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ヒト脳プロジェクトが計算ツールを公開

Credit: ALFRED PASIEKA/SCIENCE PHOTO LIBRARY/Science Photo Library/Getty Images

欧州の大規模脳研究計画であるヒト脳プロジェクト(HBP)が2016年3月末、研究を支援するプロトタイプの計算ツールを公開し、世界中の神経科学者にそれらを使い始めるように求めた。計算ツールの公開は、計画が助走段階を終え、本格的に始動したことを示しているが、迷走した計画の先行きはいまだ不透明だ。

ヒト脳プロジェクトは2013年10月にスタートした。その目標は、さまざまなタイプの神経科学データを統合し、ニューロン内の分子レベルのプロセスから脳全体までさまざまなスケールのヒトの脳の働きをコンピューター上で再現すること、つまりはヒトの脳のシミュレーションを行うことだ。10年間の計画に欧州委員会などが総額で約10億ユーロ(約1200億円)を投じることになっている。

計算ツールはハードウエア、ソフトウエア、データベース、プログラミングインターフェースなどの集まりで、プロジェクトでは研究プラットフォーム(基盤)と呼んでいる。脳のシミュレーションツール、視覚化ソフトウエア、脳内のプロセスをリアルタイムで研究するための遠隔アクセス可能な2基のスーパーコンピューターなどが含まれている。開発には約800人の科学者がかかわった。

プラットフォームの一部には自由にアクセスできるが、その他は、利用申し込みがピアレビューで認められた場合のみ利用できる(go.nature.com/rlpjpz参照)。プロジェクトは、プラットフォームを世界中の研究者に使ってもらい、フィードバックをもらうことで協力して改良していきたい考えだ。

プラットフォームの公開は、この大型研究計画の意義について科学者たちが抱いている懸念も和らげることになるかもしれない。しかし、このプラットフォームが、プロジェクトに直接加わっていない研究者たちの支持を得られるのかはまだ不透明だ。ルートヴィッヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ドイツ)の計算論的神経科学講座の教授であるAndreas Herzは「プラットフォームが成功するかは、現時点では誰にも分かりません」と話す。

この計画は研究者たちの間に議論を引き起こしてきた。2014年7月、プロジェクト外の約150人の欧州の神経科学者たちが、この計画は分子レベルからのボトムアップ的な研究手法に偏りすぎているなどと主張し、改善要求に応じなければ計画に参加しないと宣言した公開抗議文を欧州委員会に提出した。特に、認知神経科学とシステム神経科学を計画の中心部から突然外したことや、計画の管理方法に批判が集まった。この結果、27人の科学者からなる調停委員会が設置され、調停委員会は2015年3月に報告書をまとめた。報告書は、神経科学者らの懸念を認め、認知神経科学などを計画の中心部に戻すことを勧告し、ヒト脳プロジェクトが作る計算機インフラは幅広い科学者コミュニティにとって有用なものでなければならないことを強調した。

「このプロジェクトは、神経科学研究者コミュニティ全体に具体的に貢献することに力を注がなければなりません。プロジェクトの主導者たちもその必要性を認めたことを、今回のプラットフォームの公開は示しています」とHerzは話す。しかし、「ニューロンから集めたまばらな記録データで密なデータを作ることができると夢見ているなど、プロジェクトは論理的な問題を抱えています。成功するか否かは、そうした課題を今後どうするか次第です」とHerzは警告した。

ヒト脳プロジェクトの主導者の1人でスイス連邦工科大学ローザンヌ校のPhilippe Gilletは記者会見で「プラットフォームは、将来的には永続的で全欧州的な研究インフラの一部になるものとして開発されています」と話す。しかし、そのためには、プロジェクトは永続的な予算の保証を欧州委員会などから得る必要がある。

翻訳:新庄直樹

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160711

原文

Human Brain Project releases computing tools
  • Nature (2016-04-07) | DOI: 10.1038/nature.2016.19672
  • Quirin Schiermeier & Alison Abbott