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「3人の親による体外受精」にゴーサイン

「3人の親による体外受精」によって、ミトコンドリアDNAの有害な変異が母親から子どもに伝わるのを防ぐ。 Credit: TED HOROWITZ/CORBIS

かつて英国では世界に先駆けて体外受精(IVF)が行われた。あれから37年後の今、この国が再び生殖医療の分野をリードすることになるかもしれない。2015年2月3日、英国議会下院である法案が可決された。「ミトコンドリア置換(mitochondrial replacement)」もしくは「3人の親による体外受精(three-person IVF)」と呼ばれる遺伝子改変型の生殖医療技術の実施を認める法案である。英国は世界で初めて、この技術の解禁に向けて一歩踏み出したことになる。

ミトコンドリア置換の目的は、ミトコンドリアDNAの変異が原因で起こる疾患(ミトコンドリア病)が子どもに伝わらないようにすることである。ミトコンドリアは細胞のエネルギー生成を担う小器官で、ミトコンドリアDNAに変異が生じると、脳や心臓、筋肉といったエネルギー消費量の多い組織に障害が出ることがある。ミトコンドリアDNAは全て母親から受け継がれ、中にはミトコンドリアDNAに有害な変異があっても自身に症状が現れない女性もいる。そうした女性から生まれた子どもは疲れやすくなったり、時には筋ジストロフィーや心疾患などの致死的病態が現れることもある。ミトコンドリア病を持って生まれてくる子どもは推定で5000人に1人の割合という。

ミトコンドリア置換では、置換用のミトコンドリア供給源としてドナーが提供した卵子を用いる(ドナー受精卵を脱核し、カップルの受精卵の核を移植する、もしくは、ドナー卵子に母親由来の卵子の核を移植する方法がある)。つまり、生まれてくる子どもは、カップル2人のDNAとドナーの女性のミトコンドリアDNAを持つことになる。

下院での評決は賛成382票、反対128票となって可決され、まだ上院の可決を待つ段階だが、大方の予想では上院でもこの法案が通るとみられている(訳註:2月24日、上院でも賛成多数でこの法案が可決された)。法的に認められると、英国の生殖医療規制機関である「ヒト受精・胚機構(HFEA)」が、医療機関にミトコンドリア置換実施ライセンスを付与することが可能となる。ただし、ヒトでの最初の臨床試験が始まるまでにはもう少し時間がかかるかもしれない。

多くの生殖生物学者は、英国のこの動きが、世界の生殖医療に影響を及ぼすほどの大きな一歩になるとみている。「英国が先頭に立ってくれるだろうと思っていました」と話すのは、オレゴン健康科学大学(米国ポートランド)の幹細胞学者Shoukhrat Mitalipovだ。彼のチームは、米国食品医薬品局(FDA)に、ミトコンドリア置換の臨床試験の実施許可を申請したいと考えている。法的規制をめぐる米国の議論は英国に多少の後れを取ったが、「米国は英国と同じ道筋をたどることになるでしょう」とMitalipovは話す。

おそらく英国HFEAは、ミトコンドリア置換の実施を希望する医療機関に許可を出す前に、この手法が安全であることを示すさらなる証拠を求め、また、実施の申請を個別に検討することになるだろう。

英国はこれまで、ミトコンドリア置換を法律で明確に禁止してきた。だが、そうした国は少ない。中国や日本などいくつかの国では、この技術に規制がかかっているものの、指針による規制であり、その撤廃は議会の承認などがいらないため容易なはずだと、北海道大学の生命倫理学者、石井哲也は話す。

同じことは米国にもいえる。米国では、ニュージャージー州のある生殖医療機関が受胎率を上げるためにミトコンドリア置換と似た方法(患者の卵子にドナー卵子の細胞質を注入する技術で、卵子細胞質移植と呼ばれる)を実施していたことがあった。これを受けてFDAは、2001年からミトコンドリア置換の一時禁止措置を取ってきた。ミトコンドリア置換の臨床試験開始を熱望するMitalipovの奮闘により、科学的、倫理的および政治的な一連の再検討が促され、それらは現在も続いている。

2014年2月には、FDAの諮問委員会が2日にわたる会合で、ミトコンドリア置換の科学的な検討を行った。この会合では、ミトコンドリア置換の実施許可へと動き出す前に、より多くのデータが必要な分野(この置換法を施したサルの長期的な健康状態の追跡など)が明確化された。こうした情報の不足部分を埋めるには、おそらく2〜5年かかるだろうと、諮問委員会の議長を務めるサンフォード・バーナム医学研究所(カリフォルニア州ラホヤ)の幹細胞生物学者Evan Snyderは話す。

オーストラリアも、3人の親による体外授精について検討中である。同国の議会は、2011年にヒトクローン作製を規制する法律(Prohibition of Human Cloning for Reproduction)の見直しを行い、規制緩和をしない道を選択した。今回の英国議会での可決は、方向転換を求める人々にとって「心強い援護射撃になる」と、メルボルン大学(オーストラリア)の遺伝学者David Thorburnは話す。ただし彼は、「個人的な感触では、英国でこのミトコンドリア置換が実際に行われるまで、オーストラリアの規制が緩和されることはないでしょう」と付け加えた。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2015.150509

原文

World hails embryo vote
  • Nature (2015-02-12) | DOI: 10.1038/518145a
  • Ewen Callaway