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攻めか、守りか、棋士の直観を脳科学で解明

田中 啓治

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2015.150819

プロの世界では、一瞬の気の迷いが命取りになることが少なくない。求められるのは、どのような状況下でも、瞬時に正しい決断を行う人並み外れた能力だ。理化学研究所 脳科学総合研究センター 認知機能表現研究チームの田中啓治チームリーダーらは、訓練を重ねたプロ棋士が直観的に「次の手」を決めたり、「攻めるか守るかの戦略」を決めるときの神経基盤の解明を進めてきた。10年にわたる脳活動の測定により、これまでに知られていなかった回路を突き止めることに成功した。

–– 直観についての研究を、将棋を用いて続けられています。

田中: きっかけは全くの偶然でした。理研スタッフに向けた講演会で、将棋連盟元会長の故米長邦雄さんをお招きしたことがあり、脳科学センターの伊藤正男センター長(当時)に、プロ棋手の脳の仕組みを解明してはどうかと提案いただいたことがきっかけです。将棋はボードゲームの代表ともいえ、心理学では1950年代から将棋とよく似たチェスを使った研究が行われています。一流のプレーヤーはアマチュアとは全く異なる直観を働かせているとされてきたのですが、脳科学的な検討は行われていませんでした。

–– 「直観」は科学的に定義されているのでしょうか?

田中: 科学的な定義はないのですが、私は研究対象を「専門家(エキスパート)が発揮する直観」に限定し、「意識せずに出てくる正しい判断で、極めて短時間に、どのような状況でももたらされるもの」としています。将棋やチェスだけでなく、医師、会計士、サッカー選手など、さまざまな分野に直観を持つエキスパートがいると考えています。いずれも長い年月をかけた訓練や学習に基づくもので、私たちが抱く「直観のようなもの」とは全く性質の異なるものです。

図1 将棋盤面の知覚に関わる脳領域
(左)実験中に提示した画像の例。12秒の間に、あるカテゴリーの像を24個提示し、12秒間休んだ後に、今度は別のカテゴリーの像を提示する。
(右)将棋の実戦から取ってきた盤面(序盤と終盤)を提示したときに、頭頂葉の楔前部で活動が高まった(赤と黄色で示した領域)。 | 拡大する

物体:Hemera Technologies/PhotoObjects.net/Thinkstock; 顔:dolgachov/iStock/Thinkstock; 風景:Ljupco/iStock/Thinkstock

–– 初めに、どのような研究をされたのでしょうか?

田中: プロの直観的な思考の解明に取り組みました。「プロ棋士(4~9段)」、比較のための「高段位アマチュア棋士(2~5段)」「中段位アマチュア棋士(2級~1段)」の3グループを対象に、以下のような実験を行いました。

図2 プロ棋士に、1秒で直観的に次の手を考えてもらう直観的思考課題と、8秒間じっくり考えてもらう長考課題を与えたときの脳活動。+は注視点。
(上)直観的思考課題の例。
(中)プロ棋士が直観的に次の手を考えているときに、それぞれで活動が高まった領域(赤と黄色で示した領域)。
(下)8秒間かけて次の手をじっくり考えたときに活動が高まった領域。 | 拡大する

まず、被験者には光ファイバー搭載の高解像度ゴーグルを通して、盤面を見てもらいました。実戦的な将棋の盤面を見せると、プロ棋士にだけ、頭頂葉の後部内側(楔前部)に活動が現れました。無意味な盤面や将棋以外(チェス、中国将棋)の盤面を見せたときは、プロ棋士でも活動は低いままでした。

次に、プロ棋士と高段位アマチュア棋士に「ある盤面」を1秒間提示し、「次の最善の一手」を直観的に選択してもらいました。その間に活動部位を調べたところ、プロ棋士では大脳皮質のいくつかの領域と、より深い部位にある大脳基底核(尾状核頭部)で活動が見られました。一方、高段位アマチュア棋士で活動が見られたのは大脳皮質だけでした。ただし、提示時間を8秒間にしてじっくり考えてもらうと、プロ棋士で見られた大脳基底核の活動は消失しました。

–– どのようなことが言えるのでしょう?

田中: 直観的に考える訓練を重ねるうちに、初めは情報を大脳皮質で処理していたのが、意識に上らない大脳基底核でも処理するようになったといえます。大脳基底核には抑制性のニューロンが存在していることが分かっています。抑制性ニューロンを抑制する、つまり、強い興奮を引き起こす仕組みをうまく利用して、大脳皮質よりも効率よく処理をしていることがうかがえます。この成果は、2011年に論文として発表しました1

–– 翌年にも論文を出されていますね。

田中: 2011年の論文で、「プロとアマを比較しただけでは不十分、アマからプロへの熟達の過程を経時的に計測しないと説明できない」との指摘を受け、追加で実験を行ったからです。熟慮の末、本将棋を簡略化した「5五将棋」を用いることにしました。5五将棋は盤面が縦横5マスで、コマが金、銀、王など6種類しかありません。これなら、素人でも短期間の訓練で「プロに近い直観的思考」が可能になるのではないかと考えたのです。

 実験では学生に協力してもらい、謝金を支払った上で、パソコンの将棋ソフトを使って毎日1時間、4カ月間練習してもらいました。訓練の動機付けのために、訓練開始から4カ月後にトーナメントを開催し、上位入賞者には報奨金を用意していることも伝えておきました。1週間後の計測では大脳皮質しか活動していなかったのが、4カ月後には大脳基底核も活動するようになっていました。こうして、私たちの主張が正しかったことを証明できました2

図3 「攻めるか守るかの戦略」を直観的に選択する戦略決定課題を与えたときのプロ並みのアマチュア棋士の脳活動
(左)与えられた盤面では攻めるべきか守るべきかを決める「戦略決定問題」と、指示された戦略の下で具体的な指し手を考える「具体手決定問題」の例。
(右)戦略決定問題では、前帯状皮質吻側部(rACC)、後帯状皮質(PCC)、前頭前野背外側部(DLPFC)の活動が高まった。rACCの活動は与えられた盤面における守りの価値を、PCCの活動は攻めの価値を、DLPFCの活動は守りの価値と攻めの価値の差を表していた。 | 拡大する

–– 今回は、同じ直観でも「戦略決定」に焦点を絞られました。

田中: 将棋は「攻め手」と「守り手」がはっきりしています。そこで、攻めるか、守るかの戦略をどのように決めているのか調べたいと思ったのです。今回は、プロ並みのアマチュア(3〜4段)の17名(平均年齢33歳の男性)を被験者として、fMRI装置内で将棋の攻防の局面を見せ、2種類の問題に答えてもらいました。1つは、攻めるか守るかを決める「戦略決定問題」で、もう1つは、攻めか守りかのどちらかの指示の下で具体的に次の指し手を決める「具体手決定問題」です。課題実行中に活動が見られる脳の回路について、両者を比較しました。問題は、プロ棋士である北浜健介さんに作っていただきました。

–– 予想どおりの結果だったのでしょうか?

田中: 実は、予想外の結果でした。大脳基底核には活動が見られず、大脳皮質の3カ所が活動していたのです。それぞれ、前帯状皮質吻側部(rACC)、後帯状皮質(PCC)、前頭前野背外側部(DLPFC)と呼ばれる領域です。

そこで、これらの部位と、攻めや守りの価値判断との関係を調べることにしました。価値を計算するのには『激指』(マイナビ社)と名付けられた将棋プログラムを利用しました。このプログラムは、具体手の価値を18手先まで読め、18手先の価値を評価して、元の手の価値を決めることが可能です。ただし、「攻め」と「守り」のどちらに価値を見いだすかには個人差があり、多くの被験者が「攻め」をより高く評価していました。私たちはまず、個人の主観による差を調整するための係数を割り出しました。次に、プログラムが算出した価値にその係数を掛け合わせ、最終的に出てきた値を「攻めの主観的価値」「守りの主観的価値」としました。

このようにして解析を進めた結果、rACCの活動が「守りの主観的価値」、PCCが「攻めの主観的価値」と強く相関することが分かりました3。さらに、DLPFCの活動は両者の差、つまり、「選択した戦略の主観的価値」から「選択しなかった戦略の主観的価値」を引いた値を表すことも突き止めました3

–– どのようなことが結論付けられるのでしょうか?

田中: プロ並みの棋士は、大脳皮質だけを用いて、次のような順で情報を処理していたといえます。①視覚野で盤面の特徴を捉える、②rACCで守りの主観的価値を、PCCで攻めの主観的価値をそれぞれ計算する、③DLPFCで価値の大きい方から小さい方を引き、差を求める、④価値の大きい方を戦略として採用する、という流れです。

–– 最後に、成果の応用や今後のご予定について教えてください。

田中: プロが行う直観的な思考、直観的な戦略決定について、比較的シンプルな脳の回路構造を特定できましたので、これまで「弟子入り制度」に頼ってきた専門家教育を科学的に行えるようになるかもしれません。現在は、サッカーのパス回しでも、将棋の直観的思考と同様に大脳基底核を利用していることが明らかになりつつあります。サルなどの動物で専門家訓練の実験系を構築し、神経細胞の活動が表現する情報をピンポイントで調べることも進めたいと考えています。

–– ありがとうございました。

聞き手は、西村尚子(サイエンスライター)。

Author Profile

田中 啓治(たなか・けいじ)

理化学研究所 脳科学総合研究センター チームリーダー。1975年、大阪大学大学院 基礎工学部生物工学科 修士課程修了。1983年、論文提出で東京大学 医学部より博士号を取得。日本放送協会 放送科学基礎研究所研究員、理化学研究所 フロンテイア研究システム チームリーダーなどを経て1997年より現職。大脳皮質視覚連合野における物体視覚像の認識のメカニズムと、前頭連合野での認知的行動制御のメカニズムが主要な研究テーマ。近年は、実験動物での研究だけでなく、ヒトでの磁気共鳴画像法を用いた研究からも脳のメカニズム解明に取り組む。

田中 啓治氏

参考文献

  1. Wan, X. et al. Science 331, 341-346 (2011).
  2. Wan, X. et al. J. Neurosci. 32, 17492-17501 (2012).
  3. Wan, X. et al. Nat. Neuroscience 18, 752-759 (2015).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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