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ジカ熱を相手に善戦するキューバ

燻蒸作業員がハバナの民家で蚊を駆除するために殺虫剤を噴霧しているところ。キューバ全土の駆除活動がジカ熱の侵入阻止に役立っている。 Credit: DESMOND BOYLAN FOR NATURE

雨が止むと、キューバのピッグス湾近くにある高級観光リゾート地の警備員詰め所には、無数の蚊がたちまち群がってくる。すると、1人の警備員が机の下にさっと手を伸ばして、大型のヘアドライヤーのような装置を取り出した。「モスキートガンだよ」と彼は言い、詰め所の周囲を歩きながら燻蒸剤を噴霧した。小屋は白く濃い煙に包まれ、蚊が徐々にいなくなった。

キューバでは、住宅やその周辺に殺虫剤が雲のように漂っていることがよくある。このように市民が徹底して対策を実行していることもあって、キューバはカリブ海地域の中で、ジカ熱(ジカウイルス感染症)の国内感染が最も遅く起こった国の1つとなった。キューバで、国外感染ではなく国内の蚊によって感染した患者は、2016年8月11日の時点でわずか3人である。それに対して、近隣国のプエルトリコで確認された感染者は8766人に上る(「カリブ海地域のジカ熱」参照)。

Credit: SOURCE: PAHO/WHO

ジカ熱がついにキューバに上陸したことを知って、科学者や保健当局の関係者らは落胆したものの、驚いてはいない。「ジカ熱の持ち込みを阻むのは容易ではありません。キューバには、さまざまな場所から大勢の人がやってきますから」と、ペドロ・コウリ熱帯医学研究所(ハバナ)のウイルス学部門責任者Maria Guzmánは話す。キューバで国外からの輸入症例として確認されたのは、これまでのところ30例ほどである。

ジカ熱の特に油断ならない特徴は、感染しても大半が無症状か、あるいは、他の疾患でも見られるような発熱など一般的な症状しか現れないことだ。しかしキューバでは、2016年3月に国内で1人が感染したものの、8月までジカ熱患者の発生がほぼ抑えられている。

国を挙げての厳戒態勢

キューバのジカ熱対策の成功は、この国の優れた医療システムと、ベクター媒介性疾患に対して35年前に政府が設けた大掛かりな監視プログラムの賜物だと、キューバ保健省の科学技術ディレクターであるIleana Moralesは話す。

1981年、アメリカ大陸で初のデング出血熱流行が発生し、34万4000人余りの感染者が出た。「それを見た我々は、この疫学上の出来事を好機として捉えました」とMorales。キューバはデング出血熱の流行地域に医療関係者を派遣し、また、この感染症を媒介するネッタイシマカ(Aedes aegypti)を駆除するために殺虫剤の集中的な噴霧を始めた。

キューバはさらに、全国的な報告システムや、各省庁が協力し合うための枠組みを構築した。また、一般市民への啓蒙活動も行い、殺虫剤の噴霧や、蚊に刺されたかどうかの自己チェックを、大人はもとより子どもにも奨励した。最も有効だった対策の1つは、家の敷地内で蚊が繁殖していることが分かった場合に高額の罰金を課すことだったと、デューク・シンガポール国立大学医科大学院の感染症研究者Duane Gublerは言う。キューバはこれらの対策を全て実施し、デング出血熱の流行を4カ月で終息させた。

現在、ジカ熱という別の感染症が流行する恐れが出ているが、「既存のシステムを強化したり、過去に行った取り組みをさらに徹底したりすればよいので、我が国にとってはたやすいことです」とMoralesは話す。

キューバ政府は、国内でジカ熱患者がまだ見つかっていなかった2016年2月の段階で、軍の兵士9000人を各地に派遣して、住宅やビルに殺虫剤を噴霧させた。その一方で、保健当局の職員らは河川などの生息地にいる蚊の幼虫(つまりボウフラ)を駆除した。空港の職員は、ジカ熱感染者の出ている国から到着した人をスクリーニングし、医療関係者は戸別訪問をして、ジカ熱の症状が出ている人がいないかどうか確かめた。キューバは医療制度の中ですでに広範な出生前検査を行っており、そのため、小頭症などのジカ熱による先天異常を見つけ出すことができる。

全米保健機構(PAHO)のキューバ駐在員であるCristian Moralesによれば、他の国がキューバの蚊対策プログラムを単にまねても、おそらく現実的ではないだろうと話す。キューバの医療ネットワークは発展途上国のものとしてはトップクラスであり、また、政権が数十年にわたって安定していることで、政策の継続性や罰金などの対策強化が確保されてきたのだ。彼はさらに、どの国であっても、ジカ熱に対応するには各省庁間の協力や監視の強化が最も重要になると話す。

全員の課題

「キューバはおそらく、蚊の対策という点ではアメリカ大陸のどの国よりも成果を上げていますが、その有効性は完全ではありません」とGublerは話す。その一因は、財源の減少にある。1997年のデング熱の再流行はおそらく、キューバの主要な貿易相手国であったソビエト連邦(現 ロシア連邦)の崩壊が遠因となった。ソ連崩壊がキューバの経済に大打撃を与え、公衆衛生への資金投入が減退したのである。

もう1つの負の影響は、米国が1960年から実施している対キューバ禁輸措置によるもので、キューバは米国で製造された成分や部品を含む薬剤や医療用品を輸入できない。そのため、こうした医薬品を中国などから買わなければならず、コストが高くつく場合も多い。

だが、こうした問題があっても首尾は上々だ。PAHOによると、キューバ・オルギン州南東部でジカ熱を発症した最新の患者2人の各自宅150m以内で、保健当局職員が殺虫剤を噴霧し、蚊が繁殖できるような貯留水を撤去するなど、徹底的な対応策をとった。また、当局職員は現在も、感染者がいないか各戸を調べ、調査用の蚊を採集している。Guzmánによれば、キューバの研究者らがジカ熱ワクチンの研究計画を立て始めたという。

ジカ熱と闘うキューバや他の国々を支援するには国際協力が重要だろうと、Guzmánは話す。「これは我々全員の問題であり、世界にとっての新しい課題なのです」。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2016.161119

原文

Mosquito guns and heavy fines: how Cuba kept Zika at bay for so long
  • Nature (2016-08-18) | DOI: 10.1038/536257a
  • Sara Reardon