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遺伝子ドライブの安全対策

遺伝子ドライブの仕組みと影響
a CRISPR-Cas9系遺伝子ドライブでは、片方の染色体に導入された目的の変異が、もう片方の染色体の該当部位にも生じるよう設計されている。
b 遺伝子ドライブ導入個体(青色)と野生型個体(灰色)の交配では、導入変異をホモ接合型で持つ子孫が生じ、交配を繰り返すことで、変異が集団内に効果的に拡散する。 Credit: REF.1

生物の集団を丸ごと素早く改変することのできる画期的なゲノム編集技術「遺伝子ドライブ」に、このほどある重要な進歩があった。遺伝子ドライブを導入した生物が実験室の外に流出してしまうのを防ぐ予防策と、それが拡散してしまった際に問題の変異のみを後から消去することのできる対処法が発見されたのだ。

遺伝子ドライブには、昆虫が媒介する疾患を根絶できる可能性があり、また実験室レベルでは一部の遺伝学研究を加速させると期待されている。一方で、この技術で作出されたゲノム改変生物が自然界に放出された場合には、それが意図的かどうかにかかわらず、生態系全体に取り返しのつかない傷跡を残してしまう恐れがある。

ハーバード大学ワイス応用生物学エンジニアリング研究所(米国マサチューセッツ州ボストン)の進化工学者Kevin Esveltらの研究チームは今回、遺伝子ドライブを機能させる構成要素を遺伝的に分離することで、導入された変異が集団内に拡散するスピードを抑える手法と、遺伝子ドライブの拡散後に導入した変異のみを上書きして元通りにすることのできる第二の遺伝子ドライブを放出して、最初の拡散をなかったことにする分子的な「元に戻す」スイッチを開発した1。2015年11月16日にNature Biotechnologyで発表されたこの成果は、遺伝子ドライブを取り巻く懸念を鎮めるものとなるかもしれない。

Esveltは、「私たちには、実験を実験室内に封じ込めておく責任があります。『遺伝子ドライブによる改変が自然界の集団に広がる可能性を肝に銘じ、必要なければそうした改変は行わない』ということが基本です」と語る。

新たな命

遺伝子ドライブの概念そのものは古く、1940年代に初めて提唱されたが、技術的な問題から長年実証には至らずにいた。だが、2013年に「CRISPR–Cas9」と呼ばれる画期的な遺伝子編集法が登場したことで、遺伝子ドライブに新たな命が吹き込まれた。CRISPR–Cas9法は、ピンポイントでゲノムを改変することのできる、これまでにないほど簡単で汎用性の極めて高い技術である。

研究者たちは、Cas9酵素(DNAを切断する酵素)とガイドRNA(Cas9をDNAの標的部位に誘導するRNA)をコードするそれぞれの遺伝子をゲノムに組み込めば、この手法で遺伝子ドライブが作製できることにすぐに気付いた。いったん片方の染色体に導入されたCRISPR–Cas9遺伝子は、同じ内容の改変(変異)をもう片方の染色体に自発的にコピーするよう設計されているため、導入された変異が確実に子孫に受け継がれるようになり、通常の変異よりはるかに速いスピードで集団内に行き渡る(「遺伝子ドライブの仕組みと影響」参照)。

こうした遺伝子ドライブの急速な拡散は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国)の発生生物学者Valentino GantzとEthan Bierによって初めて実証され、2015年3月19日にScienceで発表された2。この研究では、遺伝子ドライブでゲノムが改変されたショウジョウバエで、変異誘発が集団内で連鎖反応的に伝播したことから、遺伝子ドライブ導入生物の自然界への流出によって生態系に多大な影響が出るのでは、という懸念が高まった。これを受けて、米国科学工学医学アカデミーは同年7月、遺伝子ドライブ技術の有益性と危険性を評価する委員会を設置した。

Esveltによれば、それでも一部の研究者は、特にマラリアなどの昆虫媒介性疾患の伝染を予防する手段として、遺伝子ドライブの応用に取り組み続けたという。今回の論文の共著者である生物工学者のGeorge Churchは、マラリアやダニ媒介性のライム病の根絶を目的とした遺伝子ドライブは今後2年以内に開発されるだろう、と予測する。Esveltは他にも、ジョージ・ワシントン大学(米国ワシントンD.C.)の熱帯病研究者Paul Brindleyと共同で、寄生性の吸虫が引き起こす住血吸虫症の根絶に向け遺伝子ドライブの応用研究を行っている。

安全を確保する

しかしEsveltは、遺伝子ドライブがその真価を証明する機会を得る前に、「事故」でケチがついてしまう可能性を懸念する。「もし誰かがヘマをやらかして遺伝子ドライブ導入生物が自然界に流出することになれば、メディアが大騒ぎするでしょう。『科学者たちは信用できず、この技術を任せられない』と報道されて、私たちの研究は何年も足止めされてしまうのです」とEsveltは説明する。

そこでEsveltらは、そうした悲劇が起きないよう、出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)を使って遺伝子ドライブの安全対策を開発することにした。出芽酵母は、実験室での取り扱いが容易である上、有性生殖を行う頻度が低いため遺伝子ドライブによる改変が野生集団へ拡散する可能性は低い。

Esveltらの研究チームが今回編み出した安全対策の1つは、遺伝子ドライブの構成要素が遺伝的に分離されている「スプリットドライブ」だ。遺伝子ドライブの「部品」の一部が出芽酵母ゲノムに挿入される一方で、残りの部品はゲノム外のDNA鎖上で運ばれる。こうした遺伝子ドライブは、もし自然界に放出されたとしても、両方の部品が必ずしもセットで子孫に受け継がれるとは限らないため、集団内での拡散は遅くなる。

研究チームはもう1つの安全対策として、最初の遺伝子ドライブの影響のみを上書きして元に戻す「分子の消しゴム」として機能する第二の遺伝子ドライブを設計し、これについても検証を行った。その結果、第二の遺伝子ドライブは、娘細胞の99%でその機能を発揮した。集団のゲノム改変を目的とした最初の遺伝子ドライブを放出する前に、そうした改変を取り消すことのできる第二の遺伝子ドライブを用意しておくことが重要な安全対策になる場合があるだろう、とEsveltは話す。

一方、BierとGantzも、ショウジョウバエで類似の安全対策を開発中という。Bierは、今回Esveltらが開発した第二の遺伝子ドライブによる「消去」法は有用かもしれないが、実用は困難な可能性があると指摘する。いずれの遺伝子ドライブも集団の100%で作用するわけではないため、さまざまなゲノム配列が混在する複雑な集団が生じると予想されるからだ。「やるべきでない、と言うわけではありません。ただその前に、何らかのモデルで慎重に検討する必要があると思います」とBierは語る。これについてはEsveltも、ゲノムの改変が消去できたとしても、生態系への影響は完全に元通りにはできない可能性があると認める。

それでもEsveltは、この研究分野が、遺伝子ドライブ技術を完全に放棄するのではなく、その応用によって得られる利点と生じる危険を評価する方向に進むことを願っている。「マラリアの根絶に遺伝子ドライブを使うべきでしょうか? 幅広い毒性を持つ殺虫剤の代わりとしてはどうでしょう? これらの問題は全て切り離して考えなければなりません。実はこの論文を執筆したのは、遺伝子ドライブが実用化される前に事故が起きて話し合いの機会すら失われてしまう、ということを避けるためなのです」とEsveltは語る。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160206

原文

Safety upgrade found for gene-editing technique
  • Nature (2015-11-16) | DOI: 10.1038/nature.2015.18799
  • Heidi Ledford

参考文献

  1. DiCarlo, J. E. et al. Nature Biotech. http://dx.doi.org/10.1038/nbt.3412 (2015).
  2. Gantz, V. M. & Bier, E. Science 348, 442–444 (2015).