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老化研究に大きな予算

Natureダイジェスト2016年1月号「老化を制御し、予防する」より。今井教授が解明に取り組んでいる、哺乳類における老化・寿命制御の組織間コミュニケーション概念図。
脂肪組織の脂肪細胞内にあるNAMPT(iNAMPT)は血中に分泌されるとeNAMPTとなり、それがNMNの合成を促進する。NMNは脳血液関門を通って視床下部でのNAD+合成を賦活化し、それがサーチュインを活性化すると考えられる。

文部科学省は、老化研究を本格化させる方針を固め、2017年度予算の概算要求に盛り込むことを、2016年6月20日に公表した。老化のメカニズムの解明が近年、世界的に大きく前進し、抗老化作用のある物質の開発が進むことを受けての決定だという。

実は先進国では、以前から老化の基礎研究の重要性が認識され、多大な国家予算が投じられてきた。例えば、米国にはNIH(国立衛生研究所)内にNIA(National Institute on Aging)が設立されており、NIAが米国の大学などの研究機関に研究費を配分するのだが、老化・寿命の基礎研究に充てられる2016年度予算は、1億8400万ドル(約202億円)にも上る(文科省ライフサイエンス委員会基礎・横断研究戦略作業部会の資料による)。

1997年に日本から米国に渡り、抗老化作用を持つサーチュイン(NAD依存性ヒストン脱アセチル化酵素)やNMN(ニコチナミド・モノヌクレオチド)などの研究で世界をリードしてきたワシントン大学セントルイス校の今井眞一郎教授は、「社会の高齢化から生じてくる諸問題を解決するための方策を見いだそうと、欧米は意欲的に研究に取り組んできています。ですから、今、日本でこうした老化研究の国家プロジェクトが始まることは非常に素晴らしいことです。十分な予算をつけて本格的に行うことが重要だと思います」と語る。

では、老化研究が高齢化社会にもたらす恩恵とは何だろうか。老化とは、「加齢による肉体的・精神的機能低下」と定義されるが、加齢による機能低下には生物種間で進化的に保存されている制御メカニズムが働いているという点が、近年の発見に基づく極めて重要な捉え方なのである。そのメカニズムを解明し、老化を遅延させる方法が見つかれば、健康寿命(日常生活に制限のない期間)を延長できるだろう。つまり、老化の遅延により、アルツハイマー病や糖尿病、脳卒中などの高齢者がかかりやすい疾患を個別に予防するのではなく、まとめて効率的に予防できるのではないか。その結果、多くの人が望むといわれる「ピンピンコロリ」(死ぬ直前まで健康でいること)の達成につながると期待される。

とはいえ、老化の遅延により高齢者の寿命が延びれば、医療費や介護費などを増やすことにはならないだろうか。この疑問に対しては、ライフサイエンス課の資料によれば、マウスにおける種々の抗老化研究から、寿命の延長より健康寿命の延長の方が著しいと確認されている。もし、ヒトでも同様に健康寿命の延長が達成できれば、日本の介護費は、年間1.7兆円削減できると予測される。

文科省の発表に続く7月11日、慶應義塾大学は、NMNを人体に投与したときの安全性を調べる第一相臨床研究を始めると発表、現在研究が進行中だ。NMNはもともと生体組織に存在し、サーチュインを活性化して老化を遅延させることが、今井教授によりマウスで発見され、世界の抗老化研究の流れを作ったことでも有名だ。

今井教授は、「日本は高齢化の速度が最も速い国の1つ。薬やサプリメントをはじめ、応用を目指した展開を考えると、日本が主導することには大きな意義がある」と、NMNの臨床研究の重要性を指摘する。

もっとも、NMNの臨床研究は世界初であるが、サーチュインを活性化する効果は、実はNMNによく似た物質NR(ニコチナミド・リボサイド)にもあることが知られており、こちらはすでに臨床研究が欧米でスタートしている。NMNとNRの臨床研究は、今後激しい競争状態に突入するといえよう。

サーチュインの研究を今井教授とともに主導してきたレオナルド・ガレンテ教授(マサチューセッツ工科大学)は、今回の文科省の決定に対し、「日本の研究者は、老化や老化関連疾患の研究で重要な役割を果たしてきている。その基礎研究への本格的な投資は、健康維持、疾患予防に役立ち、活発で生産的な人生を人々にもたらすことに、大いに貢献するだろう」と期待を寄せている。

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160926