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握り飯より柿の種、早石修先生の志を継いで

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 10 | doi : 10.1038/ndigest.2016.161026

京都大学名誉教授の早石修(はやいし・おさむ)博士が、2015年12月17日、逝去された。享年95歳。米国で研究生活を送った1950年代、酸素添加酵素を発見し、生化学の定説を覆す新たな概念を打ち立てた。帰国後、京都大学や大阪バイオサイエンス研究所でさらに研究を進めるとともに、多くの弟子たちに科学の真髄をとことん教授した。今回お集まりいただいたのも、師を偲ぶ4人の弟子である。

写真左から順に、長田重一(ながた・しげかず:大阪大学免疫学フロンティア研究センター教授)、本庶佑(ほんじょ・たすく:静岡県公立大学法人理事長、京都大学名誉教授・客員教授)、成宮周(なるみや・しゅう:京都大学大学院医学研究科メディカルイノベーションセンター長)、福島雅典(ふくしま・まさのり:先端医療振興財団臨床研究情報センター長、京都大学名誉教授) | 拡大する

–– 早石修先生に師事されたきっかけを教えてください。

本庶: 私が京都大学医学部に入学したのは1960年で、ちょうどその頃に早石先生が、米国から、生化学研究の輝かしい成果をひっさげて、さっそうと帰ってこられた。米国での9年間の研究生活を終えて、京大医化学講座の教授になったのです。基礎研究に興味があった私は、大学2年生のときから早石研に入りました。

成宮: 高校時代に父や新聞を通して早石先生のことを知りました。早石先生の帰国と京大教授着任はセンセーショナルな出来事だったと。京大に進学すれば早石先生の講義が聞けるとわくわくしたのを覚えています。実際に京大に進学し、私も学部生の頃から早石研で研究を行いました。その後も大学院生、助手としてご退官までお仕えしました。

福島: お二人と違って、私は名古屋大学医学部で学びました。大学院に進むときに、どこに行こうかといろいろ調べたのですが、直接お目にかかって、早石先生に強く惹かれ、その研究室に進もうと決めました。1973年のことです。早石研には、全国から優秀な学生がたくさん集まっていましたね。成宮先生とは大学院の同期になります。私が早石先生に師事したのはたった2年間ですが、その出会いで私の一生が決まりました。我が人生で最も濃密な時でした。

長田: 私は、京大時代の早石先生のことは詳しく存じあげないので残念です。早石先生は京大を退官された後に大阪バイオサイエンス研究所の初代所長となられました。そして研究所の最初の4人の部長として、30代だった私を抜擢くださった。そのときが早石先生との初対面でした。

本庶: 早石先生が京大に着任した当時の日本経済は、第二次世界大戦敗戦の影響から立ち直りかけているときで、一般的に、研究予算も設備もまだまだ極めて乏しくてね。そのような中で、早石先生は米国でNIHの研究助成金を外国人として初めて獲得した経歴もあって、研究室には最新鋭の実験装置が設置された。早石先生は京大で、世界に通用する研究者を育てようとしていたのです。

福島: 朝来て実験を1セットやり、可能であれば、その日の午後には追試する。夜は論文を読んだり書いたりするという過ごし方を指導されましたね。

あるとき、ある大学院生が研究室で、商業誌の生化学の解説原稿を書いていたんです。それを見た早石先生はとても怒った。「君、なにやっているんだ、実験をしないのか」と。大学院生でありながら解説書きに時を費やし、実験をせずにいたら、新しい発見などできるわけないだろうという思いだったのでしょう。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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