バランスを保つことで多能性を安定化
道教では「二元性の達成」を2つの相対する力がバランスを保って共存する状態と説くが、今回、この状態が幹細胞にも確認された。幹細胞はあらゆる可能性の中心に位置することで、血液から骨や脳まで、多種多様な組織を形成する可能性を秘めている。このようなさまざまな可能性のバランスを保つことは、幹細胞性の獲得および維持に重要である1。このほどソーク生物学研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)のJuan Carlos Izpisua Belmonteの研究チームは、幹細胞がこのようなバランスを保つのに、細胞のシグナル伝達経路の1つであるWnt経路の中和が役立っていることをNature 2015年5月21日号316ページで報告した2。
図1 幹細胞のシーソーを安定化する
a 正常な発生過程では、ナイーブ型多能性細胞は体内のあらゆる細胞種を作り出す能力を持つが、成熟することでプライム型多能性細胞になる。このようなプライム型多能性細胞はさまざまなシグナル伝達経路に応答して分化し、より特殊化した細胞種(中内胚葉あるいは外胚葉)になる。Fgfシグナル伝達やWntシグナル伝達は共に、外胚葉の形成を阻害し、中内胚葉の形成を促進する。
b 研究チームは、プライム型多能性細胞が中内胚葉と外胚葉の運命の間の不安定なシーソーの上に位置していることを実証した2。Fgfシグナルの供給と同時にWntシグナルを阻害すると、プライム型多能性細胞を安定化することができる。
体内のあらゆる種類の細胞を作り出すことができる幹細胞は多能性を持つといわれる3。多能性とは珍しい状態ではなく、発生段階の異なる少なくとも2つの関連細胞種に備わっている特性である。マウス胚に出現する最初の多能性細胞は広範な細胞系譜に分化する可能性を秘めており、ナイーブ型と呼ばれる4。ナイーブ型多能性細胞は形成されるとすぐに、分化に向けたプライミングを受ける4。つまり、FgfやWntなどのタンパク質を含む、多くの細胞外シグナルによって、特殊化したさまざまな細胞種のうちの1つになるための指示を受けるのである。このような指示を受けた多能性細胞はプライム型と呼ばれ、具体的には外胚葉(皮膚や脳の組織の前駆細胞)か、中内胚葉(血液、骨、腸および他の臓器の前駆細胞)3のどちらかになることができる(図1a)。
プライム型多能性細胞は迅速に分化する準備ができており、従って、不安定な状態にある1。プライム型多能性細胞は、胚から取り出され、培養皿で培養されると、自然に多能性を喪失し、分化した細胞種になることが多い5。この現象は、一部はWntやFgfタンパク質の作用に起因している。これらのタンパク質は、中内胚葉への分化を誘導し、外胚葉の形成を阻止する(図1a)6,7。
プライム型多能性細胞はWntを産生する。そのため、自然に自身の分化を促進している可能性がある5,8,9。そこで、研究チームのJun Wuと岡村大治(現 近畿大学)らは、プライム型多能性細胞でWntを阻害すれば中内胚葉への分化を阻止することができ5,10,11、また同時にFgfを供給することで外胚葉の形成も制限できるのではないかと推論した(図1b)。相対する細胞系譜への分化を誘導する力のシーソーを安定化することによって、シーソーの支点を細胞系譜が拘束されていない多能性状態に持ってくることができるかもしれない。今回、Wuと岡村らは、この仮説に基づきWnt阻害剤とFgfを含む培養条件でヒト、マカクサル、チンパンジーあるいはマウスなどのプライム型多能性細胞を培養したところ、その由来にかかわらず細胞を「安定化」できることを見いだした。
培養系のマウス単離エピブラスト(7.5日齢着床後)の後側と前側に、従来の培養条件におけるヒトES細胞(左)と、研究チームが開発した培養条件下で安定化したヒトES細胞(右)を移植した。36時間後、安定化したヒトES細胞のみ、後側で生着が確認された。
彼らは、この方法で安定化されたプライム型多能性細胞が外胚葉や中内胚葉の細胞に分化する能力を保持しているかどうかを調べるために、安定化されたヒト多能性幹細胞を、培養系のマウス7.5日齢着床後単離エピブラストの異なる領域(前側、遠位側、後側)に移植した。安定化されたヒト多能性細胞はマウス単離エピブラストの後側に移植した場合のみ組み込まれた。そして、生着した細胞は本来の発生プログラムを再開し、エピブラストにおいてヒトの外胚葉や中内胚葉に特異的な遺伝子を発現する細胞に分化した。このときに発現した発生遺伝子の完全なレパートリーについては、より大規模な解析を待たねばならないが、これらの知見から、安定化された多能性細胞は、安定化条件から解放されると分化できることが示された。
安定化された多能性細胞はin vivoの発生スケジュールに沿って本来の細胞状態のようにふるまうのだろうか? ナイーブ型あるいはプライム型という多能性細胞の分類はおそらく人工的な二分法で、実際、Wnt阻害剤を加えて培養した細胞における遺伝子発現は、ナイーブ型あるいはプライム型の遺伝子発現とは異なっている。これは、培養条件の調節により安定化された細胞が、それらとは本質的に異なる種類の多能性細胞であることを意味しているのだろうか? それとも、単純に競合する細胞系譜の力のバランスを取り戻したことで、より安定化されたプライム型多能性を示す細胞種になっているのだろうか? おそらく、人為的に安定化されたこのプライム型多能性細胞は、in vivoでは胚発生の速度が速いため短い期間しか存在しないと考えられ、in vivoでこれに相当する細胞を明らかにすることは難しいだろう。しかし、これまでの多能性細胞についての研究10に照らし合わせると、この安定化された細胞は、ナイーブ型とプライム型の多能性の中間にある細胞に一致するといえるかもしれない。
別の可能性として、研究チームが見出した細胞は人工的であり、発生段階で見られる細胞種ではない可能性も考えられる。これらの細胞のプライミングは、Wnt阻害により書き直されてはいないが、接着特性が変化して、in vitroのマウス単離エピブラストに生着できるようになったのかもしれない。つまり、ある程度人為的な操作の影響を受けて安定化された結果、単離エピブラストの後側にのみ生着できるようになった可能性があるのだ。一方、マウス由来の従来のプライム型多能性細胞はエピブラストの全ての領域に生着できる。この差の理由は解明されていない。
最後に、細胞系譜のバランスが保たれているという考え1は多能性幹細胞以外の細胞にも当てはまる可能性があり、腸12、あるいは血液13の幹細胞のように、より特殊化した細胞にも拡大できるかもしれない。幹細胞では、相対する細胞系譜に分化できる可能性が共存する状態にあるなら、次に、競合する細胞系譜の力のバランスを保つことが、さまざまな種類の幹細胞の安定化や捕捉の決め手になるかもしれない。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 8
DOI: 10.1038/ndigest.2015.150832
原文
Equilibrium established- Nature (2015-05-21) | DOI: 10.1038/521299a
- Kyle M. Loh & Bing Lim
- Kyle M. Lohは、スタンフォード大学医学系大学院(米国カリフォルニア州)、Bing Limは、トランスレーショナル医学研究センター(シンガポール)に所属。
参考文献
- Loh, K. M. & Lim, B. Cell Stem Cell 8, 363–369 (2011).
- Wu, J. et al. Nature 521, 316–321 (2015).
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