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がんの進化を利用した治療戦略

増殖する腫瘍細胞の顕微鏡像。腫瘍細胞はオキサリプラチンなどの化学療法薬に対して抵抗性を進化させる場合がある。 Credit: MARGARET OECHSLI

トリノ大学(イタリア)のがん生物学者Alberto Bardelliは6年ほど前に、標的療法を研究していて行き詰まってしまった。標的療法では、腫瘍の増殖を促進する変異に対応するようあつらえた分子標的薬を投与する。この戦略は有望視され、実際に一部の患者では目覚ましい効果が現れた。ところが、やがて必ずと言っていいほど、患者の腫瘍はその薬剤に抵抗性を持つようになり、Bardelliは患者に腫瘍が再発するのを幾度となく見ることになった。「壁にぶつかりました」と彼は振り返る。その後、問題は特定の変異にあるのではないのだとBardelliは気付いた。「不運なことに、我々の前に立ちはだかっているのは地球上で最も強い力の1つなのです」と彼は話す。

腫瘍が進化することは以前から知られていた。腫瘍が増殖するにつれて変異が生じ、遺伝学的に異なる細胞の集団が現れる。治療を行うと、投与した薬剤に抵抗性のある細胞が生き残って数を増やしていく。どんな薬剤を使っても、腫瘍はそれに適応するように見える。それなのに、この適応過程を解明する糸口がつかめずにいた。がんは体内で何年もかけて進化するからだ。「患者さんにはいつも、『がんはダーウィンが唱えたように進化する』と説明していました。しかし我々には、これを明確に実証できるだけの十分な証拠がありませんでした」と、フランシス・クリック研究所(英国ロンドン)のがん研究者Charles Swantonは話す。

しかし現在、状況は変わり始めている。塩基配列解読の技術が進み、試料や臨床の膨大なデータ・コレクションが発達したおかげで、情報の断片をつなぎ合わせて、がんの進化の全体像をより正確に把握できるようになってきたのだ。抵抗性の発生経緯が次第に明らかになる中で、がんのタイプによっては抵抗性を克服できそうな方法も次々と見つかっている。使える治療法の種類も増えており、生物学者らは、がんの進化に関する手掛かりをフルに生かそうとしている。

「がんは適応し続けています。我々もそれに追随すべきです」とBardelliは言う。そうした考えから彼は、2015年に研究室のテーマを「がんの進化」にシフトさせた。彼のチームはこの年に、大腸がんが複数の標的療法の併用に対してどのように応答するかをモデル化した1。このデータから、腫瘍細胞に抵抗性を生じさせずに治療する方法が見つかる可能性がある。「進化の跡をたどって治療する方法の可能性について、我々は今、極めて興味深いデータを持っています」と彼は話す。

進化の系統樹

腫瘍は、遺伝的に異なる細胞の集団である。 Credit: SPL - MOREDUN ANIMAL HEALTH LTD/Brand X Pictures/Getty

がん細胞はさまざまな変異を抱えている。2012年にSwantonらが、腎臓がんの患者2人から採取した多数の生検試料について塩基配列を解読したところ、1人の患者由来の試料でも同じものが2つとなかった2。Swantonらは、原発腫瘍だけでなく、患者体内のあちこちに広がったサテライト腫瘍(転移巣)も調べた。その結果、1人の患者につき100個以上の変異が見つかったが、全ての試料に存在していた変異はそのうちの約3分の1にすぎなかった。

1人のヒトに由来する多様ながん細胞同士の類縁関係は、進化生物学における生物種同士の類縁関係とほぼ同じやり方で調べることができる。つまり、「系統樹」という枝分かれ図を作って、複数の「子孫」から共通祖先までたどる方法だ。最初の悪性細胞に生じた変異は、がんの進化系統樹の幹に位置し、そうした変異は枝先にある全ての腫瘍細胞に受け継がれることになる。後になって生じた変異は系統樹の枝だけに存在する。したがって、腫瘍を退治するには系統樹の幹にある変異を攻撃しなければならないのだとSwantonは話す。

幹部分の変異の一部を標的とする治療法はすでに存在しており、それらは最初の段階では劇的に効く場合も多い。しかしその後、Bardelliが経験したように、抵抗性が発生してしまう。「我々は『腫瘍が小さくなるほど治療は成功だ』と考えがちで、残った腫瘍がどんなものかはあまり考えてきませんでした。その正体は多くの場合、治療が効かなかった抵抗性のクローンなのです」とSwantonは言う。しかし彼は、複数の「幹部分の変異」を同時に標的にすることで初めて、がんの一掃が実現できるのではないかと考えている。がん細胞が2面もしくは3面からの攻撃を回避できる可能性は低いからだ。

これを行う1つの方法は、複数の標的治療薬の併用である。「理論的に見て、この方法には見込みがあります」と、ジョンズホプキンス大学シドニー・キンメル総合がんセンター(米国メリーランド州ボルティモア)のがん遺伝学者Bert Vogelsteinは話す。実際に彼がハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の進化生物学者Martin Nowakとこの戦略をモデル化したところ、抵抗性出現の仕組みが全く異なる2種類の標的薬を使えば、転移がんを十分に抑え込めそうなことが分かった3。さらに、転移巣が多数ある患者に関しては3種類の標的薬が必要らしいことも示唆された。

標的薬を併用する方法はすでに、臨床で試験段階に入りかけている。しかしSwantonは、がん関連変異の大部分にはそれらに作用する標的薬が現在のところ皆無であることを指摘する。また、既存の薬剤を併用しながら患者に有害な作用が出ないようにするのは至難の業だということも分かっている。そのためSwantonは現在、免疫系ががん細胞を認識して破壊するのを助ける「免疫療法」に注目している(Natureダイジェスト2014年7月号「長い低迷期を抜けた免疫療法」)。

免疫系が脅威を察知する方法の1つは、細胞表面を探査することだ。細胞内部の異常を知らせる分子(抗原)が現れていないか探すのである。がん細胞の遺伝学的な異常は、免疫応答を引き起こし得る抗原としてDNA上にコードされている場合がある。Swantonらは、免疫療法の効果を左右するのは、免疫系が応答する抗原が、がんの進化系統樹の幹部分にある変異由来か枝部分由来かではないかと考えた。

そこでSwantonらは、がん患者数千人分の遺伝学および臨床データのコレクションである「がんゲノムアトラス(TCGA)」の試料を調べ、その結果を2016年3月に報告した4。解析結果から、幹部分の抗原を多数持っていて、枝部分の抗原に対する幹部分の抗原の比率が高い肺がん患者は、幹部分の抗原がほとんどないか、もしくは枝部分の抗原の割合が高い患者に比べて生存年数が長いことが分かった。さらに、幹部分の抗原を多く持つ患者は免疫療法への応答が良好なようだった。これは納得できる結果だとSwantonは言う。なぜなら、免疫系が幹部分の抗原を標的にすれば、「小枝をちまちまと切り落とす」よりもたくさんのがん細胞を攻撃することになるからだ。

この研究はまだ初期段階だが、Swantonは今、得られた知見を裏付ける助けとなり得る臨床研究を指揮している。肺がんと診断された患者850人が治療を受けてたどる経過と、場合によっては死亡するまでを追跡する、「TRACERx(Tracking Cancer Evolution through Treatment (Rx))」というプロジェクトだ。時間経過とともに腫瘍が遺伝学的にどう変化していくかを明らかにし、肺がんはどのように進化するのか、またその過程に治療がどう影響を及ぼすのかを調べる。

Swantonは、このデータが得られたら、進化に基づく治療戦略を試験するために十分な資金を集めたいと思っている。1つのアプローチは、腫瘍内の免疫細胞を見つけ出し、それらを実験室内で増殖させてから患者に注入して戻す「養子免疫細胞移植」だろう(Nature ダイジェスト2015年3月号「自己T細胞移入療法でがん患者の生存期間が延長」)。すでに使われている類似の戦略では、全てのがん抗原を認識する免疫細胞を選んで用いるが、Swantonらは、全てのがん細胞表面に存在する「系統樹の幹部分の抗原」を認識するような免疫細胞を選んで使う予定だ。

この戦略は安価ではない。だが、標的療法でも次々と薬をつぎ込むことになれば費用はかさみ、最終的には全て失敗に終わってしまう可能性だってある。「治療コースは1つにつき1万〜10万ドル(約110万〜1100万円)かかります。転移性のがんを治せる治療法が開発できれば、がん治療の全費用対効果分析や医療経済モデルは劇的に変わります」とSwantonは話す。

がん細胞同士の競争

進化の原理を応用することで、免疫系の手助けを借りて腫瘍を退治できるかもしれない。だが、モフィットがんセンター(米国フロリダ州タンパ)の分子腫瘍学者Robert Gatenbyの目標はもう少し控えめで、患者ががんを抱えて生きるのを手助けしたいというものだ。Gatenbyは1990年代初めに、がんを進化の問題として考え始めた。当時、彼はフォックス・チェイスがんセンター(米国ペンシルベニア州フィラデルフィア)に勤務していた。そこでがん再発患者を多数見た彼は、がんが生物学的な問題というより邪悪な魔術のようなものに思えてきてしまった。「がんは悪魔のような存在です。何度も再発し、最善の治療を施しても無に帰してしまうのですから」とGatenby。しかし、進化の観点から考えるようになって、この問題に再び取り組めるようになったのだと彼は言う。

Gatenbyは、がんとの最善の闘い方を見つけ出すため、がんの数理モデル化を試み始めた。そして作製したモデルから、多くのがん専門医が間違ったアプローチをしている可能性があることが分かってきた。通常、化学療法を行うときは、できるだけ多くのがん細胞を殺そうと、患者が耐えられる最大用量の薬剤を投与する。こうすることで、がんが抵抗性を進化させる前に一掃してしまおうという考えだ。

しかし近年の研究から、治療開始のかなり前から薬剤抵抗性のある細胞が腫瘍に存在していることが示唆されている5-7。抵抗性を持つことには適応度の面でコストがかかるため、治療開始前の抵抗性細胞集団は小さいままである。しかし、患者に大量の化学療法薬が投与されると、抵抗性細胞は感受性細胞よりも環境に適応するようになる。Gatenbyは薬剤抵抗性を「傘」にたとえ、「雨が降っていれば傘はとても役に立ちますが、雨が降っていなければ荷物になります」と説明する。薬剤の投与量を管理したり投与時期を注意深く調整したりすることで、感受性細胞と抵抗性細胞の間で自然に起こる競争を治療に生かせるだろうとGatenbyは考えている。

Gatenbyは最近、このアイデアを2種類のヒト乳がんを移植したマウスで検討した8。化学療法薬パクリタキセルについて、標準的な最大耐性用量を投与したところ、投与を止めるとすぐに腫瘍が息を吹き返した。また、腫瘍が縮小し始めたら投与を休むという手順も試したが、それも効果がなかった。第3のマウス群では、最初に標準的な高用量を投与したが、腫瘍が縮小し始めると用量を減らし、感受性細胞を一定数維持しながら投与を続けた。この戦略は、マウスの生存率が最も良くなり、試験したマウス5匹のうち3匹は薬剤投与を完全に停止することもできた。こうした「適応型療法(adaptive therapy)」の意図は、腫瘍の応答の仕方に応じて、薬剤抵抗性細胞と感受性細胞の数のバランスを維持することだ(「進化する抗がん戦略」参照)。「これは比較的簡単にやれることなので、がん生物学の最も画期的な進展の1つだと思います」と、アリゾナ州立大学(米国テンピー)の生物学者でGatenbyと共同研究をしているCarlo Maleyは話す。

モフィットがんセンターでは2015年5月に、この種の適応型療法が前立腺がん患者の治療に役立つかどうかを調べる予備研究を開始した。がん進行のマーカーとなる前立腺がん特異的抗原(PSA)の値を患者でモニターしながら、その値に応じて標準的な化学療法を施したり止めたりするのだ。過去にも断続的に薬剤を投与する療法の研究がなされているが、この種のプロトコルでは一般に、投与サイクルの厳格な管理が必要である。「適応型療法では、腫瘍の応答によって投与のオン・オフのサイクルが決まります」とGatenbyは話す。彼はまた、臨床試験から得た分子レベルや臨床の大量データを利用して、適応型療法の今後の指針を示してくれるコンピューターモデルを開発しようと考えている。

進化の二重拘束

医師の間では、がんの進化にはこれら以外にもパラダイムが存在していることが知られている。2016年1月、マサチューセッツ総合病院(米国ボストン)の胸部腫瘍医Jeffrey Engelmanらは、転移性肺がんの52歳の女性患者の症例を詳しく調べ、The New England Journal of Medicineに報告した9。その腫瘍には、異常型のALKタンパク質を産生する遺伝的再編が見られた。そのため担当医はまず、ALK阻害剤のクリゾチニブを投与した。患者の応答は18カ月にわたって良好だったが、その後再発した。第2世代のALK阻害剤も効かなかったため、現在まだ臨床試験中である第3世代のALK阻害剤(ロルラチニブ)に移行した。これは一時的に効いたが、1年足らずで女性の肝臓が機能不全になり始めたため、入院せざるを得なくなった。ところがその後、ロルラチニブが新しい抵抗性変異の出現を促し、この変異のおかげで、患者のがんが再びクリゾチニブに応答するようになったことが分かった。そこでクリゾチニブを投与したところ、患者の症状が改善され、肝臓も回復して退院できるまでになった。

この女性の腫瘍がクリゾチニブに対して再び感受性を持ったことは、Engelmanらにとってうれしい偶然だった。しかし、こうした道筋をがんに意図的にたどらせることもできるかもしれない。Gatenbyはこの戦略を「進化の二重拘束」と呼び、以下のように説明する。例えば、ラットの個体数を、タカなどの捕食者を導入することで制御してみよう。タカは空中からラットを見つけて捕食する。この種の捕食によって、茂みの下に隠れるラットが選択される。そこで、やはり茂みの下に隠れるヘビを導入する。ヘビによる捕食で、開けた場所を好むラットが選択され、その結果ラットはタカに捕まりやすくなるというわけだ。これと同じやり方が、がんにも適用できるかもしれない。ある治療薬を使って、がんに第2の治療薬に対する感受性を持たせてから、第2の薬を投与するという手順を繰り返すのだ。これは「場当たり的なものではなく、進化の動態を利用する考え抜かれた方法だ」とGatenbyは言う。

Credit: Sebastian Kaulitzki/Hemera/Getty Images Plus/Getty

ピーター・マッカラムがんセンター(オーストラリア・メルボルン)のがん研究者Ben Solomonは、まさにこの戦略を臨床試験で試そうとしている。多くの肺がん患者では、上皮増殖因子受容体(EGFR)の遺伝子に変異がある。変異型EGFRを標的とする薬剤はいくつか承認されているが、腫瘍は必ずそれらの薬剤に抵抗性を持つようになる。この抵抗性は、患者の約半数ではEGFR遺伝子にT790M変異(790番目アミノ酸のトレオニンがメチオニンに変化)が生じることでもたらされている。2015年に米国食品医薬品局(FDA)は、オシメルチニブと呼ばれる分子標的薬を承認した。この薬は、標準的な変異型EGFRに加えてT790M変異型EGFRを阻害するが、オシメルチニブに応答する患者は1年以内に再発する傾向が見られる。

Solomonらは、臨床試験の被験者にまずオシメルチニブを使い、その後、血中を循環する腫瘍DNAを追跡して抵抗性をモニターしていく計画を立てている(Natureダイジェスト 2014年10月号「血流が運ぶ情報」)。予想どおりにいけばT790M変異の減少が見られるはずだ。T790M変異が実際に減少すれば、T790M変異型EGFRを阻害しない第1世代のEGFR阻害剤に切り替える。その後またT790M変異が増えた場合は、再度オシメルチニブに切り替える。「オシメルチニブへの抵抗性の出現を遅らせたいなら、オシメルチニブによる選択圧を持続させないようにすることだ、というのが我々の考えです」とSolomonは話す。彼は、この臨床試験の最終承認を待ちわびている。

ここまで挙げた戦略のいずれかが有効だという保証はない。しかし、たとえ臨床試験が失敗に終わっても、得られた結果は理論を練り直すのに役立つだろう。さらには、大きな謎に迫る手掛かりが得られるかもしれない。例えば、1個の腫瘍内にある遺伝学的に多様な細胞はどのように相互作用しているのだろうか。また、それらの細胞を取り巻く微小環境の役割はどんなものだろうか。ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のがん専門医Kornelia Polyakによれば、がんの研究者は細胞内の変異に目を向けがちであり、変異した細胞が周囲の細胞にどのような影響を及ぼすのかを考えない傾向があるという。「微小環境への影響の研究は、ほぼ未開拓の領域です」と彼は話す。

1個の腫瘍内の進化的な動態は非常に複雑だが、Engelmanに臆する様子はない。臨床研究による解析は、この複雑さを解明するのに役立つはずだ。「小さな手掛かりを積み重ねていけば、がんに対して一層効果のある治療に確実に近づくはずです。腫瘍内で何が起こっているか分からない状態でいることの方が気が滅入ります」。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160725

原文

An evolving threat
  • Nature (2016-04-14) | DOI: 10.1038/532166a
  • Cassandra Willyard
  • Cassandra Willyardは米国ウィスコンシン州マディソン在住のサイエンスライター。

参考文献

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  2. Gerlinger, M. et al. N. Engl. J. Med. 366, 883–892 (2012).
  3. Bozic, I. et al. eLife 2, e00747 (2013).
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