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電場で化学反応を制御する

我々が日々使っているさまざまな物や道具、口にしている食べ物や飲み物、吸い込んでいる空気、そして我々の体そのものも、全ては周期表に載っている元素で構成されている。こうした「原料」を有用な物質や分子へと変えているのが化学反応であり、それらをより効率的に制御できる新しい方法の開発は、化学の分野における終わることのない探求である。今回、バルセロナ大学(スペイン)のAlbert C. Aragonèsらは、古典的な有機化学反応であるディールス・アルダー反応1を、電場を用いて加速させるという新たな反応制御法を見いだし、Nature 2016年3月3日号88ページに報告した2。この研究ではまた、化学反応の速度が電場の強さだけでなく電場の向きにも影響されることも明らかになった。

化学反応では通常、原子や分子の間での電子の移動と、それに伴う原子核の再配置が起こる。こうした過程を促進する方法を見いだすことが反応の制御につながることから、これまで熱や光、圧力などのさまざまな駆動力が試されてきた。理論的には、電場を使った反応制御の可能性も予測されている3。これは、共有結合種の中には「共鳴寄与体(共鳴構造)」4の重ね合わせ(化学結合に関与する電子の局在パターンが異なる分子構造が複数存在する状態)と見なせるものがあり、適切な向きの電場をかけることで、特定の共鳴寄与体が安定化または不安定化して化学反応が加速または減速する可能性があると考えられるためだ。

電気化学反応では、電場を印加すると、分子内の電子のエネルギー準位が調節されて、電極と分子の間での電子の授受が可能になる。他の化学反応でも、電場は反応物や触媒(酵素)の局所濃度を変えたり、生体分子の荷電基同士を近づけることで影響を及ぼすことがある。しかし、これらの機構はいずれも、共鳴寄与体の安定化を利用した反応促進機構とは別物である。

電場誘起反応の実証は、これまで主に2つの理由から困難であった。1つは、電場の向きと分子の向きをある一定の方向にそろえなければならないためで、もう1つは、反応速度の増大を測定できるほどに敏感な検出方法が必要だからである。今回Aragonèsらは、走査トンネル顕微鏡(STM)を利用した破断接合(BJ)法5を使うことで、これら2つの課題をクリアした。ジエンとジエノフィル(親ジエン体)が付加して6員環化合物を生じるディールス・アルダー反応において、STM-BJ法で強い電場を作り出して反応を制御するとともに(図1)、反応速度の測定も行ったのである。

図1 電場によって制御される化学反応 Aragonèsら2はまず、金(Au)製の探針の先端にジエン分子(青色)を、Au基板にジエノフィル分子(赤色)を吸着させた。この状態で電場(矢印)を印加したところ、2分子間の反応速度は加速し、電場が強くなるにつれて増大した。一方、電場を逆向きに印加した場合は反応速度に影響はなかった(図には示されていない)。

STM-BJ法は、真空中、空気中、溶媒中における単一分子の電気特性をさまざまな温度で測定するために開発されたもので、分子レベルで化学反応を研究するのに適している。この方法では、先端の尖った探針と基板という2つの電極間にナノスケールの微小なギャップを作り出し、その距離を精密に制御することで、電極間に単分子接合(単一分子による探針–基板間の架橋)を形成することができる。Aragonèsらは今回この技術を応用して、金(Au)探針にジエン分子を、Au基板にジエノフィル分子をそれぞれ吸着させて実験を行った(図1)。探針と基板の間に電圧を印加したところ、探針の先端が鋭く、また探針と基板の距離が近いために方向性のある強い電場が生じ、この電場によってジエン分子とジエノフィル分子の向きがそろうことでディールス・アルダー反応が促進された6。STM-BJ法では元来、単分子接合の電気伝導度測定により分子接合の検出と解析が可能である。今回も、伝導度の特徴から、この反応が実際に起こったことが確かめられ、炭素–炭素結合の形成を単一分子レベルで検出することができた。

反応速度は、一定時間に何個の分子が生成するかを表す物理量であり、化学反応を記述する際の重要なパラメーターとなる。今回Aragonèsらは、実験結果とコンピューター計算3を組み合わせることによって、印加電場の強さを15倍にすると反応速度が最高で5倍増大することを示した。

さらに興味深いことに、電場の向きを反転させた実験では、電場を強くしても反応速度に変化は見られなかった。これは、電場の向きの重要性を示している。この化学反応が起こるには、電子がジエノフィル分子からジエン分子へと移動し、ジエノフィルが正電荷を持ちジエンが負電荷を持つような、ある特定の共鳴構造を形成する必要がある。つまり、ジエン側からジエノフィル側に向いた電場だけが、この過程を加速でき、ひいては反応速度を速くできるのだ。

今回の実験では、尖った探針と平坦な基板という幾何学的に非対称な電極が用いられた。この非対称性が反応速度の電場方向依存性の一因となっている可能性もある。また、STM-BJ法での測定中に分子内に電流が流れることで熱が発生し7、反応速度が増大したとも考えられる。今後は、こうした影響の可能性についても検討すべきだろう。

詳細の多くはまだ明らかになっていないものの、今回の研究は、電場で化学反応を制御できるという実験的証拠を初めて提示したものである。この効果を工業規模までスケールアップして商業的に有用な反応に適用できるなら、その経済的影響は膨大だろう。しかし、STM-BJ装置は、ほんの小さな空間の中でしか方向性のある強電場を生成できないため工業用には適さず、別の技術の開発が必要になると思われる。とはいえ、STM-BJ法が、単一分子レベルで化学反応を調べたり制御したりできる新しい方法であることは間違いなく、今後も化学反応の機構に関してこれまでにない新しい情報を提供してくれそうだ。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160634

原文

Reactions triggered electrically
  • Nature (2016-03-03) | DOI: 10.1038/531038a
  • Limin Xiang & N. J. Tao
  • Limin Xiangはアリゾナ州立大学(米国テンピ)に所属。 N. J. Tao はアリゾナ州立大学と南京大学(中国)に所属。

参考文献

  1. Nicolaou, K. C., Snyder, S. A., Montagnon, T. & Vassilikogiannakis, G. Angew. Chem. Int. Edn 41, 1668–1698 (2002).
  2. Aragonès, A. C. et al. Nature 531, 88–91 (2016).
  3. Meir, R., Chen, H., Lai, W. & Shaik, S. ChemPhysChem. 11, 301–310 (2010).
  4. Sini, G., Maitre, P., Hiberty, P. C. & Shaik, S. S. J. Mol. Struct. THEOCHEM 229, 163–188 (1991).
  5. Xu, B. & Tao N. J. Science 301, 1221–1223 (2003).
  6. Darwish, N., Paddon-Row, M. N. & Gooding, J. J. Acc. Chem. Res. 47, 385–395 (2014).
  7. Huang, Z. et al. Nature Nanotechnol. 2, 698–703 (2007).