あるいはスイスのような、欧州組織の「準メンバー国」という形になるかもしれない。

政策

英国のEU離脱は、EUにとどまる国々の政治の動向にも大きく影響するかもしれない。

ドイツ、イタリア、オーストリアなどは、ヒト胚性幹細胞研究にEUが研究資金を出すことに反対してきた。一方、英国やスウェーデンなどは、適切な倫理的管理の下に研究資金が提供されることを求め、その結果、ヒト胚性幹細胞研究が禁じられた国からの研究者がヒト胚性幹細胞を自身で取り扱わない限り共同研究に資金提供してもよい、という取り決めにつながった。オランダのライデン大学医療センターの幹細胞研究者Christine Mummeryは「英国はこの問題に関し、許容可能で実行可能な妥協点へ議論を導く先頭に立っていました。もしも今後、英国がこのような決定に参加できないなら不安です」と話す。

欧州の他の国の科学者たちは、英国の投票結果が他の反EU運動に力を与え、今後、自身の国の科学研究を支える基盤が危うくなることを心配している。すでにフランス、オランダ、デンマークの右翼ポピュリズム政治家は自国でも国民投票を行うことを求めている。

英国のシェフィールド大学の科学政策研究者James Wilsdonは、「EU離脱には、EUの研究資金や科学政策を今後も利用できるかという問題だけではなく、英国の研究者たちが向き合わなければならない、もっと根本的な問題があります」と指摘する。「それは、大学などの研究者や科学関係のロビー活動グループ、その他の専門家らの大半はEUにとどまることを支持したのに、一般の人々にはその声は無視された、という事実です」と彼は話す。

「今回、英国はEUを離脱すべきかという大きな問いがあり、それに対して科学界は、たくさんの根拠のある分析と経験的証拠をもとに『離脱すべきではない』と訴えてきました。しかし、一般の人々の52%はそれにノーを投じました。私たちはこの事実を前に、真剣に自己を見つめ、深く考えることが必要でしょう」とWilsdonは話す。

(翻訳:新庄直樹)

Davide CastelvecchiとElizabeth Gibneyも取材・執筆した。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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