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ヒト胚の体外培養で最長記録達成

ヒト胚培養の技術が進歩すれば、扱う胚の受精後日数について倫理的な議論が再燃する可能性がある。写真は今回培養されたヒト胚。 Credit: ALESSIA DEGLINCERTI/GIST CROFT/ALI H. BRIVANLOU

発生生物学者のチームがヒト胚を体外で受精後13日目まで育て、従来の受精後9日目までという記録を更新した。この成功によってすでに、ヒト初期発生の特徴が新たにいくつか見つかり、その中にはヒト胚でまだ見つかっていなかったものもあった。また、今回使われた培養法は、妊娠がうまくいかない理由の一端を突き止めるのにも役立つかもしれない。

この成果はNature1Nature Cell Biology2で報告された。じきにヒト胚をもっと進んだ発生段階まで培養できるようになる可能性も出てきたが、それに伴って、技術的課題だけでなく倫理的課題も浮かび上がる。多くの国や医科学系の学会では、受精後14日目を越えたヒト胚の研究を禁じており、この点を踏まえて、今回の研究チームは実験をこの日数よりも前に終了させている。

ヒト以外の動物の最も初期の発生段階については、数十年前からさまざまな種で調べられてきた。「21世紀になったのに、我々自身の発生よりも魚やマウス、カエルの発生の方がよく分かっているなんて、正直情けない気持ちです」と、ロックフェラー大学(米国ニューヨーク)の発生生物学者でNature掲載論文の研究を率いたAli Brivanlouは話す。「この点を学生たちに分かってもらうのは、ちょっと難しいですが」。

今回のヒト胚培養に用いられた技術は、ケンブリッジ大学(英国)の発生生物学者Magdalena Zernicka-Goetzらのチームが、マウス胚を用いて開発した。子宮内の状態を模倣するため、多くの研究者は母親由来の細胞層の上で胚を育てようとしてきたが、Zernicka-Goetzらが選んだのは酸素濃度を高くしたゲルマトリックスだった。その結果、マウス胚は、器官になる細胞層を形成する原腸形成期を過ぎても生存した3。「見ていて信じられませんでした」とZernicka-Goetzは振り返る。

ヒト胚発生を知る手掛かり

Zernicka-GoetzらはNature Cell Biologyで、マウスで開発したこの培養法を、体外受精(IVF)クリニックから提供されたヒト胚にどのように適用して調べたかを報告した2。またZernicka-GoetzとBrivanlouを含むチームはNatureで、ヒト胚と他の動物の胚とで、同様の発生段階において発現する遺伝子群を比較し、ヒト胚発生の進行を調べて報告した1。さらにZernicka-Goetzらは、子宮摘出などの処置に伴い採取された胚を調べた1956年の研究データ4を用いて、ヒト胚の構造的発達の評価も行った。

2つの研究チームは、分化し始めたヒト胚の細胞を細かく観察し、ヒトの発生に固有な複数の特徴を明らかにした。例えばBrivanlouのチームは、受精後10日目頃の胚に現れて12日目頃に消える細胞群を見つけた。

この細胞群の機能はまだ分かっていない。ピーク時には胚の5〜10%を占めるほどになるが、これは一時的に現れる器官だと思われる。おそらく、尾と似たような経過をたどるのだろう。「ヒト体内に新しい器官が見つかったようなものです」とBrivanlouは話す。

ヒト胚発生初期のin vivoin vitroの比較
ヒト胚発生では、卵割期が終わった細胞は胚盤胞と呼ばれる構造を形成する。この構造は、胎児を形成する①胚盤葉上層と、胚の成長をサポートする②原始内胚葉および③栄養外胚葉で構成されている。
in vivoでは、授精して約12日後、胚盤胞が子宮に着床し、最初の細胞系譜の決定がなされる。①胚盤葉上層は、羊膜腔および原条(体を構成する三胚葉が形成される際に細胞の通路となる細胞隗)を形成する。②原始内胚葉由来の細胞は、発生初期の胚の血液供給に関与している卵黄嚢を形成する。③栄養外胚葉由来の細胞は、胎盤などの胚盤胞の外部の構造を形成する。
Deglincertiら1およびShahbaziら2は、in vitroでヒト胚盤胞を培養し、in vivoの胚とは空間的な配置は異なるものの、類似の構造と腔所の形成を観察した。また、Deglincertiらは培養過程で、卵黄嚢を取り囲む過去に報告のない細胞群を観察し「卵黄嚢栄養外胚葉(yolk-sac trophectoderm)」と名付けた。この細胞の起源はまだ明らかではない。 Credit: Nature 533, 182–183 (2016)

今回開発された培養法のおかげで、ヒト胚とマウス胚で発現する遺伝子群の差異が非常に大きいことも明らかになった。このことを踏まえると、齧歯類はヒト発生を解明するためのモデルとしてあまり適していない可能性がある。

今回の培養法は研究者の関心を広く集めそうだ。メルボルン大学(オーストラリア)の幹細胞研究者Martin Peraによれば、in vitroで胚を調べることができれば、幹細胞を胚様構造まで分化・発生させようとしている研究者が自らの研究の正確さを判定するのに役立つのではないかという。

幹細胞由来の胚様構造の評価体系が出来上がれば、これを使って先天異常の発生や毒性化合物の胚への影響などを調べることができるだろう。

生殖医療業界にも、この新しいin vitro技術からの恩恵がありそうだ。体外受精クリニックのCenter for Human Reproduction(米国ニューヨーク市)の院長Norbert Gleicherによれば、母体の子宮内に移植した胚の約50%は生き残れない。そうした場合の原因を解明するのに、in vitroでの胚研究が役立つと考えられる。「着床の過程は、我々臨床医にとって大きなブラックボックスなのです」と、Brivanlouと共同研究を続けているGleicherは話す。Gleicherは今回取り上げた研究には参加しなかったが、胚が着床過程を完遂できる能力を体外受精クリニックで評価する方法を探るために、このin vitro培養法を使い始めている。

その一方で、胚をこのようにin vitroで受精後13日目まで育てられるようになると、倫理面や行政面の検討事項が生じてくる。英国を含む少なくとも12カ国が、受精後14日目を越える胚を使った研究を禁じている。米国政府は1979年に、ヒトで受精後14日目に原腸形成が開始することに基づいて、こうした制限を示唆する指針を作成した。受精後14日目という発生日数は、1個の胚が2つに分かれて一卵性双生児となり得る限界の発生段階でもある。つまり論理的には、この時点を過ぎれば唯一無二の個体が発生することになる。

Credit: Nature 533, 169–171 (2016)

Zernicka-GoetzとBrivanlouは、彼らの手法で育てた胚が受精後14日目をはるかに越えても生存するとは思っていない。なぜなら、マウスの研究からみて、さらに発生が進んだ胚が生存していくには、母体由来のホルモンや栄養素が必要になると考えられるが、その組み合わせや量はまだ分かっていないからだ。また、ヒト胚がさらに発生するには、今回の実験で使われたような平坦なプレートではなく、おそらく、成長用の三次元的な足場が必要だろう。Zernicka-GoetzとBrivanlouはさらに情報を得るために、ヒト以外の霊長類やウシの胚を使った実験に取り掛かっている。

一方、ボストン小児病院(米国マサチューセッツ州)の幹細胞研究者George Daleyは、今回のin vitroでの研究成果が、ヒト胚研究の受精後日数の制限を再検討する論拠になるかもしれないと話す。彼によれば、この日数制限は少々恣意的だという。この問題をめぐる議論は複雑で激しいものになるだろうし、ヒト胚を直接扱う研究者の頭越しに議論が交わされる可能性もある。もし、幹細胞を胚様の構造物へと発生させることに成功した場合、その構造物を胚とみなすかどうか、つまり14日胚ルールの対象となるかどうかを判断することは難しいだろう5。「我々は、今回の研究が明らかになる以前から、この興味深い倫理的な議論を展開してきました」とPeraは話す。

しかし事は成された。Brivanlouによれば、今回報告された新しい技術のおかげで、発生生物学の研究においてさまざまな取り組みが可能になるだろうという。「観察できる胚発生の限界が1時間延びるたびに新しい宝箱が開いていくのです」と彼は述べている。

翻訳:船田晶子、図版翻訳:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160807

原文

Human embryos grown in lab for longer than ever before
  • Nature (2016-05-05) | DOI: 10.1038/533015a
  • Sara Reardon

参考文献

  1. Deglincerti, A. et al. Nature 533, 251–254 (2016).
  2. Shahbazi, M. N. et al. Nature Cell Biology 18, 700–708 (2016).
  3. Bedzhov, I., Leung, C. Y., Bialecka, M. & Zernicka-Goetz, M. Nature Protocols 9, 2732–2739 (2014).
  4. Hertig, A. T., Rock, J. & Adams, E. C. Am. J. Anat. 98, 435–493 (1956).
  5. Pera, M. F. et al. Nature Methods 12, 917–919 (2015).