生物非対称性の研究もセンター運営も、皆で手を携えて
–– 体の左右非対称性について研究されてきました。
濱田: 私たち哺乳類の体は外見的には左右対称ですが、体の内部はそうではありません。心臓、胃、血管など、多くの器官が左右非対称です。
発生初期のマウスの体を観察していて、体の左側だけで発現していた遺伝子を発見し、Leftyと名付けました1。この発見をきっかけに、動物の体の発生過程で左と右が生じる仕組みを探る研究が、私のメインテーマになりました。
培養細胞からマウス個体へ
–– どのようにして、Lefty遺伝子の発見にたどり着いたのですか。濱田先生が研究者の道を歩み始められた頃は、ちょうど分子生物学が盛んになってきた時代でしたね。
濱田: そうですね。1970年代後半、当時の日本で、分子生物学的な研究ができる数少ない研究室だった徳島大学の村松正實教授の所で、核酸(DNAやRNA)について学びました。その後、米国やカナダで、胚性腫瘍細胞を実験材料に用いて、遺伝子を単離する研究を行いました。
「何か面白い遺伝子を発見しよう」といろいろ考えて、未分化なときと分化したときとで発現が変わる遺伝子に着目しました。そして1990年に発見したのが、転写因子Oct3/4です2。当時はそれほど注目されなかったのですが、今では初期化因子「OSKM」の1つとして有名です。
–– やがて、発生生物学の方に進まれて。
濱田: 1993年、都立臨床医学総合研究所で自分のラボを持つことができました。遺伝子ノックアウト技術が世の中に出始めた頃です。
今後は、マウス個体で遺伝子機能を調べる発生工学が重要になるに違いない。でも当時の臨床研にはその実験設備がなかった。それなら、将来に備えて、研究材料としておもしろそうな遺伝子の候補を単離しておこう。そう考え、せっせとスクリーニングをしました。Leftyも、実はそのとき候補に含まれていたのです。
そして2年後、大阪大学に移りました。ここには、マウスの発生工学技術をお持ちの近藤寿人教授がいらっしゃいます。そこで、近藤先生から私のラボの若手(目野主税さん、現・九州大学教授)に、ノックアウト実験法を直接伝授いただくことができたのです。
左右が決まる仕組みを解明
–– それが、左右非対称性の研究へと発展したのですね。
濱田: はい、Leftyの発見は1996年でした。そして、この遺伝子を欠損させたノックアウトマウスを作ると、マウスの体の左右が異常になることを確認できたのです3。
その後、詳細に仕組みを解析した結果、体の左側を作る上でアクセルの役割をするのは別な遺伝子(Nodal)であって、Leftyはブレーキの役割をすること。そして、この2つの遺伝子の働きによって左側と右側が作られることを突き止めました4。
–– そもそも、これらの遺伝子が左側で発現するのは、なぜなのですか。
濱田: それについても、明らかにしてきました。東京大学の廣川信隆教授が1998年に、マウスの胚発生過程で左右対称性が初めて崩れる出来事を発見されたことがきっかけになりました。胚発生期にはノードと呼ばれるくぼみが一時的に胚表面に現れます。ここの繊毛が回転することによって、胚を包む体液(羊水)に右から左に向かう水流が生じ、この水流が左右対称性を崩すのです。水流の方向を別の繊毛が感知して、左側での遺伝子発現が起こることも分かっています5。ただし、この仕組みには未解明の部分がまだ残されており、全容解明に向けて取り組んでいるところです。
–– 計画的に研究を進め、とても順調に成果を挙げられてきたのですね。
濱田: そんなことはありません。振り返って見るから、歩んできた道がくっきり見えるだけで、最初から、このように進もうとしてきたわけではありません。得られた実験データに基づき、それを評価し、判断し、さらに研究を進めてきただけです。
廣川先生の研究が発表されたときは、大変なショックを受けました。廣川研究室の野中茂紀さん(現・基礎生物学研究所)らはマウス胚を観察し、水流があることに気付かれた。一方、私たちは分子しか見ていないことが多い。広い視野を持つことの重要性を痛感しました。
実験データが、自分の予想と違うことが多々あります。そういうときには、自分が考えてきたことに固執せず、出てきたデータを大事にして、それをもとにどうするか考えてきたつもりです。
–– ご自身の研究室での、不正防止対策についてお聞かせください。
濱田: 個人の実験ノートは、ラボの誰でも見てよいことにしています。また、1カ月に一度は、実験の進展をラボ内で発表するプログレスレポートを行うのですが、私のラボでは、必ず生データを見せることにしています。そして、うまくいった実験だけでなく、うまくいかなかった実験も発表するようにしてきました。
これは不正防止に役立つでしょうが、そればかりでなく、実験している本人は気が付かない大事なことに、他の人が気付くかもしれないという利点があります。本人は失敗だと思っていても、実はそこにおもしろいデータが入っているかもしれません。ラボの皆さんはそれぞれの目を持っているので、皆さんの目を通すことにしているのです。
新センター長として
–– 2015年4月より、多細胞システム形成研究センター(CDB)の新センター長に就任されました。
濱田: 研究所の人たちに、なるべく研究しやすい環境を作ること。それがトップの役割だと思います。研究所の皆さんと手を携えて進んでいきたいと考えています。
–– 新センター長の就任決定は1月。周囲の反応は?
濱田: 「なぜ引き受けたの?」と驚かれました。世間の注目を集めた研究所だから大変だろうと、皆、心配して言ってくれているのだと思いますが。でも、私はあまり心配していませんでした。CDBはもともと、優秀な若い研究者が多い所。その人たちが今、自分たちの手で新しい研究所を作っていこうと前向きにスタートを切っているのですから。
実はもう1つ、周囲が心配する理由があって……、私にはそもそも組織の運営が向いていないのではないかと……。ロビー活動なども苦手だし(笑)。確かに私は、トップとして皆をぐいぐい引っ張っていくタイプではありません。むしろ、若い研究者とも話をして、積極的に彼らの意見を取り入れたいと思っています。最後の決断と責任は私にありますが、運営は皆で、それが理想です。
–– 就任会見で、透明性のある運営を行うとおっしゃっていましたね。
濱田: 以前はシニアしか参加しなかった運営会議ですが、今は若い人たちも参加しています。会議の内容もオープンにしています。その辺りは、私が決めたというより、すでにアクション・プランとして実行されてきています。
–– 2015年は大阪大学教授を兼任し、2016年からは研究拠点もCDBへ移されるのですね。
濱田: 私自身が良い研究を続けることによって、センター長としてばかりでなく研究者としても、若い人たちから尊敬される存在になれるよう努めます。
–– ありがとうございました。
聞き手は、藤川良子(サイエンスライター)。
Author Profile
濱田 博司(はまだ・ひろし)
理化学研究所 多細胞システム形成研究センター センター長。岡山大学医学部卒業、1979年 同大学院医学研究科修了(医学博士)。カナダ・メモリアル大学、東京大学助教授、東京都臨床医学総合研究所を経て、1995年 大阪大学細胞生体工学センター教授。2002年 大阪大学生命機能研究科教授。2015年4月より、現職を兼任。紫綬褒章、慶應医学賞ほか受賞。
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2015.150518
参考文献
- Meno, C., Saijoh, Y. et al. Nature 381, 151-155 (1996).
- Okamoto, K. et al. Cell 60, 461-472 (1990).
- Meno, C. et al. Cell 94, 287–297 (1998).
- 4 Saijoh, Y. et al. Mol. Cell, 5, 35-47 (2000).
- Yoshiba, S. et al. Science 338, 226-231 (2012).
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