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オフターゲット効果が最小のCas9酵素

Credit: EQUINOX GRAPHICS/Science Photo Library/Getty

人類は、特定の形質を持つオオカミを選抜育種により遺伝的に改変し、オオカミの一部の遺伝子を保存しながらそれ以外を排除した動物、すなわちイヌを作り出したと考えられている。今回、2組の研究チームが、Cas9という天然の核酸分解酵素(ヌクレアーゼ)を遺伝子工学を利用して手なずけたことを、Nature 2016年1月28日号490ページ1およびScience2にそれぞれ発表した。両研究チームは、Cas9の有する「RNAの手引きによってDNAを切断する能力」を保存したまま、この酵素本来の望ましくない性質を強力に抑制することに成功したのである。天然の分子を手なずけたこの素晴らしい研究成果は、ゲノム編集を活用したい人たちにとって大ニュースだ。ゲノム編集は、細胞や生物のDNA配列を科学者が指定するとおり効率よく正確に改変する技術としてさまざまな分野への応用が期待されており、そうした精密な編集には選択性の高いヌクレアーゼが必要なのだ3

本来の「野生」状態のCas9は、細菌の持つ獲得免疫に似た防御機構において重要な働きをする酵素だ。細菌がウイルスなどの寄生体に感染すると、細菌の細胞装置は侵入者のDNAを切断してその断片を保持し、断片の配列を細菌自身のCRISPR座位と呼ばれるゲノム領域に保存する4。するとCas9は、CRISPR座位に保存された配列のRNAコピーを携えて、細菌の内部で侵入者の再来を監視する。このRNAは、CRISPR-Cas9系ではガイドRNA(gRNA)と呼ばれている。Cas9は細胞内のDNAをgRNAの配列と照合し、一致した場合には侵入DNAを切断する。それに対し攻撃側は、検知を逃れるために自分のDNA配列を変化させる。Cas9はこれにも対応するため、gRNAとの配列一致が完全でなくても外来のDNAを切断するように進化した。

ゲノム編集は、細菌のこのような防御機構の研究から見いだされ、大きく進歩してきた。ゲノム編集のプロセスでは、ヌクレアーゼにより切断された細胞内のDNAが修復されるときに、任意の編集(遺伝子の破壊、修正、または挿入)が行われることを利用している3-5。最初のゲノム編集実験ではジンクフィンガーヌクレアーゼ(ZFN)という別種のヌクレアーゼが利用されたが5、Cas9がgRNAに導かれることが分かると、ゲノム編集の研究利用の規模と範囲は劇的に拡大した6。gRNAにより、酵素が切断する場所を簡単に設定でき、比較的効率よくゲノム編集ができるようになったためだ。

Cas9は、ゲノムサイズがヒトの1800分の1でしかない細菌を守るために進化してきた酵素であり、Cas9がgRNAと完全には一致しないDNA配列を切断する特性は、本来の戦いの場に適応するために必要なものである。それ故、自然界から持ってきたCas9をヒト細胞に投入してみると、目的の遺伝子を編集するばかりか、意図しないDNA配列にも遺伝的変化を導入するという結果になった7。近視の犯罪目撃者が警察署で、容疑者数名が並んでいる中から犯人を特定しようとする場面を想像してみるとよい。その目撃者は「顔」の特徴だけでは犯人をただ1人に特定できないため、性別や身長などの特徴にも頼らざるを得ないのだが、それらの特徴が似ている人が他にもいるのだ。つまり、目撃者の頭の中にある曖昧なイメージとの頼りない一致は、特異性のない特徴との一致によって補強される可能性があるため、別人を犯人だと言ってしまう恐れがある。同様に、野生型のCas9は標的を見つけ出すために、配列特異的なgRNAを使うことに加えて、どんな遺伝子にも共通の(デオキシリボースとリン酸からなる)DNA主鎖に非特異的に取り付く。

今回の研究で、Benjamin P. Kleinstiverら1とIan M. Slaymakerら2はこの酵素を思いどおりに操るために、Cas9がDNAと結合してそれを切断する仕組みについての原子レベルでの理解8に基づく、綿密で周到な手法を利用した(ジンクフィンガーがDNAと結合する仕組みに関する類似研究9があり、これが初期の全てのゲノム編集実験の基盤となっている)。両研究チームは、DNA主鎖との相互作用が弱くなるようにCas9を改変することで、Cas9が標的を認識して切断するときに、gRNAとDNAの対合への依存度を高められると論じた(図1)。

図1:野生型の酵素を手なずける
酵素Cas9は特定のDNA配列を切断する。DNA配列の識別には、ほどけたDNA二重らせんの中の選択した配列と対合するガイドRNA(gRNA)を利用する。Kleinstiverら1は、gRNAが対合したDNAの主鎖とCas9との相互作用が弱くなるようにCas9を改変した。Slaymakerら2は、gRNAが認識しない相補的なDNA一本鎖とCas9との接触を操作した。こうした改変で、Cas9による配列認識はgRNAへの依存度が高まり、結合特異性が向上した。

Kleinstiverらは、得られた酵素の編集特異性をがん細胞株で試験した。この酵素は、高忠実度Cas9(High-Fidelity Cas9;Cas9-HF)と命名された。研究チームは、7種類のヒトDNA配列のgRNAでCas9-HFの設定を行った。そのうち6種類では狙った標的のみが編集され、残りの1種類では、弱い非特異的な作用が及んだ部分がDNA中に1カ所だけあった。対照的に、この7種類の標的遺伝子のgRNAで野生型のCas9を試験すると、狙いとは別の複数の配列が切断された。特筆すべきは、試験した標的細胞の75%に関して、Cas9-HFが元の野生型酵素に匹敵する強度でゲノムを編集したことだ。Slaymakerらも、操作と分析の細部は異なるものの、全体としては同じ原理に従い、特異性強化型Cas9(enhanced specificity Cas9;eCas9)という酵素を作製した。

こうして「手なずけられた」Cas9酵素は、間違いなく世界中の実験室で利用されるはずだ。直接的な影響として挙げられるのは、望ましくない編集をチェックする手間を減らせるため、ゲノム編集実験の完了にかかる時間が短縮されることだろう。Cas9は現在ヒトで、着目した形質の根底にある遺伝子を探すために、多数の遺伝子を一度に系統立ててスキャンするのに利用されており10、今後はそうした実験の効率が改善されると考えられる。農業では、特に作物や家畜のように生活環の長い種の場合に、改良型のCas9を利用することにより、時間のかかる交配を行わなくても目的の配列のみが編集された生物が得られるようになるかもしれない。

ゲノム編集が初めて臨床利用されたのは2009年で、そのときは、ZFNを生体外で用いる手法(ex vivo法)により、HIV患者の免疫細胞(CD4+T細胞)の編集が行われた11。それ以来、この手法を利用して80例以上の患者で治療が行われており、良好な安全性が記録されている。2015年12月には、生体内での遺伝子編集(in vivo法)の臨床試験が、米国食品医薬品局(FDA)による審査で初めて認められた。これはZFNを用いて血友病を治療する手法だ12。ZFNはすでに、Cas9-HFに匹敵するレベルの特異性が実現されており(go.nature.com/mkl6v1を参照)、in vivo法とex vivo法の両方で、臨床試験での使用に関する規制のハードルをクリアしている。今回の研究は、臨床ゲノム編集の範囲が広がり続けることを確信させるものだ。この研究領域の進歩は、さまざまな疾患の遺伝子治療法の開発を期待させてくれる。その見通しは心強く、実現される日も遠くはない。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160434

原文

The domestication of Cas9
  • Nature (2016-01-28) | DOI: 10.1038/529468a
  • Fyodor Urnov
  • Fyodor Urnovはサンガモ・バイオサイエンス社 (米国カリフォルニア州リッチモンド)に所属。

参考文献

  1. Kleinstiver, B. P. et al. Nature 529, 490–495 (2016).
  2. Slaymaker, I. M. et al. Science 351, 84–88 (2016).
  3. Carroll, D. Annu. Rev. Biochem. 83, 409–439 (2014).
  4. Doudna, J. A. & Charpentier, E. Science 346, 1258096 (2014).
  5. Urnov, F. D., Rebar, E. J., Holmes, M. C., Zhang, H. S. & Gregory, P. D. Nature Rev. Genet. 11, 636–646 (2010).
  6. Bolukbasi, M. F., Gupta, A. & Wolfe, S. A. Nature Methods 13, 41–50 (2015).
  7. Tsai, S. Q. et al. Nature Biotechnol. 33, 187–197 (2015).
  8. Jiang, F. & Doudna, J. A. Curr. Opin. Struct. Biol. 30, 100–111 (2015).
  9. Pavletich, N. P. & Pabo, C. O. Science 252, 809–817 (1991).
  10. Shalem, O., Sanjana, N. E. & Zhang, F. Nature Rev. Genet. 16, 299–311 (2015).
  11. Tebas, P. et al. N. Engl. J. Med. 370, 901–910 (2014).
  12. Sharma, R. et al. Blood 126, 1777–1784 (2015).