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記憶力増強装置のヒトに対する試験が始まる

Credit: Hemera Technologies/AbleStock.com/Thinkstock

埋め込まれた電極を介して脳に刺激を与え、記憶の改善を目指す手法をヒトで試す実験が始まっている。2015年10月17~21日にイリノイ州シカゴで開かれた神経科学会の会議で、米国国防高等計画研究局(DARPA)が資金提供している2つの研究チームが、このような埋め込み式装置により人間の記憶保持能力を改善できるという証拠を発表した。この研究に資金を提供している米国陸軍は、頭部の外傷により長期記憶に障害を起こした数千人の兵士の多くをこの方法で助けられるのではないかと期待している。

研究者たちは、記憶を作り出して保持する電気的パターンを模倣することで、脳損傷によって生じたギャップを埋められる可能性があることを見いだした。この研究成果により、衰えた記憶力を自動的に増強する人工装具「神経プロテーゼ」で、脳に損傷を受けた兵士たちだけでなく、脳卒中患者や、正常な老化によって物忘れが激しくなった人々すらも救えるのではないかという希望が見えてきた。

外科的に脳に装置を埋め込むことにはリスクが伴うため、どちらの研究チームも、すでに電極を埋め込まれているてんかん患者を対象に研究を行っている。こうした電極を使うことで、脳活動の記録と、特定のグループのニューロンの刺激の両方を行うことができる。最終的な目標は外傷性の脳損傷を治療することだが、実験に参加しているてんかん患者もその恩恵にあずかれるかもしれないと、南カリフォルニア大学(USC;米国ロサンゼルス)の生物工学者Theodore Bergerは言う。なぜなら、発作の繰り返しによって、長期記憶形成に必要な脳組織が破壊されることがあるからだ。

短期記憶は、海馬と呼ばれる脳の一部に、感覚情報と、空間および時間の知覚の情報が集まり、すぐにアクセスできるように短期間保持されるときに形成されると考えられている。保持されている間に記憶にアクセスすると、その記憶は長期記憶として固定される。

この過程の鍵となるのが、CA3野と呼ばれる海馬の部位からCA1野と呼ばれる別の部位に伝えられるシグナルだ。Bergerらはこのシグナルを再現することで、海馬に損傷を受けた患者の記憶固定能力を復活させることができるかもしれないと考えた。

シカゴの会議で発表された研究の1つでは、てんかん患者12人に数枚の絵を見せ、最長90秒後にどの絵を見たかを思い出してもらった。そして被験者がこの課題を行っている間のCA3とCA1両部位の発火パターンを記録した。

研究者たちは次に、CA1の細胞の活動を使ってCA3から来るパターンを予測するアルゴリズムを開発した。実際のパターンと比較して、彼らの予測は約80%の場合、的中した。

このアルゴリズムを使えば、たとえCA3細胞が損傷していても、適切なCA3シグナルを模倣したパターンによってCA1細胞を刺激することができるだろうとBergerは言う。彼の研究チームは以前に、絵を思い出す課題(正しく答えるとジュースのご褒美をもらえる)を行う訓練をされたサルで実験を行い、CA1を適切なパターンで刺激すると課題の成績が顕著に改善することを示している(R. E. Hampson et al. J. Neural Eng. 10、066013;2013)。

USCの生物医学工学者で、チームのメンバーであるDong Songは、同チームはすでに1人の女性てんかん患者で刺激を試みているが、これによって彼女の記憶が改善したかどうか、結論を出すにはまだ早すぎると述べる。またチームは、今後数カ月間でもっと多くの人々にこの方法を適用する計画を立てているという。やがては、海馬が効率的に短期記憶を長期記憶に符号化できないときにそれを検出して刺激を与え、その過程を助けるといった装置が開発される日が来るかもしれない。

記憶形成符号をそれほど正確に予測できるという結果は素晴らしいと、ボストン大学(米国マサチューセッツ州)の神経生物学者Howard Eichenbaumは言う。けれども彼は、もしCA1細胞のダメージが非常に大きく、適切に刺激に応答しない場合には、模倣は難しいかもしれないと警告する。さらに、海馬は非常に複雑で、脳での多くの接続から入力を受けるため、CA3シグナルのみでの刺激では不十分かもしれないと付け加える。

理化学研究所脳科学総合研究センター(埼玉県和光市)の神経科学者Thomas McHughは、このチームの研究に長年注目してきたが、この手法が動物モデルで非常にうまくいっていることに常に驚かされてきたと言う。「データに説得力がありますが、理解するのは難しいです」とMcHugh。脳の多くの部位は明白な様式で組織化されている。例えば、運動皮質では、特定の場所を刺激すれば体の特定の部位が動く。しかし、海馬にはこのような明白な組織はなく、ある特定の場所を刺激するとなぜ予測可能な結果が導かれるかは不明だ。

ペンシルバニア大学の神経科学者Daniel Rizzutoと心理学者Michael Kahanaが率いるチームは、別の手法によって記憶の増強を試みている。だが、この過程の詳しい仕組みには不明な部分がさらに多い。このチームの研究は、「人々の記憶のスキルはカフェインの摂取量やストレスの有無といった変数に依存して時間的に変動する」という事実を利用している。このチームもまた、てんかん患者を被験者として実験を行っており、海馬が含まれる内側側頭葉と呼ばれる領域を刺激すると、低下している記憶能力を改善できることを見いだした。しかし、記憶がうまく機能しているときには、刺激はそれを妨げてしまう。

シカゴの会議での発表によれば、チームはまず、言葉のリストを思い出しているときの28人の被験者の脳活動を記録し、これらのパターンを使って、チームは人が特定の言葉を覚えているかどうかを高い正確性をもって予測するアルゴリズムを開発した。そして、忘れられる可能性が高い単語を読んだときだけ脳を刺激することによって、成績を最高140%引き上げることができたという。

Kahanaは、「チームはこれまでトータルでおよそ80人の脳から記録を取っており、もっと正確な電極アレイを使うために規制当局に許可を申請している」と述べている。

刺激がなぜうまく働くかを解明することは基礎科学的観点からは有用だろう。しかし、たとえ完全に理解できていなくても、安全かつ効果的であることが証明され得る限りは、脳刺激に基づく治療法を開発する価値はあるかもしれないとMcHughは言う。

翻訳:古川奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160215

原文

Memory-enhancement trials move into humans
  • Nature (2015-11-05) | DOI: 10.1038/527015a
  • Sara Reardon