バイオ炭は地球と人類を救えるか
ブルックリン海軍工廠(米国ニューヨーク)は、1801年の建設から1966年まで、150年以上にわたって軍艦を建造した。ここで生まれた歴代の軍艦は、アフリカ沖で奴隷貿易の取り締まりを行い、大西洋を横断する世界初の海底電信ケーブルを敷設し、第二次世界大戦にも投入された。工廠の跡地は現在、同市の産業施設になっており、芸術家、建築家、小規模醸造家、有機野菜生産者などが活動している。霧雨のそぼ降るある秋の日、ブルックリン農園のBen Flannerは、広さ6000m2の屋上農園で赤と緑の葉を茂らせるレタスの手入れをしていた。
彼は手で土をつかみ取り、しげしげと観察する。一見、何の変哲もない土のようだが、塊になった茶色い泥の中に、黒くて小さい粒が混ざっているのが分かる。2年前に土に混ぜ込んだバイオ炭(biochar)と呼ばれる木炭片の残りである。Flannerは、炭素を豊富に含むバイオ炭を使うことで、作物の成長を促すだけでなく収穫量も増やすことができると考えていて、数年後には目を見張るような成果を挙げられると期待する。
バイオ炭の土壌改良効果は長続きするとされ、売り上げはここ数年全米で急増している。ある見積もりによると、2008年から毎年3倍ずつ増加しているという。Flannerのブルックリン農園にバイオ炭を供給しているバイオチャー・カンパニー社(The Biochar Company;米国ペンシルベニア州バーウィン)は、小売業者に卸すだけでなく、ネット通販サイト「アマゾン」や自然食品店「ホールフーズ・マーケット」などで個人消費者への直接販売も行っている。また、中国からスウェーデンまで、多くの国々が畑や芝生にバイオ炭を使っている。
バイオ炭を支持する人々は、この土壌改良材に大きな可能性を感じている。バイオ炭は、生物資源(穀皮などの農業廃棄物)を低酸素条件下で加熱することで作られる。つまり、バイオ燃料の副産物として生産することができるため、いくつかの企業は、より環境に優しいエネルギーへの需要が高まれば、両方を販売したいと考えている。
科学者の間でもバイオ炭への関心が高まっており、その可能性を検証するための研究結果が速いペースで蓄積してきている。特に関心が集まっているのが、バイオ炭粒子の化学的・物理的特性がどのような仕組みで土壌中の水の流れに影響を及ぼし、汚染物質を除去し、微生物群集を変化させ、温室効果ガスの放出量を減少させるかである。彼らは、バイオ炭が世界中の農民、特に、痩せた土地で農業を行うアフリカなどの発展途上地域の人々の助けになることを期待している。
コーネル大学(米国ニューヨーク州イサカ)の作物・土壌科学者Johannes Lehmannは、各種のバイオ炭には、「風化がかなり進んで水や養分を蓄えられなくなった砂質の土壌などから、土壌の健康を損ない作物の生産性を低下させている原因を取り除くという、他の物質にはない潜在能力がある」と評価する。
けれども、バイオ炭をめぐっては、価格や効果をはじめとする多くの疑問が残っている。いくつかの研究では、バイオ炭の使用により作物の増産どころか減産が見られた。評価が困難な原因は、バイオ炭の原材料と作り方が多種多様なことにある。つまり、あらゆる種類の生物資源からさまざまな温度と反応速度で作れるために、その性質は千差万別で、それゆえ効果にも大きなばらつきが出る。「私は常々、この物質を『biochar』という単数形で呼ぶべきではないと言っています。あるのは複数形の『biochars』なのです」とLehmannは言う。
ルーツはアマゾン
バイオ炭が広く知られるようになったのは最近のことだが、歴史は古い。アマゾンに住む人々は、何百年〜何千年も前から、有機物を加熱して「テラ・プレータ(黒い土)」と呼ばれる肥沃な土壌を作っていた。けれどもこの習慣は欧州諸国が南米を侵略した頃に廃れてしまい、別の地域の少数の農民だけがバイオ炭を作り続けた。科学者がバイオ炭に強い関心を寄せるようになったのは10年ほど前のことである。地球温暖化への懸念が大きくなったこの時期に、一部の人々が、大量の炭素を地中に埋没させる手段として、バイオ炭のことを盛んに宣伝し始めたのだ。その後、炭素埋没法としての期待は外れたが、土壌科学者は現在、農業に利用する方法と汚染の軽減に役立てる可能性を模索している。
中でも注目されているのは、バイオ炭が土壌中の水の動きにどのような影響を及ぼすかという問題だ。コロラドカレッジ(米国コロラドスプリングス)の生物地球化学者Rebecca Barnesらは、さまざまな土にバイオ炭を加えて、この問題を検証した1。通常、砂の中では水はたちまち流れ去ってしまうが、バイオ炭を加えることで水の移動速度を平均92%も遅くすることができた。また、粘土を多く含む土壌は、水を長くとどめすぎてしまうが、バイオ炭を加えることで移動速度を300%以上も速くすることができた。
研究チームは、バイオ炭によって、水が土壌中の粒子の隙間を通り抜けるときに何らかの影響を受け、水の通り抜け方が変わると仮定した。
「一般的に粘土の粒子は平べったく、砂の粒子は球形です。これに対して、無定形であるバイオ炭の粒子は、それ自体が不規則な形をした水の通り道になるだけでなく、土壌の粒子の隙間にも不規則な形の通り道を作るのです」とBarnesは説明する。研究チームは、こうした入り組んだ経路が砂の中では水の移動を遅くし、粘土の中ではこれを速くすることを示した。
Barnesは、自分たちの知見の重要性を強調する。粘土の粒子は、大量の水を蓄えることができる一方で、水を通過させることができず植物の根に水を届けられないという問題があるが、これを解消できるからだ。いくつかの研究により、何も加えていない土壌や堆肥を加えた土壌よりも、バイオ炭を加えた土壌の方が植物がよく育つことが示されている2。
研究者らは、バイオ炭が土壌中の微生物の活動に及ぼす影響についても解明しようと取り組んでいる。微生物は群集としてふるまうことが多い。例えば、多くの病原性細菌は、植物の免疫反応を圧倒できるだけの個体数になったときに初めて植物の根を攻撃する。このとき細菌はシグナル伝達分子を分泌してお互いの活動を協調させているが、ライス大学(米国テキサス州ヒューストン)の生物地球化学者Caroline Masielloらは、バイオ炭が細菌細胞のシグナル伝達分子に結合することにより協調を抑制できることを明らかにした3。
「連絡を取り合うための『電話線』を切断された細菌は、自分は一人ぼっちだと思い込むのです」とMasiello。もっと研究が進み、バイオ炭のこの機能をうまく利用できるようになれば、植物の感染症を減らせるかもしれないと彼女は期待する。
他の研究者らは、バイオ炭を使って畑から一酸化二窒素(亜酸化窒素、強力な温室効果ガス)の放出量を減らす方法を研究している。2014年、南京農業大学(中国)の土壌科学者Xiaoyu Liuらは、トウモロコシ畑と小麦畑にバイオ炭を1回加えたところ、それから3年間、5出回り期にわたって一酸化二窒素の放出量が減少したと報告した4。同様の結果は他の研究でも示されているが、このような効果が生じる機序は不明である。「バイオ炭を加えることでカリウム分が増えるなど土壌自体の性質が改善する他、土壌中の有機物成分も増加します」とLiuは言う。なお、彼女はバイオ炭生産者から研究資金の提供を受けている。
だが、バイオ炭が「夢の新材料」であることを示す報告ばかりではない。作物の収穫量を減少させるという報告もあるし5、植物の昆虫や病原体に対する防御遺伝子の活性を低下させることも示唆されている6。
このような結果についてLehmannは、バイオ炭の投与の仕方が不適切だったせいかもしれないと指摘する。彼によると、収穫量の減少が見られた研究の一部では、もともと良い土壌にバイオ炭を加えていたという。不適切な種類のバイオ炭を用いると、土壌の微生物叢に悪影響を及ぼしたり、炭素貯蔵能力を低下させたりする恐れがあるとする研究もある7。例えば、ある種の土壌では、稲わらから作ったバイオ炭は、木材や厩肥(家畜の糞尿とわらなどを混ぜて腐熟させた肥料)から作ったバイオ炭とは違った働きをするだろう。
とはいえ全体的には、バイオ炭がもたらす影響は、悪いものより良いものが多いようだ。2011年のメタ解析結果からは、全体として平均収穫量が10%増加していて、酸性土壌では14%増加していることが分かった8。バイオ炭の効果が最も出やすいのは、土壌が劣化していて肥料も不足しているような場所かもしれない。バイオ炭によって、土壌がもともと持っている栄養分を保持しやすくなるからだ。カリフォルニア大学バークレー校(米国)のAndrew Crane-Droeschは、ケニア西部の劣化した土壌でバイオ炭の効果を調べている。これまでに得られた予備的なデータによると、バイオ炭を使っている畑の収穫量は対照群より32%も多いという。
世界銀行が2014年6月に発表した報告書によれば、バイオ炭の使用により最大の恩恵を受けると予想されるのは、発展途上国の小規模農家である9。これは単に、彼らがバイオ炭の効果が出やすい土壌で農業をしているからではなく、バイオ炭が「気候変動対応型農業(climate smart agriculture)」のカギとなる可能性があるからだ。気候変動対応型農業とは、気候変動の影響を受けにくく、気候変動そのものを緩和するような農業である。
汚染浄化への期待
バイオ炭の原点は農業かもしれないが、研究者が現在注目しているのは、これとは別の用途である。バイオ炭は土壌中の重金属を吸着するため、重金属が植物や水源に入らないようにするのに役立つと考えられているのだ。この性質が、米国環境保護庁などの官公庁や、鉱山の跡地を再生利用しようとする民間企業の目を引いた。2010年には、米国コロラド州アスペンに近いホープ鉱山で、土壌にバイオ炭を加える実験が行われた。この鉱山は、採掘を終了した後も数十年にわたって放置されていたため、鉱業廃棄物による環境への悪影響が懸念されていた。そこで、バイオ炭を使って土壌中の金属を固定し、斜面の保水量を増やして、金属に汚染された水が地表に浸み出してこないようにした。アスペン環境研究センターによると、このプロジェクトにより、長らく不毛の地だった山の斜面に植物が育ってきたという。
バイオ炭を使った汚染水の浄化も有望で、活性炭よりはるかに安価な代用品として、廃棄物処理施設から有毒化学物質に高度に汚染された土地まで、さまざまな場所で活躍することになるかもしれない。ミシシッピ州立大学(米国スタークビル)を引退した化学者Charles Pittmanによると、バイオ炭粒子の表面積はもとから比較的大きいが、水中ではさらに膨らむため、汚染物質の結合部位は膨大な数になるという。彼は、バイオ炭を利用した汚染水浄化は、水処理システムが完備されていない国々で特に役立つと考えている。そのほかにも、従来の水処理施設では除去するのが難しい抗生物質や化学廃棄物の除去にも使えるはずだ。
さらに、原油や天然ガスの採掘に用いた液体の処理や、印刷用トナーや塗料の成分にバイオ炭を利用する方法も検討されている。米国農務省の農業試験場(ミネソタ州セントポール)の土壌科学者Kurt Spokasは、「未開拓の市場が他にもたくさんあります」と言う。
これに対して専門家は、環境浄化や他の用途へのバイオ炭の利用が経済的に成り立つのはいつなのか、そもそも経済的に成り立つようになるのかすら、現時点では分からないと警告する。特に問題になるのが農業だ。痩せた土壌で農業をする人々は、たいてい貧しい。ケニアの村でバイオ炭の使用により収穫量を増やせることを示したCrane-Droeschは、この農法が経済的に成り立つかどうかを同じ村で調べている。「貧しい村人のほとんどは、バイオ炭を無償で提供されるならともなく、有償なら、製造原価とほとんど変わらないような価格であっても購入しようとは思わないということが分かりました」と彼は言う。
バイオ炭の価格には大きな幅があるが、米国では1kg当たり3ドル程度の商品がいくつかある。これは、ある種の肥料と同じくらいで、多くの堆肥より高い。バイオ炭の大規模生産が経済的に成り立つのは、バイオ燃料の生産が経済的に成り立つ場合(例えば、補助金が出る場合や、炭素排出量削減政策により化石燃料の価格が上昇する場合)に限られるかもしれない。
バイオ炭の需要が増えたら増えたで、その製造に伴う環境への影響が懸念される。ここで問題になるのが、原料の選択だ。中国は稲や小麦のわらなどの農業廃棄物を利用しようと熱心に取り組み、米国の一部の研究者は厩肥を推しているが、どちらも大量生産には向いていない。木材を原料にすると、森林破壊や土地を痛めつけるような利用法を広めてしまう恐れがある。
オックスフォード大学(英国)インド持続可能開発研究センターのAlfred Gathorne-Hardy研究所長は、「何を原料にするかという問題は、人々が考えている以上に重要です。バイオ炭業界では、この問題が十分に議論されていないように思われます」と指摘する。
今後の行方
こうした議論は、消費者のバイオ炭への関心が高まるにつれて、盛んになっていくだろう。実際、バイオ炭は世界中で徐々に浸透してきている。ストックホルム市の緑化計画と樹木保護の責任者であるBjörn Embrénによると、同市は2009年から一部地域の植物の成長を促すためにバイオ炭を使用していて、近年、樹木の成長がすこぶる良好なのはそのおかげであるという。2014年9月には、ストックホルムの民家の庭から出るごみでバイオ炭を作る全市を挙げての計画立ち上げのため、ブルームバーグ慈善財団(米国ニューヨーク)が同市に100万ユーロ(約1億3500万円)を提供した。この計画は、将来的には生ごみや下水汚物も原料にすることを目指している。
ブルックリン農園ではFlannerが作物の観察を続けている。彼は真っ黄色の雨具を着て、野菜の列の間を注意深く歩いていく。レタスやニンジンの頭が雨に濡れて光っている。彼は、栄養分と水をとどまりやすくするバイオ炭は、長期にわたって土壌に良い影響を及ぼすと考えている。「栄養分と水が特に重要なのですが、屋上農園の土は水はけがよすぎて、どちらもすぐに失われてしまうのです」と彼は言う。
けれども、農園の他の場所の土にはバイオ炭を加えていない。今後数年かけて、作物がバイオ炭の投与に対しどのように反応するかを観察してから、加えるかどうかを決めるという。彼も、バイオ炭を研究する科学者たちと同じように、バイオ炭の未来が大きく花開くのか、それとも、多くの「夢の新材料」がたどったように途中でしぼんでしまうのか、見極めたいと考えている。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 4
DOI: 10.1038/ndigest.2015.150424
原文
State-of-the-art soil- Nature (2015-01-15) | DOI: 10.1038/517258a
- Rachel Cernansky
- Rachel Cernanskyは米国コロラド州デンバー在住のフリーランスライター。
参考文献
- Barnes, R. T., Gallagher, M. E., Masiello, C. A., Liu, Z. & Dugan, B. PLoS ONE 9, e108340 (2014).
- Liu, J. et al. J. Plant Nutr. Soil Sci.175, 698–707 (2012).
- Masiello, C. A. et al. Environ. Sci. Technol. 47, 11496–11503 (2013).
- Liu, X. et al. Agric. Syst. 129, 22–29(2014).
- Rajkovich, S. et al. Biol. Fert. Soils 48, 271–284 (2012).
- Viger, M., Hancock, R. D., Miglietta, F. & Taylor, G. GCB Bioenergy http://dx.doi.org/10.1111/gcbb.12182 (2014).
- Zimmerman, A. R., Gao, B. & Ahn, M. -Y. Soil Biol. Biochem. 43, 1169–1179 (2011).
- Jeffery, S., Verheijen, F. G. A., van der Velde, M. & Bastos, A. C. Agric. Ecosyst. Environ. 144, 175–187 (2011).
- Scholz, S. M. et al. Biochar Systems for Smallholders in Developing Countries (World Bank, 2014).