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脊髄損傷患者の脳と手をつなぐ技術

実験に参加したIan Burkhartは、このシステムを利用して右手の指を個別に動かし、手首と手に6種類の動きをさせられるようになった。 Credit: Ohio State University Wexner Medical Center/ Battelle

事故により脊髄を損傷して四肢麻痺になった男性が、脳からの信号を筋肉に伝えるシステムを利用して、右手と右手首をある程度動かせるようになったことが、Nature 2016年5月12日号247ページに報告された1。この成功は、脊髄損傷後の脳の変化についても新たな洞察をもたらした。

米国オハイオ州ダブリンに住む24歳の脊髄損傷者Ian Burkhartは、2014年に脳内にマイクロチップを埋め込む手術を受けた。このチップを実験室の装置とつなぐと、動かなかった右手と手首と指を、彼の意志で動かせるようになった。実験を行っているのは、現在ファインスタイン医学研究所(米国ニューヨーク州マンハセット)に在籍しているChad Boutonが率いる研究チームだ。

脊髄が損傷した場合、脳の神経結合がつなぎ直されて「再編成」が起こることが過去の研究から分かっている。しかし、この再編成は考えられていたほど大規模ではない可能性が、今回の研究で示唆された。「今回の成果で、期待が大いに持てました。神経結合が脊髄損傷の前後であまり変化しないなら、脊髄の損傷領域をバイパス(迂回)して脳から筋肉に信号を伝えることで、再び体を動かせるようになると思ったからです」とBouton。こうした「神経バイパス」については、以前にサルを使った実験で成功している2。また、人間の脳の信号を読み取ってロボット義手を操作する装置の研究も進められている3Nature ダイジェスト 2015年9月号「ペンタゴンと生命科学が手を組むとき」参照)。けれども、人間が自分の体の麻痺した部位を再び動かせるようになったのは、今回が初めてだ。

被験者のBurkhartは肩から下が麻痺しているが、肩は動かせるし、肘も少しだけ動かすことができる。彼は、19歳のときに休暇でビーチに遊びに出かけて海に飛び込み、首の骨を折った。その後、自宅からわずか25分で行くことのできるオハイオ州立大学(米国コロンバス)で、麻痺患者の体を再び動かせるようにする技術を開発している研究者がいることを知り、ボランティアとしてマイクロチップの埋め込み手術を受けることを決意した。

Burkhartが、ギター型コントローラーを使うテレビゲームをプレイしている様子。 Credit: Ohio State University Wexner Medical Center/ Battelle

Boutonらはまず、Burkhartに手の動きのビデオを見せ、彼がその動きを模倣しようとするときの脳の活動をfMRI(機能的MRI)を使って測定した。これにより、手の動きと関係する運動皮質(大脳皮質のうち、運動を制御している領域)を正確に特定することができた。続いて、脳内に柔らかい素材でできたチップを埋め込む手術が行われた。チップは、Burkhartが手を動かそうとするときに脳に生じる電気活動のパターンを検出し、その信号をケーブルを介してコンピューターに送る。コンピューターでは、信号が機械学習アルゴリズムによって電気的指令へと変換される。この指令が、Burkhartの右前腕の周りに巻きつけられた、フィルム状のしなやかな電気刺激スリーブに送信されて、筋肉を刺激する。「システムをつないだ初日から、私は手を動かし、開いたり閉じたりすることができました」と彼は言う(「Ian Burkhartインタビュー」参照)。

Burkhartは、財布の中からクレジットカードを抜き出したり、カップを握ってその中身を別の容器へと移し替えたりすることもできる。ディスプレイに映し出されているのは、Burkhartの思考をもとに作り出された手の形。 Credit: Ohio State University Wexner Medical Center/ Battelle

それ以来、週3回のトレーニングセッションに参加してきたBurkhartは、今では指を個別に動かせるようになっただけでなく、手首と手に6種類の動きをさせられるようになった。そして、水の入ったグラスを持ち上げたり、ギター型コントローラーを使うテレビゲームをプレイできるようになった。

脳科学的知見

今回の研究から、脳が新しい状況に適応し、そうした状況を利用する能力についての知見も得られた。Boutonらとは独立に脊髄損傷者のための神経補綴を開発しているニューカッスル大学(英国)のAndrew Jacksonは、「被験者が脊髄を損傷してからの数年間、この神経回路には大して出番がなかったはずです。それなのに、他の目的に転用されることなくまだ手の動きに関係しているように思われます。興味深い結果です」と言う。

Burkhartの脳は、再び動かせようになった手の動作を、ある程度制御することができていた筋肉と連携させることも学習した。彼がものを握ったまま動かす能力は徐々に向上していて、脳活動の有意な変化と関連している。Boutonのチームが開発したアルゴリズムは、脳活動のそうした変化を記録して適応することで、被験者と一緒に効果的に学習し、その動きを微調整する。

しかし、Burkhartがこのデバイスによって得られる自由には限界がある。システムは実験室でしか使うことができず、現時点では、各セッションの開始時に再較正する必要があるからだ。「このプロセスには時間がかかり、やや技術を要します」とJackson。「私たちが目指しているのは、日によってばらつきがなく、再較正をする必要のない神経インターフェースです」。

Burkhartが物体を操作するとき、それを感じることはできない。今後、手からの感覚フィードバックを脳に戻せるようになれば、もっと上手に握力を調節したり、見えないところにあるものを持ち上げたりすることができるようになるだろう。

前述のようにBurkhartは肘と肩を動かすことができる。一方で、四肢麻痺の患者ではそうした機能が残っていない場合や、筋肉が常に収縮している場合が往々にして見られる。こうした患者にも神経バイパスが有効であるかどうかはまだ分からない。ピッツバーグ大学(米国ペンシルベニア州)神経強化研究室を率いるEllizabeth Tyler-Kabaraは、「脳信号の記録を組み合わせて筋収縮を生じさせ、手に正しい動きをさせられたのは大きな一歩ですが、私たちの研究を適応できるのはまだ一部の人々に限られます」と言う。

Ian Burkhartインタビュー

四肢麻痺になった経緯を教えてください。

友人たちと休暇で海に遊びに行き、水に飛び込んだところ砂州に激突し、首の骨を折ったのです。事故の翌日、死ぬまで体は麻痺したままだろうと言われました。19歳なんて、怖いものなしの年齢ですよね。けれども私は、一瞬にして1人では何もできない体になってしまったのです。

初めてシステムに接続されたときに、どのように感じましたか?

システムに接続した最初の日から手を動かすことができました。手を開いたり閉じたりという、ほんの小さな動きではありますが、私は約3年間、そんな動きすらできなかったのです。脊髄を損傷していても、再び動ける日が来るかもしれないという希望がよみがえりました。私たちはそれ以来、脊髄損傷者にはできないはずのことがいくつもできるようになりました。

頭にアクセスポートが付いているのは不快ではありませんか?

最初のうちは頭痛がしましたし、ポートの台座部をうっかりぶつけたときは本当に痛かったです。今では、特に意識しなくなりました。台座部は小さなキャップで保護してあり、自分自身の延長のような感じです。

将来の希望は何ですか?

このシステムを家に持ち帰れるようになればいいのに、と思います。私にとって、歩けないことはさほど問題ではありません。車椅子でできることはたくさんあるからです。けれども手を使うことができれば、今よりはるかに自立した生活が送れるでしょう。とはいえ、一生家に持ち帰ることができなかったとしても、この研究に参加する機会を得られただけで満足です。とても楽しかったですし、他の人々を助けるために多くのことを成し遂げられましたから。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160606

原文

First paralyzed person to be ‘reanimated’ offers neuroscience insights

参考文献

  1. Bouton, C. E. et al. Nature 533, 247–250 (2016).
  2. Ethier, C. et al. Nature 485, 368–371 (2012).
  3. Hochberg, L. et al. Nature 485, 372–375 (2012).