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南の楽園のアバター化計画

「地上の楽園」と呼ばれる島を、世界初の完全なバーチャル生態系として再現しようという試みが進行中である。ある国際研究チームが、南太平洋に浮かぶモーレア島(フランス領ポリネシア)に生息する動植物の遺伝子から細かい地形に至る詳細なデータを使って、デジタル世界にこの島の「アバター(分身)」を作ろうと準備を進めているのだ。タヒチ島の西隣に位置するモーレア島は、世界で最もよく調査されている島の1つである。研究チームは、それらの豊富な調査データを組み込んだバーチャル実験場を作り上げ、それを使って人為活動の影響に関する仮説の検証や立案ができるようにしたいと考えている。

生態学では何年も前からモデルをもとにした研究を行っており、温度や個体群、捕食者や被食者などの自然のさまざまな要素の関係性をわずかずつだが明らかにしてきた。しかし、そうしたモデルは特定の生物種や研究上の限られた疑問だけを対象としているものが多い。一方、人為活動と自然の変動は共に絡み合って環境を変化させるので、研究者からは「全体論的な視点を得る必要がある」という声が上がっていた。生物保護区の設定や化石燃料の使用量抑制といった緩和策により、生態系全体がどんな影響を受ける可能性があるかを事前に予測できるような大規模モデルが求められているのだ。

「世界は変化しており、対応するためのさまざまな判断が下されていますが、実態は手探り状態なのです」と話すのは、このモーレアIDEA(Island Digital Ecosystem Avatars;島のデジタル生態系アバター)プロジェクトの仕掛け人の1人で、カリフォルニア大学バークレー校(米国)が設置した海洋研究基地「Gump Station」のディレクターであるNeil Daviesだ。「正確な予測が得られることは今後もまずないでしょうが、我々には、さまざまなシナリオをモデル化する何らかの手だてが必要なのです」とDaviesは言う。例えば、ある場所に1件のホテルが建った場合に生態系はどう変わるのか、川から1つの生物種が消えた場合に下流で何が起こるのかなどのシナリオをモデル化するのだ。

YANN ARTHUS-BERTRAND/CORBIS

モーレア島は、その手始めとして理想的なのだとDaviesは話す。この島の面積は132km2で、径はいちばん長い東西方向でも約16 kmしかない。人口はわずか1万7000人で、生態系の規模も小さく、世界の他の地域からも比較的隔絶されていて、モデル化しやすいのだ。しかも、この島には1970年代からフランスの研究者らが訪れており、1980年代からはGump Stationも稼働している。どちらの研究グループも、この島の水系や周辺の海域に関する多種多様なデータを収集しており、サンゴや魚類の数についても数十年にわたって調査を行ってきた(「データでできた天国の島」参照)。

モーレア島の周辺海域のサンゴや魚類は、30年以上にわたって詳しく調べられてきた。

Thinkstock

こうした従来の海洋生物調査は現在、モーレア・バイオコード・プロジェクトとの連携を進めつつある。このプロジェクトの目的は、モーレア島に生息する長さ1mm以上の生物種全ての特徴を明らかにして、種に固有な識別子となる「DNAバーコード」をそれらに割り当てることだ。こうすることで、例えば動物の胃の中に入っている場合や種子や幼生期の状態にある場合など、鑑定が難しい場所や状態にあっても、生物種を素早く容易に特定できるようになる。

モーレアIDEAでは、このバイオコード・プロジェクトから得られた手掛かり(特定の海洋スポットに存在する種や、捕食者–被食者関係など)と、気象や海流、人口密度や不動産価格といった人間社会のデータを組み合わせる。そして、この島と周囲の水系を視覚化してGoogle Earthのような三次元画像に仕上げ、見たい場所を拡大でき、データにもアクセスでき、シミュレーションも実行できる、「バーチャル実験場」を目指す。

「第一段階は手元のデータを統合するための枠組み作りで、データを整えて組み合わせ、研究者が利用しやすい形にします。次に、これを土台としてモデルの作成に取りかかることができます」と、プロジェクトのメンバーでスイス連邦工科大学チューリッヒ校のコンピューター科学者Matthias Troyerは話す。

拡大するプロジェクト

IDEAプロジェクトは、DaviesとTroyerの他3人の海洋科学者(オックスフォード大学のDawn Field、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のSally Holbrook、フランスのモーレア島研究基地にいるSerge Planes)の発案で2013年に誕生した。現在このプロジェクトの参加者は80人を超えている。

IDEAチームは2014年11月と12月に会合を開き、そこで既存のデータと最新技術で得られたデータの併用の仕方について議論した。IDEAの枠組みの一部はすでに構築作業に入っており、Daviesによれば、チームは予備研究用に3年間で約500万ドル(約6億円)の資金提供を求めている。

「IDEAプロジェクトは過去に例のないモデル研究です」と話すのは、国連環境計画(UNEP)世界自然保護モニタリング・センター(英国ケンブリッジ)の生態系モデル研究者Mike Harfootだ。従来のモデルには、人間社会のデータを物理学や生物学の要素と統合するものが存在しなかったからである。もっとも、生態系のモデル化という全体論的アプローチを可能にするほどの性能を有するコンピューターが実現されたのはごく最近のことだが、と彼は付け加える。

「途方もない量のデータを搭載することになりますね」と、ボーンマス大学(英国)の計算論的生態学者Rick Staffordは驚く。さまざまなデータセットを互いに交流させることは難題だが、そうした壮大な構想に着手するための機は熟しているとDaviesは言う。そして、もしモーレア島でうまくいけば、この取り組みを世界各地へ展開できるかもしれない。「壮大ですが、決して夢物語ではありません」とDaviesは語る。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2015.150417

原文

Tropical paradise inspires virtual ecology lab
  • Nature (2015-01-15) | DOI: 10.1038/517255a
  • Daniel Cressey