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量子コンピューターが現実になる日

Credit: GETTY IMAGES

グーグル社(米国カリフォルニア州マウンテンビュー)で働くようになっていちばん気に入っている点はどこかという質問に対し、物理学者のJohn Martinisが挙げたのは、廊下にずらりと並ぶ有名なマッサージチェアや、社内の至るところでスナック菓子が無料で手に入ることではなかった。彼が感心していたのは、夢のような目標を追い求める上での失敗に対して同社が見せる寛容さだった。「彼らは、挑戦する全てのプロジェクトに成功するようなら、自分たちの目標設定が不適切だったと考えるのです」。

Martinisは、彼が取り組む仕事もそうした辛抱強さをグーグル社に求めることになるだろうと考えている。2014年9月、グーグル社は彼と20人のメンバーからなる研究チームをカリフォルニア大学サンタバーバラ校(米国)から引き抜いて、量子コンピューターの建造という恐ろしく困難なプロジェクトに取りかからせた。量子コンピューターとは、量子の奇妙な性質を利用して、普通のコンピューターでは宇宙の寿命が尽きても終わらないような計算を実行できる機械のことだ。

このビジョンは、1980年代初頭に提案されて以来ずっと、Martinisや他の多くの物理学者に挫折感を抱かせてきた。実際には、量子コンピューターに欠かすことのできない量子効果は、信じられないほど壊れやすく、制御するのが困難なのだ。外部からたった1個の光子や振動が迷い込んできておかしな当たり方をしただけで、計算は台無しになってしまう。30年にわたって努力を重ねてきた今日でも、世界最高の量子コンピューターで、かろうじて中学校レベルの問題(例えば、21の素因数分解。答えは3と7)を解けるようになったにすぎない。

あまりにも遅い進歩故に、懐疑的な人々はしばしば量子コンピューティングを核融合エネルギーに例えてきた。いつまで経っても数十年先にあるように見える革新的な技術というわけだ。

けれども、そうした評価は間違っているかもしれない。量子コンピューティングの専門家の多くが、30年の努力がついに実を結びそうだと感じているのだ。彼らは今や、数ナノ秒ではなく数分間も持続する量子ビット(「キュービット」)を作れるようになったし、外部からの摂動などによりエラーが発生したときにそれを訂正するのも上手になった。量子コンピューターの開発にかかる費用も無視できない問題になってきたため、量子ソフトウエア技術者たちは、工業プロセスのための新しい触媒の探索など、莫大な開発費用を正当化できるような利用法を提案している。

「有用で利益を生む量子コンピューター」という展望を気に入ったのはグーグル社だけではなく、IBM社やマイクロソフト社もこの分野に参入してきた。いくつかの学術研究機関の研究チームも、この技術の実用化を推し進めている。例えば、デルフト工科大学(オランダ)には、政府が後援するQuTechセンターがあり、そこが研究者とオランダ国内のハイテク産業の出会いの場になっている。同大学の物理学者Ronald Hansonは、あと5年もすれば汎用量子コンピューターの基本構成要素を作れるようになり、10年と少しで、完全に機能する実証用の量子コンピューター(ただしそれは、やたらと大きく、効率の悪いものになるかもしれない)を建造できるだろうと言う。

Martinisは、具体的な予定は決めていないが、自分たちも同じくらい楽観的だと言う。「この2年間で、多くのことがうまくいきました。自然法則が量子コンピューターを許さない可能性はまだありますが、成功する可能性もかなり高いと思います」と彼は話す。

概念の誕生

量子コンピューティングの概念的基礎は1970年代から1980年代初頭にかけて定まった。この分野の創始者と広く考えられているのが、米国の物理学者である故リチャード・ファインマン(Richard Feynman)で、量子コンピューティングに関する彼の講義が1982年に出版されている1。その基本的な洞察は、以下のようにまとめられる。従来のコンピューターは、任意の量の情報を符号化する微小なシリコン回路が「閉」か「開」のどちらかの状態にあるスイッチのようにふるまう「AかBか」型マシンであり、「真」か「偽」かなどの選択や、「1」と「0」の二進法の計算を表現することができる。量子の領域では、この「AかBか」が「AもBも」になる。二進法の「1」を時計回りのスピンを持つ電子で表現するとき、こうした粒子を支配する素粒子レベルの物理法則は、任意の量子ビットが「1」であると同時に「0」でもあることを可能にするからだ。

これを拡張すると、量子コンピューターのメモリーを構成するキュービットの集合は、「1」と「0」のあらゆる組み合わせで存在できることになる。古典的なコンピューターがそれぞれの組み合わせを順番に試さなければならないのに対して、量子コンピューターは全ての組み合わせを同時に処理することができる。つまり、入力データのあらゆる集合を並列に計算することができるのだ。組み合わせの数はメモリーの大きさとともに指数関数的に増大するため、量子コンピューターは古典的コンピューターより指数関数的に速くなる可能性がある、ということになる。

ファインマンの考察が単なる科学的興味の対象以上のものになったのは1994年のことだった。米国の数学者Peter Shorが、量子コンピューターを使って大きな数を非常に高速に素因数分解できるアルゴリズムを開発したのだ2。従来型のコンピューターで解こうとすると途方もなく時間がかかるので、現在はこの性質を利用した暗号化技術が広く用いられているほどである。Shorのアルゴリズムは、量子コンピューターなら原理的にこうした暗号を解けることを意味していた。

その2年後には、ベル研究所(米国ニュージャージー州マレーヒル)の研究者Lov Groverが、量子コンピューターを使って大規模なデータベースの検索を大幅に高速化するアルゴリズムを考案した3

これらの応用が重要であることは誰の目にも明らかだったので、瞬く間に多くの研究者と研究資金を引きつけた。あと数年で実際に使える量子コンピューターが登場するだろうと主張する者さえ出てきた。「当時はまだ、よく分かっていなかったのです」とHansonは言う。その後、特定の種類の問題を解くための特殊な量子コンピューターについては、ある程度の前進が見られた(Nature 2012年11月15日号322ページ/Nature ダイジェスト2013年2月号24ページ「飛躍のときを迎えた量子シミュレーター」およびNature 2013年6月20日号286ページ参照)。けれども、最終的な目標は、プログラミングによりどんなアルゴリズムでも実行できる「汎用デジタル量子コンピューター」であり、この目標を達成することは、思っていたよりはるかに難しいことが分かってきた。

問題は、量子効果が極端に壊れやすいことだ。外部からのわずかな影響がキュービットを崩壊させて、多数の異なる状態を同時に表現することを不可能にしてしまう。キュービットを現実世界の計算に役立つものにするためには、厳重に隔離して慎重に操作しなければならないが、これは非常に困難だ。さらにキュービットは、計算ステップを実行する時間よりもはるかに長い間(典型的には1µ秒程度)、その量子状態を保持している必要がある。

2方向からの攻略

これらの目標を達成するため、物理学者たちは2つの方向から量子コンピューターの実現を目指している。1つはキュービットの寿命を延ばしてエラーの発生頻度(誤り率という)を減らすことで、もう1つはエラーが発生したときにこれを訂正できるアルゴリズムを考案することだ。この技術は量子誤り訂正と呼ばれる。

現在多くの研究者に好まれているキュービットのデザインは、非常に低い温度で電気抵抗がゼロになる超伝導体でできたマイクロチップ大の回路を基礎にしたものだ。ジョセフソン効果という量子現象により、こうした回路の微小なループ中を流れる電流は時計回りにも反時計回りにも同時に流れることができ、キュービットを表現するのにうってつけだ。けれどもMartinisによると、この回路を実装するのは非常に難しいという。「回路の全ての物理的過程を解明するには何年もかかります」とMartinis。彼をはじめとする科学者たちは、10年の歳月を費やして回路のデザインを改良し、回路を環境から隔離する方法を工夫して、ついにキュービットの寿命を1万倍も延ばすことができた。今では、その状態を常に50~100µ秒も維持できるようになっている。計算を進めながらキュービットを操作・制御する方法を改良して、誤り率を下げることにも成功した。

電子や原子核のスピンは近隣の粒子の磁場によって容易に反転してしまうため、これらを基礎にしたキュービットの寿命を延ばすのは困難だ。けれども2014年10月に、ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア・シドニー)の物理学者Andrea MorelloとAndrew Dzurakが、精製して磁性を持つ同位体を除去したシリコン中にスピンキュービットを埋め込むことで、この干渉をなくすことに成功したと発表した4。このキュービットは30秒間も維持することができた。

1997年には、カリフォルニア工科大学(米国パサデナ)の物理学者Alexei Kitaevが、物質のエニオン(anyon)という状態からキュービットを作るという、より革新的なアプローチを提案している5。エニオンは、多数の粒子の集団的な性質から生じる状態だが、全体が1つの粒子としてふるまう。ある種のエニオンは、特別な性質をもう1つ持っている。その量子状態から、最近の相互作用の歴史を知ることができるのだ。Kitaevは、これらのエニオンをキュービットとして利用すれば、その相互作用の順番を使って組み紐のように情報を符号化できるはずだと主張した。さらに、この符号化は系全体に効率よく広まるため、キュービットは自然に個々の部分から生じるエラーから守られることになるとした。

「トポロジカル・キュービット」として知られるこうしたエニオンは、まだ理論上の存在にすぎないが、この着想はかなり有望視されていて、マイクロソフト社をはじめとする複数の企業が、実験室でトポロジカル・キュービットを作る取り組みに資金を提供している。

しかし、どんなに壊れにくいキュービットであっても、エラーが生じるのは避けられない。これは一般的なコンピューターでもいえることだが、量子コンピューターの場合、エラーはキュービットの個数とともに指数関数的に大きくなるため、より問題になる。ウォータールー大学(カナダ・オンタリオ州)の実験量子物理学者David Coryは、「今後、量子コンピューターを建造していく上で、エラーを回避する方法を見いだすことは最大の難所の1つになります」と言う。

つまり、何らかの形で量子誤り訂正技術を実装するのだ。従来型のコンピューターでエラーを訂正するには、単に、それぞれのビットを複数コピーしてから始めればよい。コピーの間で多数決を採れば、後に「1」から「0」へ、あるいは「0」から「1」へと反転したものがあったかどうかが分かる。しかし、量子の世界ではこの方法は使えない。キュービットの量子状態を破壊することなくこれをコピーすることはできないからだ。それでもキュービットを比較することはできるので、理論家たちは、さまざまなペアのキュービットに同じ値を持っているかどうかを尋ね、その答えを利用して個々のキュービットが壊れていないか推定する訂正スキームを考案しようとしている。

つい最近まで、典型的なキュービットは10の計算ステップごとに約1個のエラーを生じてしまい、既存の訂正スキームでは追いつかないことが大きな問題になっていた。ロンドン大学ユニバーシティカレッジ(英国)の実験物理学者John Mortonは、「理論家は、平均誤り率が10万回に1回程度になるようにしなければならないと主張していました」と言う。けれども2014年4月に、Martinisらのグループが、1キュービットの量子情報を複数の物理的キュービットの間に広める「表面符号」スキームを実証したと報告した6。表面符号スキームは、二次元の正方格子の格子点に配置された4個のキュービットとその中心のキュービットがもつれ合うことでお互いの誤りを修正する量子誤り訂正技術で、Kitaevが提案したトポロジカル・キュービットによく似ている。Martinisらは論文中で、この技術を利用して5個のキュービットの情報を100回に1回という誤り率で扱えるようにする方法を説明し、今では、彼らのチームだけでなく他の研究チーム7も、この数字を実現している。

表面符号による量子誤り訂正技術を組み込んだMartinisらの超伝導量子回路。十字形で最隣接結合を持つ5個のキュービット(Q0〜4)が、直線状のアレイに配列されている。

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もっと先へ、もっと高く

Mortonによると、キュービットの誤り率の低下と、誤り訂正符号の改良は、この分野の展望を大きく変えたという。「このエキサイティングな時期のおかげで、我々は今やスケールアップに集中できるようになりました」と、彼は言う。

QuTechセンターのHansonも同じ意見で、「基礎的なレベルでは、もう障害物は残っていません」と言う。彼は現在、研究室での実験を実用的な技術にスケールアップするために、5人の電気工学教授と、40人の技官と研究員を募集している。彼らの主な仕事は、大規模キュービットアレイの製作法、量子計算の制御法や結果の読み出し法、量子回路を同じチップ上にある古典的電子回路に接続する方法などを考案することだ。

Hansonと、デルフト工科大学の同僚で量子ドット(微小な半導体結晶にスピンキュービットを埋め込んだもの)の開発チームを率いているLieven Vandersypenは、共に5年以内に17キュービットのアレイを構築することを目指している。彼らによると、17という数字は、表面符号スキームが予想どおり働くことを実証するための最小の数であるという。現実のアルゴリズムを走らせるのに必要な時間にわたってエラーを生じずにいられる仮想キュービットをたった1個作るためには、その情報を100個の物理キュービットに広める必要があるかもしれない。けれども彼らは、数十個の物理キュービットを製作するノウハウを手にすることができれば、100個の物理キュービットを製作して数個の仮想キュービットを作り出すのは格段に容易になると考えている。「その後は技術者の腕の見せどころで、100個、1000個の仮想キュービットを作ることを目指していきます。10年もすれば、数百キュービットのレベルで話をしていることでしょう」とVandersypenは言う。

これに対して、スイス連邦工科大学チューリッヒ校の理論物理学者Matthias Troyerは、数百キュービットという目標を達成するのは容易ではなく安価でもないと警告する。彼は、量子チップの製造が少なくとも半導体チップの製造と同じくらい難しいと仮定すると、大量のキュービットを配線し、操作し、製造するための費用は100億ドル(約1.1兆円)規模になると見積もっている。この金額は「なぜそんなものを作らなければならないのか?」という極めて重大な疑問を提起する、と彼は言う。

Troyerはこの3年間、量子コンピューターの開発に必要な莫大な費用を正当化する「キラー・アプリケーション」(普及のきっかけとなる利用法)を探してきた。2つの古典的な応用例である暗号解読とデータベースの検索は、量子コンピューターのキラー・アプリケーションとしては十分ではないというのが彼の主張だ。Shorのアルゴリズムで本格的に素因数分解をしようとしたら数千キュービットが必要になるし、量子コンピューターに解読できないような暗号化の方法もあるからだ。さらに、量子コンピューターがデータベースを高速で検索できるのは本当だが、データを回路に入力するのに要する時間は変わらないため、高速化にも限界がある。

Troyerによると、近い将来可能になると予想される本当に有益な応用法は、材料中や分子中の電子のモデル化であるという。これは、今日のスーパーコンピューターではもはや手に負えないものになってきている。当初はこれも、量子コンピューターのキラー・アプリケーションとするには難し過ぎると予想されていた。Troyerの最初の見積もりでは、植物の窒素固定に関与するフェレドキシンというタンパク質中の鉄-硫黄クラスターなどの小さい分子の分子動力学シミュレーションであっても、量子コンピューターを使って300年はかかるとされていた。「明らかに、科学とSFの境界線上にあるような話でした」と彼は言う。けれども彼はソフトウエアを書き直すことで8、300年を30年まで短縮し、ついにはわずか300秒にすることができた。「量子アルゴリズムについても、古典的コンピューティングと同じように、腰を据えてアルゴリズムを最適化する必要があるのです」と彼は言う。

反応性の低い空気中の窒素分子を工業的に固定して肥料に変える化学反応は、エネルギー集約的なプロセスである。工業スケールでは、この反応は今でも120年近く前に開発されたハーバー法で行われていて、毎年世界で生産される天然ガスの約5%がこの反応のために消費されている。Troyerは、符号化したキュービットが400前後あれば、この過程を分析して改良する方法を発見できるだろうと主張する。量子コンピューターを使って、現在使われている触媒よりもはるかにエネルギー効率の良い触媒を設計することができるなら、莫大な費用を投じて量子コンピューターを建造する価値は十分にあるというわけだ。

他のキラー・アプリケーションとしては、新しい高温超伝導体の探索や、大気中や産業廃棄物の流れの中から炭素を捕獲するための触媒の改良などが考えられる。「これらはいずれも重要な問題です。こうした問題で進歩があれば、100億ドルの回収は容易です」とTroyerは言う。

けれども、Martinisをはじめとするこの分野のベテラン研究者たちは、量子コンピューティングがまだ黎明期にあることを強調する。すでに研究の奥深くまで産業界が入り込んでいるものの、彼らに手渡せるものはまだ何もない。今日の量子コンピューティングは、第二次世界大戦直後の従来型のコンピューターに例えられると彼は言う。当時のコンピューターは全て手作り品で、研究室での実験に用いられているだけだった。「我々はトランジスターの発明とIC(集積回路)の発明の間ぐらいのところにいます」とMartinisは言い、シリコンバレーのある新興企業(ただし巨大なバックがついている)が、このプロジェクトに関心を示しているという。彼は、キュービットを完成させるための長年にわたる努力の果てに、ついに実際に問題を解くことができる量子コンピューターの製作に集中できるようになったことを喜んでいる。「グーグル社は、量子コンピューターのハードウエアの開発に取り組む科学者に『量子技術者』という新しい呼び名をくれました」とMartinisは言う。「私の夢の職業です」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2015.150319

原文

Physics: Quantum computer quest
  • Nature (2014-12-04) | DOI: 10.1038/516024a
  • Elizabeth Gibney
  • Elizabeth Gibneyはロンドン在住のNature記者。

参考文献

  1. Feynman, R. P. Int. J. Theoret. Phys. 21, 467-488(1982).
  2. Shor, P. W. Proc. 35th Ann. Symp. Found. Comp. Sci. IEEE 124-134 (1994).
  3. Grover, L. K. Proc. 28th Ann. ACM Symp. Theory Comput. 212-219 (1996).
  4. Muhonen, J. T. et al. Nature Nanotechnol. http://dx.doi.org/10.1038/nnano.2014.211 (2014).
  5. Kitaev, A. Y. Ann. Phys. 303,2-30 (2003).
  6. Barends, R. et al. Nature 508, 500-503 (2014).
  7. Hart, T. P. et al. Phys. Rev. Lett. 113,220501 (2014).
  8. Poulin, D. et al. Preprint at http://arxiv.org/abs/1406.4920 (2014).