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ヒトゲノム計画25年の軌跡

Credit: TOP, BOTTOM RIGHT: COLD SPRING HARBOR LAB. LIBRARY & ARCHIVES; BOTTOM LEFT: ERIC GREEN

1990年、米国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)の前身である米国立ヒトゲノム研究センター(NCHGR)は、米国および国外のパートナーたちと力を合わせ、ヒトゲノム計画(HGP)を開始した。ヒトゲノムに含まれる30億個の塩基対全てを解読するための13年にわたる探求である。そしてそれは、科学史上、最も重要な研究努力の1つに数えられるものにつながった。J. D. WatsonはNCHGRの初代所長として、F. S. CollinsはNHGRIの前所長として、そしてE. D. Green.はNHGRI現所長として、この計画を指揮してきた。 HGPを取り巻く議論の中心は、ほんの数年前までは、このプロジェクトがヒト疾患の理解を深めるためにどんな手掛かりをもたらしたか、あるいは、これから何がもたらされるかについてだった。生物医学研究の速度を劇的に速めたことに加えて、科学研究の新しいやり方を切り開いたとはっきりと周知されたのは最近のことである。

生物学研究の最初の大規模プロジェクトであるHGPは、コンソーシアムベースの多数の冒険的な研究の下地を作った。2000年以来、NHGRIは単独で25件以上のコンソーシアムベース研究の立ち上げに関わってきた。そしてこれらのプロジェクトにより、生物医学研究に新たな課題が提示された。その1つが、異なる国や分野からなる多様なグループが結集して膨大なデータセットを共有し、分析する方法である。

若い研究者たちは、彼らが今日解決しようとしている問題の多くが、4半世紀前の先輩科学者たちには考えつきもしなかったものだということをつい忘れてしまう。また同様に、HGPが大型科学プロジェクトに携わる人々にいまだに洞察を与えるものであることも見逃されがちである。実際、今日のコンソーシアムベースの科学研究を成功に導いたのは、HGPから得られた6つの重要な教訓だと我々は考えている。

6つの教訓

1 パートナーシップを受け入れる。

いくつかの科学的な疑問を解明するために、HGPでは、個々の科学者が独自にコツコツと研究を重ねるという従来のスタイルを破らざるを得なかった。また、仮説に基づいたこれまでの研究のやり方に逆らって、多くの後続研究に利用できる「基礎的な情報の発見」に焦点を合わせた。

HGPには多くの国や分野、そしてさまざまな身分や役職の研究者2000人以上が集結した。異なる機関から資金援助を受けているサブグループによって構成されていたHGPが成功できた要因は、資金を提供した諸機関による強い指導力、「この仕事が重要である」という共通した認識、そして、関係している研究者たちが共同の利益のために個々の成果を譲渡しあったことだった1

多くのコンソーシアムベースのゲノミクスプロジェクトが後に続いた。例えば、ヒトゲノムの塩基配列バリアントのカタログを作る「1000ゲノムプロジェクト」(Nature 10月1日号68ページ75ページに研究成果が報告された)、がんの原因となる変異の特徴付けを行う「がんゲノムアトラス」、そしてゲノム塩基配列解読などの技術を用いて微生物叢を調べる「ヒトマイクロバイオームプロジェクト」などがある。

Credit: Dorling Kindersley/Thinkstock

コンソーシアムベースの科学研究でしばしば障壁となるのは、参加者が新しいパートナーシップを進んで受け入れようとしないことだ。けれども、さまざまな努力が重ねられてきたことや、データと資源を集約することは全ての人の利益になり得るという認識が高まってきたこともあいまって、古い規範が取り除かれつつある。

例えば、アフリカの遺伝学研究者やゲノミクス研究者は最近まで、米国あるいは欧州の科学者と協力することが最も多く、他のアフリカ諸国の研究者と組む傾向は低いように思われた。そこで、アフリカでのゲノミクス研究の推進を目指す「アフリカにおけるヒトの遺伝と健康(H3Africa)」イニシアチブ2が立ち上げられた。その重要な目的は、アフリカ内での協力を培うことだった。米国立衛生研究所(NIH)と英国のウェルカムトラストが、2012年と2013年にこのプロジェクトのために最初の研究資金を提供し、24のアフリカ諸国による29の共同研究事業が確立した。以後、その数は増加している。H3ABioNetは、アフリカ全体のデータを分析するための専門知識、インフラストラクチャー、そしてツールを共有しやすくすることを目指すバイオインフォマティクス・ネットワークで、現在は15カ国の32の研究グループが参加している。

2 データ共有を最大限にする。

HGPは生物医学研究におけるデータ共有の規範を変えた。大量のゲノムマッピングとゲノム塩基配列解読のデータが生み出されるようになるとすぐに、データの生成からリリースまでの時間を短縮する方針を確立すべきだという機運が高まった。こうした努力は、1996年にバミューダ原則の採用で頂点に達した。この会合に出席した、プロジェクトに関係している主要グループのリーダーたちは、一定のサイズ以上のゲノム塩基配列アセンブリは生成から24時間以内に公共のデータベースに提出することに同意した。

それ以降も努力が積み重ねられてきた。バミューダ原則は2003年のフォートローダーデール協定によって拡張され、そして2008年にはNIHが、全ゲノム関連研究にまでデータ共有の奨励を広げた。全ゲノム関連研究は、重要な形質と関連付けられるバリアントを明らかにするために行われる、数百人、あるいは数千人規模の一般的ゲノムバリアントの分析研究である。2014年に、NIHは拡大したゲノムデータ共有(GDS)方針の実施を開始した。GDS方針では、NIHの資金を使って生成または分析されたほとんど全ての大規模ゲノムデータについて、共有することが求められる。

広範囲にわたるデータの共有は新しい難題を生み出した。例えば、膨大なデータセットを分析したり動かしたりする際には、計算上およびロジスティックな面での困難などがある。また、特にゲノムや臨床的なヒトのデータの場合、被験者のプライバシーをどうやって保護したらいいかという問題もある。これらの問題を扱うために種々の戦略が試されている。

堅牢で強力なコンピュータ・プラットホームが必要になった結果、生物医学研究ではクラウドコンピューティングの使用が急速に増加するなどしている。そこで、既発表、未発表のデータを収容するための「データコモンズ」など、新しいリソースが提言されている3。そして2013年に設立された国際的な連合組織、「ゲノミクスと健康のため のアライアンス」(Global Alliance for Genomics and Health:GA4GH)は、国際的な「ゲノムと健康に関連するデータの責任ある共有に関する枠組み(Framework for Responsible Sharing of Genomic and Health-related Data)」の準備を進めている4。これは法律、倫理、そして技術的な問題を考慮するものになるだろう。

3 データ分析のための計画を立てる。

HGPの計画作りにはいくつかの欠陥があった。振り返ってみると、初期にはデータ分析に十分な配慮がなされていなかった。最初のヒトゲノム塩基配列は、ばらばらの断片を少しずつ組み立てるやり方で解読した。つまり、染色体1本の連続的な塩基配列を決定するためには、個々に組み立てられた数千もの塩基配列断片(それぞれ約100~300kbp)をコンピュータ処理によって継ぎ合わせなければならなかった。このようなコンピュータ処理が必要であることや、これが技術的に非常に難しいことが明らかになったのは、プロジェクトの比較的遅い段階だった。だが、バイオインフォマティクス研究者の小人数グループの果敢な努力により、この仕事は数カ月ほどで達成された。計画段階でもっと注意を払っていれば、この仕事はもっと楽にできたはずだ。

近年、1000ゲノムプロジェクトやがんゲノムアトラスのような、いくつかのゲノミクスプロジェクトにより、データ分析計画の初期のデザインがいかにデータ生成戦略を助けるかがはっきりと示されてきた。より最近では、米国のプレシジョン・メディシン・イニシアチブ(Precision Medicine Initiative;より正確な個別化医療を目指す取り組み)5のための計画において、データタイプが膨大な数になると予想されることから、それらを統合して分析する最良の方法についてかなりの議論がなされた。このプロジェクトで扱うデータは、電子カルテやゲノム分析のデータから、環境モニターや装着可能な身体センサーに記録される情報まで、多岐にわたる。

4 技術開発を優先する。

2001年2月、ヒトゲノム解読を報告する論文出版について共同で記者会見を行う、当時のNHGRI所長コリンズ氏(右)と、商業としてヒトゲノム解読を目指しCelera Genomics社を率いたクレイグ・ベンター氏。公的機関と私的企業のゲノム解読競争によりHGPが加速し、予定より早い解読完了を達成した。 Credit: Getty Images

HGP参加者は、より大規模なプログラムの一環として、ヒトゲノムのマッピングと塩基配列解読のためのツールと方法の開発が必要になるだろうということを十分に認識していた。そのため、HGPが正式に開始された1990年10月以降も技術開発を優先して推し進めた。実際、このプロジェクトは多数の重要なゲノム関連技術の開発を促進した。そして分子生物学、化学、物理学、ロボット工学、コンピュータの利用における大きな革新につながっただけでなく、革新的なやり方でツールや方法を使う戦略も導いた。いくつかのケースでは、多数の逐次的な改良がつなぎ合わされて革命的な進歩がもたらされた。その一例がキャピラリー型DNAシーケンサーで、最初のヒトゲノム塩基配列は最終的にこれを使って解読された。

プロジェクトの開始時から技術革新の促進に取り組む必要があるのは一目瞭然で、このことは、今日の大規模プロジェクトにとっても極めて重要だ。この点に関して先を走っているのは、米国のBRAIN(Brain Research through Advancing Innovative Neurotechnologies)イニシアチブ6だ。このプログラムは、ヒトの脳に関する我々の理解を飛躍的に進めるという非常に重要な目的を持っている。目標達成には、脳の全ての細胞タイプを定義して、それらの接続状態をマッピングし、神経回路からのシグナルを機能や行動と関連付けた上で記録できる新世代ツールが必要であり、その開発にまず注力することになっている。

5 進歩が社会におよぼす影響に対処する。

HGPの創設者たちはヒトゲノムの塩基配列解読とマッピングから得られる情報が社会に深遠な影響をもたらす可能性があることを認識していた。だから HGPは、人々のプライバシーをどのように保護し、差別をどのように防ぐかといった、より広範な社会的問題を扱うことに特化した部門を持つ最初の大規模研究プロジェクトになった。ELSI(ethical, legal and social implications;倫理的、法的、社会的諸問題)研究と呼ばれるこの部門に、HGPのNIH予算のうち約5%が割かれている7。これは生命倫理学研究におけるこれまでで最大の投資だった。

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今日の最先端の研究の多くには、社会的、倫理的考慮がなされている。注目を集める例としては、ヒトや他の生物種のゲノムを改変するCRISPR/Cas9遺伝子編集ツールの使用や、感染性疾患のアウトブレイク中に治療法候補を早急に評価するための迅速臨床試験の設計などがある。残念なことに、大部分のコンソーシアムベースのプロジェクトには、HGPのような専門の生命倫理学研究プログラムが設けられていない。我々は新しい大型イニシアチブが着手されるときには、重要な要素としてこのようなプログラムが含まれるべきだと考える。

6 大胆かつ柔軟であれ。

HGPのゴールは向こう見ずなものだった。ヒトゲノムをマッピングし、最終的に塩基配列を解読する方法について明確なビジョンがあったわけではなかったため、この研究がやや懐疑的な目で見られたのも当然と言えた。

HGPの成功のカギは、リーダーとなった科学者たちが常に柔軟な姿勢を持っていたこと、そして彼らがしばしば立ち止まってじっくりと状況を吟味したことだったと、我々は考えている。HGPの最初の5年の計画は1993年と1998年に見直され、修正された。HGPの各要素は定期的に改善された8

大胆な目標を持つ大型プロジェクトであっても、全体的な目的が明確なマイルストーンと品質測定法、そして評価に根差している限り、成功できる。必要に応じて計画を反復することをいとわない態度も必要とされる。最終目的の達成法が絶対的に明確になるまで待っていると、チャンスを逃がす危険がある。そうしたチャンスは実際に研究を始めてからでないと見えてこないものだからだ。この方式は、BRAINイニシアチブやプレシジョン・メディシン・イニシアチブなど、いくつかの大規模プロジェクトでは当たり前のことになっている。

ゲームチェンジャー

1990年代初期(J. D. W.とF. S. CがHGPでNIHの事業を指揮していたころ、あるいはE. D. G.がこのプロジェクトの最前線で働いていたころ)、我々3人の中に、HGPの主要な遺産の1つが「科学研究の新たなやり方」になると予想した者はいなかった。

今日の大学院生はおそらく、研究者としての生涯の中で、何千という病気の分子機構の解明や、がんの診断と治療における革命的進歩、マイクロバイオーム科学の成熟、幹細胞治療の日常的な使用など、目を見張るほど素晴らしい生物医学の進歩を目撃したり、それを推し進める役割を果たしたりすることだろう。

これらの進歩のいくつかは、ほぼ間違いなく科学研究のやり方を根本的に変えるだろう。HGPの物語はそれを信じさせてくれる根拠を与えてくれる。そして、そうした変化を受け入れて、称えることがいかに大事かということも思い出させてくれるだろう。

翻訳:古川 奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2016.160128

原文

Twenty-five years of big biology
  • Nature (2015-09-30) | DOI: 10.1038/526029a
  • Eric D. Green, James D. Watson & Francis S. Collins
  • Eric D. Greenは国立衛生研究所(米国メリーランド州ベセスダ)の米国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)の所長。
  • James D. Watsonはコールドスプリングハーバー研究所(米国ニューヨーク州コールドスプリングハーバー)の名誉総長で、米国立ヒトゲノム研究センター(現NHGRI)初代センター長。
  • Francis S. Collinsは国立衛生研究所(NIH;米国メリーランド州ベセスダ)の所長で、NHGRIの前所長。

参考文献

  1. Collins, F. S. et al. Science 300, 286–290 (2003).
  2. H3Africa Consortium. Science 344, 1346–1348 (2014).
  3. Stein, L. D. et al. Nature 523, 149–150 (2015).
  4. Knoppers, B. M. HUGO J. 8, 3 (2014).
  5. Collins, F. S. & Varmus, H. N. Engl. J. Med. 372, 293–295 (2015).
  6. Insel, T. R. et al. Science 340, 687–688 (2013).
  7. McEwen, J. E. et al. Annu. Rev. Genomics Hum. Genet. 15, 481–505 (2014).
  8. Green, E. D. in The Metabolic and Molecular Bases of Inherited Disease 8th Edn (eds Scriver, C. R. et al.) 259–298 (McGraw-Hill, 2001).