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フランスの臨床試験で死者

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160410

原文:Nature (2016-01-21) | doi: 10.1038/nature.2016.19189 | Scientists in the dark after fatal French clinical trial

Declan Butler & Ewen Callaway

問題の薬剤の構造についての情報が極めて少なく、この臨床試験で何が起こったか、いまだに見えてこない。

2月4日、記者会見を終えて記者たちの質問に答えるMarisol Touraineフランス厚生・女性権利大臣。 | 拡大する

KENZO TRIBOUILLARD/AFP/Getty Images

健康な被験者の1人が死亡し、5人が入院した。治療薬候補の薬剤についてフランスで行われていた臨床試験が重大な結果を招いたのだ。この事件の第一報は2016年1月15日だったが、それから数日経った現在(記事作成時)でも、外部の専門家に公式の情報が提供されておらず、一般市民も何が起こったのかほとんど知らされていない。

「フランス当局の対応は迅速なものとは言えず、透明性も乏しいものでした」と、フランス国立医薬品・保健製品安全庁(ANSM)の科学諮問委員会の元メンバーだった臨床試験設計の専門家のCatherine Hillは話す。彼女はさらに、過去の医療事故でもフランス当局の調査は不透明な場合が多かったと言う。

今回の臨床試験は、新薬候補の安全性を健康な人で確かめるために「ヒトで最初に行う」第1相試験だった(「基本的事実」を参照)。試験対象となった新薬候補は、ポルトガルの製薬会社バイアル(Bial)が、パーキンソン病に付随する不安神経症および運動障害や、がんなどの疾患に伴う慢性疼痛の治療薬として開発したものだ。研究受託会社であるフランスのバイオトライアル社(Biotrial)が、レンヌにある施設で今回の臨床試験を実施した。

重大な事件でありながら、重要な疑問の多くにまだ解答が得られていないと、サフォーク大学法科大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の生物医学方面の法律専門家Marc Rodwinは話す。つまり、被験者の病変(磁気共鳴画像診断で明らかになった脳深部の組織壊死や出血)がどうやって生じたのか、また、臨床試験が適正に行われたかどうかも分かっていないのである。

脳内の酵素

特に気になるのは、フランス当局もバイオトライアル社も、臨床試験で投与されたこの分子の正体を明かしていないことだ。バイアル社は、この分子は脂肪酸アミド加水分解酵素(FAAH)阻害剤だと言っている。FAAHは、内在性カンナビノイドという脳などで作られる神経伝達物質を分解する酵素である。この酵素をFAAH阻害剤で阻害すると、鎮痛作用があると考えられている内在性カンナビノイドが体内に蓄積する(内在性カンナビノイドで活性化される神経受容体は、大麻に含まれる化学物質でも活性化される)。

事故後の週末に、一部の科学者が、問題を起こした薬剤の正体を急いで突き止めようとした。ノッティンガム大学医学系大学院(英国)の分子薬理学者Steve Alexanderもその1人だ。彼は15年にわたって、エディンバラ大学(英国)の薬理学ガイド・データベース(Guide to Pharmacology)の専任職員Christopher Southanとともに、FAAHについて研究してきた。2人は協力して、バイアル社の研究開発パイプライン(医薬品候補化合物)のオンラインリストを調べた。

その検索から、第1相試験で使われた2種類の分子が明らかになった。そのうち1つがバイアル社の示している治療プロファイルと適合したが、「BIA 10-2474」というコードネームしか付いていなかった。また、被験者に渡された募集用紙がフランスのある新聞に掲載されたが、それにも同じコードネームの薬剤が書かれていただけであった。「明言できるのは、この化合物がまだ科学的文献で記載報告されていないものだということくらいです。そのため情報がほとんどなく、我々は暗中模索の状態です」とAlexanderは言う。

新薬開発の初期段階で分子構造を明らかにしないのは、製薬業界ではよくあることだが、こうした慣習に対して研究者は以前から批判的だ。「製薬会社は開発中の薬剤候補をコードネームで呼び、その構造を秘密にします。私は、候補化合物を秘密にする慣習をやめるべきときが来ていると思います」とSouthanは話す。彼によれば、事故後の週末になっても情報がないため、研究者らはバイアル社が公表している特許情報から分子構造を推測するしかなかった。彼はまた、臨床試験レジストリーには今回の臨床試験のエントリーが見当たらないとも言う。

これまで多くの企業がFAAH阻害剤を開発してきたが、市場に出たものはまだ1つもない。この種の阻害剤に効果がないことが、大半の臨床試験で明らかになっているためだ。しかし、ヒトでこれまでに試験されたFAAH阻害剤は安全なことが明らかになっていた。

オフターゲット作用

多くの研究者が、BIA 10-2474には「オフターゲット」作用がある、つまりBIA 10-2474がFAAH以外のタンパク質も阻害すると考えている。これは、BIA 10-2474に放射活性標識を付けて死後脳の組織で試験し、結合するタンパク質を全て拾い上げることで明らかにできたかもしれない。

BIA 10-2474の分子構造が分かれば、毒性をもたらすと思われるいくつかの機構をコンピューターで予測することも可能だろう。「今なら、対象が何であろうと、コンピューターを使って予測する高度な解析法がたくさんありますから」とSouthanは言う。

今回の事件を受けて、FAAH経路を研究している他の研究者はおそらく、FAAH以外のタンパク質に阻害剤が作用する可能性をもっと詳しく調べようとするはずだとAlexanderは言う。「民間企業も学術機関も、このオフターゲット作用がどのようなものであるかを真剣に調べるでしょう」。

透明性の欠如はフランスの関係当局の調査にはよく見られることで、確かな結論が出るまで内密にする傾向があるのだと、匿名を希望する同国の保健医療法の専門家は言う。彼によれば、ヒトを被験者とする研究を規制するフランスの法律は強制力が大きく、被験者の十分な保護を保証している。彼はさらに、これまで国内では、臨床試験の安全性に関わる事故の例はほとんど聞いたことがないと話す。

フランスでは近年、薬剤の臨床試験の承認に影響する法律に2つの大きな変化があった。まず、30年以上にわたり市販され数百件以上の死亡例との関連が疑われた糖尿病治療薬が2009年に欧州で使用中止となった後、医療の安全性を守る法律が強化された。特に2011年の法律で、国内の薬剤承認プロセスに関与する人々の利害の対立に関する規制が厳しくなり、承認後の投薬の安全性試験を要求する関係当局の力も強まった。その後フランス政府は、2012年にヒトを対象に含む研究の規制を整備し、臨床研究のリスクの大きさにより申請手続きが異なる方式を採用する法律を成立させた。これにより、臨床試験を実施する企業にとってより魅力的な国になろうとしたのだ。

臨床試験設計の専門家である Hillの指摘によれば、BIA 10-2474の臨床試験で考えられる安全性の問題点の1つは、重篤な状態に陥った6人全員が、同時に同じ高用量を投与されたらしいことだ。試験する高用量を1人に投与して副作用が出ないかチェックしてから、他の被験者に投与するという手順ではなかったのである。

投与開始をずらさずに全員同時に投与する方式は、2006年に英国ロンドンで6人の被験者が多臓器不全に陥った「スーパーアゴニスト抗体」の臨床試験での事故でも問題視された。「あの残念な事故から、私は、第1相試験で同日に同じ用量を数人の被験者に投与したことは大きな間違いだったという結論に達しました」とHillは話す。

バイアル社の社長兼最高経営責任者であるJean-Marc Gandonは、今は患者を助けることに注力しており、Natureからの質問文書には、後日、会社を通して回答すると述べている。

バイアル社の広報担当Susana Vasconcelosは、今回の臨床試験は「信頼できる国際的な実施ガイダンスに全て従っており、事前試験と前臨床試験を完了してから」行われたものであり、同社は「この状況を生み出した原因を徹底的に、1つ残らず突き止める所存です」と述べている。

死者を出した薬剤臨床試験

—基本的事実—

  • この臨床試験では18~55歳の健康な被験者128人を募集し、対価として1900ユーロ(約25万円)が支払われた。
  • 90人に異なる用量で薬剤が投与され、残りの被験者にはプラセボが投与された。
  • 単回投与で薬剤の用量を漸増させる試験では、重篤な副作用は見られなかった。
  • 重篤な副作用の現れた6人は、数日間にわたって毎日高用量投与された最初の被験者群だった。
  • 1月10日に被験者の1人に初めて副作用の症状が現れ、バイオトライアル社は1月11日に臨床試験を中止した。この被験者は1月17日に死亡した。
  • 中止後、副作用は出たが死亡しなかった5人の被験者は入院し、そのうち1人は退院した。他の4人の病状は重篤だが安定状態にあると診断されている。
  • フランス当局は、低用量の薬剤投与を受けた残り84人に検診を受けるよう連絡している。事故後の週末に18人*が神経科で検診を受けたが、入院した被験者のよ うな症状はいっさい認められなかった(*ANSMの調査委員会によれば、2月15日時点で62人が受診し、全受診者に異常は見つからなかったという)。

(翻訳:船田晶子)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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