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犬のDNAからヒトの精神疾患の手掛かりを得る

自分のしっぽを追いかけるイヌの行動は、ヒトの強迫性障害と共通の遺伝学的要因によるのではないかと考えられている。 Credit: PHILIPPE MCCLELLAND/GETTY

米国マサチューセッツ州サマービルに暮らすグレータースイスマウンテンドッグのAddieは、11歳にしては元気が良すぎるほどだ。激しく遊び、時には自分が高齢であることも顧みず、訪問者を歓迎しようと37kgの体で飛びかかってしまい相手を驚かせる。そんなAddieだが、ある不可解な苦しみを抱えている。生後18カ月のときに、前足を激しくなめ始め、しまいには毛皮の一部が抜け落ち出血するまでそれを続けた。イヌの強迫性障害(CCD)だ。

CCDは、ヒトの強迫性障害(OCD)に類似していると考えられている疾患だ。イヌの場合、何時間もやむことなく自分の尾を追いかけたり、玩具や自分の体の一部を取りつかれたように吸い続けて食事や睡眠が妨げられたりすることがある。

イヌの中にも、CCDにかかりやすいイヌとそうでないイヌがいる。Addieはその理由を解明する助けになってくれることだろう。Addieの飼い主であるMarjie Alonsoは、「ダーウィンの犬たち」(Darwinʼs Dogs)と呼ばれる研究プロジェクトにAddieを登録した。このプロジェクトでは、数千頭のイヌについて、彼らの行動に関する情報とDNAプロファイルを結び付け、比較することを目指している。これによって、イヌにおける強迫性障害や認知機能障害(ヒトの認知症や、おそらくはアルツハイマー病にも似ている)などの疾患と関連する遺伝子が浮かび上がってくることが期待されている。このプロジェクトには現在3000頭のイヌが登録されている。3月からDNA試料の分析を開始するが、プロジェクトを運営する研究者らは、少なくとも5000頭からデータを集めたい考えだ。

「胸がわくわくしますね。いろいろな意味で久しく待たれていた研究です」とアリゾナ州立大学(米国テンピー)でイヌの行動を研究しているClive Wynneは言う。

研究者たちは長年、何千という人々から得たDNA試料を分析することによって、ヒトの精神障害に関連する遺伝子を見いだそうと苦労を重ねてきた。そうした努力により、近年、統合失調症とうつ病である程度の成果が挙がっている(Natureダイジェスト 2015年10月号「大うつ病の遺伝子マーカー見つかる!」参照)。けれども、OCDなどいくつかの疾患では、通常の遺伝的変異のバックグラウンド・ノイズからふるい分けられた確実な関連遺伝子は1つも見つかっていない。

ヒトでの研究が難しい理由の1つは、ヒトという種が遺伝的に極めて多様なことだとWynneは言う。しかしイヌは、遺伝的にヒトよりもずっと均質だ。特定の形質のために何千年にもわたって選択されてきたため、ヒトよりも遺伝的変動が少ないのである。特に純血種のイヌは、遺伝的同一性が非常に高くなっており、ほぼ同じ外観と行動を示す。

またイヌは、ヒトと同じ生活環境に暮らしているため、実験用ケージの中で暮らすマウスよりもヒト疾患のモデルとして優れていると考える人もいる。

こうした特質によって、イヌはてんかんやがん、そして種々の精神障害など、人間の病気に類似した疾患の研究のための魅力的なターゲットとなってきた。例えば、ボーダーコリーは、不安障害を患っている人々のように、大きな音に過度に反応することがある。マサチューセッツ大学医学系大学院(米国アマースト)の遺伝学者Elinor Karlssonらの研究チームは、CCDの研究を行ってきた。この障害は、ドーベルマンピンシェルなど特定の品種で特に多く見られる。150頭のイヌを調べたところ、脳で働くタンパク質をコードする4つの遺伝子と関連がある可能性が明らかになった(R.Tang et al. Genome Biol. 15, R25; 2014)。

そうした結果をさらに詳しく調べるために、Karlssonは研究の規模を拡大することに決めた。特定の品種に絞れば、疾患に関連した遺伝子をいくつか見つけ出すのはより容易になるだろう。だが、他の関連を見逃してしまうかもしれない。そこで元米国海兵隊ドッグトレーナーJesse McClureを含むKarlssonの研究チームは、純血種だけでなく雑種からもデータを集めることにした。データ収集にはクラウドソーシングを利用することに決めた。

雑種犬に焦点を当てるのは珍しいが賢いやり方だと、コーネル大学(ニューヨーク州イサカ)の遺伝学者Adam Boykoは述べる。米国のイヌの半数以上は雑種だが、遺伝学研究では純血種に焦点を合わせる傾向がある。「遺伝学は遺伝子間の相互作用を取り扱うことが多いのです。そしてもし本当にそれを理解したいと考えるなら、遺伝子がごた混ぜになった個体を研究するべきです」とBoykoは言う。

こうして、2015年10月に「ダーウィンの犬たち」プロジェクトが開始された。参加者は、飼い犬の行動に関する130の質問に答える。質問は、「あなたのイヌは全体的に生活を楽しんでいますか?」(「イエス」と答える人が圧倒的に多いとKarlssonは言う)や、「あなたのイヌは横たわるときに、足を組みますか?」など、多岐にわたる。いくつかの質問は、ヒトで衝動性を評価する際に用いる尺度から思いついたものだ。また、国際動物行動コンサルタント協会(IAABC;ペンシルベニア州クランベリータウン)の理事を務めるAlonsoや、他のドッグトレーナーたちが、行動に問題のある動物と数十年以上にわたって関わってきた経験から得た観察に基づいて提案された質問もある。

Karlssonは質問項目をさらに増やすことも視野に入れていると言う。「幸いなことに、人々は自分の飼い犬について話すのが大好きだったんです」。

最終的に、プロジェクトの成功は、遺伝学的な調査の質と、尋ねる質問の具体性にかかっていると、Wynneは言う。例えば、飼い主に自分のイヌが幸せかどうか尋ねれば、あいまいな結果がもたらされるだろう。「ある人には不幸せなイヌに見えても、別の人にはゆったりくつろいで休息しているように見えるかもしれません」と彼は言う。「良い質問は『あなたのイヌはカーペットの上で排便しますか?』というものでしょう。カーペットの上のウンチは非常に明確な事実ですから」。

イヌから得た結果が、ヒトの行動のバリエーションの解明にどれほど役立つかはまだ分からない。Karlssonはヒトとイヌで異なる遺伝子が関係しているとしても、それらの遺伝子が同じ細胞内経路に集約されるかもしれない、と期待を寄せている。ジョンズホプキンス大学(米国メリーランド州ボルティモア)の精神科医でOCDの研究を専門とするGerald Nestadtは、この病気にかかったイヌでは1つのタイプの強迫行動しか見られないのに対し、OCD患者の場合はいくつかの行動を示すのが典型的だと言う。

たとえそうだとしても、この分野の研究者は、手に入るものならどんな手掛かりでもほしいと思っている、と彼は付け加える。「役に立ちそうなものは何でも試みる価値があります。私はこのプロジェクトは素晴らしいアイデアだと思います」。

Alonsoら参加者たちも、飼い犬について、そしてなぜ飼い犬たちがそんな行動をとるのかについて、もっと知りたいと熱望している。米国ニューヨーク州バッファローに住むMiranda Workmanは、Zeus、Athena、Sherlockという名前の3頭の飼い犬をこの研究に登録した。イヌたちの奇妙な行動についての手掛かりを得たいという気持ちもあったからだ。34kgのダッチシェパードのAthenaは、献身的な牧畜犬や番犬となるように育種されたが、この犬種では珍しく陽気な面を持っている。そしてジャックラッセルテリアのSherlockは、他のテリアよりずっと内気で神経質だ。

「うちのイヌたちは必ずしもステレオタイプに当てはまるとは言えません。それは環境の違いのせいなのか、彼ら自身のせいなのか? なぜ彼らがそうした行動をとるのかが分かれば面白いでしょう」とWorkmanは言う。

翻訳:古川奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160418

原文

Dog DNA probed for clues to human psychiatric ills
  • Nature (2016-01-28) | DOI: 10.1038/529446a
  • Heidi Ledford