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成長ホルモン療法の患者にアルツハイマー病の恐れ

脳内にアミロイド病変が広がった患者では、脳底部の直下にある下垂体にもアミロイドβタンパク質(茶色)が見つかった。 Credit: JAUNMUKTANE ETAL./NATURE

アルツハイマー病は人から人へうつるかもしれない。そんな考えを10年前にもし口にしたら、一笑に付されてしまっただろう。しかし近年、動物での研究から、アルツハイマー病の症状が組織を介して伝わる場合があることが分かってきた。そして今回、少なくとも特定の状況下では、ヒトでも同様の事態が起こる可能性があることを示唆する論文が、Nature 2015年9月10日号247ページに掲載された1

この研究結果は、希少なクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)で死亡した患者8人の脳の剖検研究から得られた。これらの患者はかつて、死者の下垂体から抽出された成長ホルモンを原料とする製剤の投与を受けており、製剤がCJD病原体で汚染されていたため、数十年後にCJDを発症した。ところが、そのうち6人の脳には、CJDによる病変だけでなく、アルツハイマー病を患っていたことを示す明らかなアミロイド病変が見られたのである。

「これは、アミロイド病変が実際に伝播することを示した初めての証拠です」と、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ(UCL;英国)の分子神経科学者John Hardyは話す。「これは潜在的な懸念材料となります」。

下垂体から抽出されたヒト成長ホルモン(hGH)製剤の投与を受けた人の数は、何万人にも上る。この知見がもし追認された場合、こうした人々にもアルツハイマー病になるリスクが見込まれることになる。また、一部の研究者は、今回の知見が意味するところはhGH製剤の問題にとどまらず、もっと幅広いのではないかと懸念している。現在のところ、アルツハイマー病が患者との通常の接触を介して伝播する可能性は示唆されていないが、CJDは輸血や汚染された外科器具などを介しても感染する場合があり、アルツハイマー病もそうした経路で伝わる可能性が浮上してきたからだ。

CJDは、プリオン病と総称される神経変性疾患の1つで、致死性である。プリオン病は、プリオン(PrP)と呼ばれるタンパク質が感染力のある折りたたみ異常型になることで起こる。この異常型プリオンは互いに接着しやすいため、凝集して塊になって蓄積し、神経細胞を破壊する。現在では、アルツハイマー病もCJDと同様に、タンパク質の折りたたみ異常によって引き起こされると考えられている。こちらの場合は、ペプチドであるアミロイドβが折りたたみ異常型となり、アミロイドβの「シード(凝集核)」を形成してアルツハイマー病特有の「斑」ができていく。マウスやマーモセットの脳にアミロイドβを含む脳抽出物を注入すると、アミロイド斑が生じ、マウスでは腹部に脳抽出物を注入しただけでも脳に斑が発生することがすでに明らかになっている。

ヒトでもこの経路でアミロイド斑形成が引き起こされ得るとする説が、今回初めて裏付けられたわけである。ただし「今回の論文だけでは、この説の決定的証拠として不十分だ」と、同論文に関するNews & Views(同号193ページ)の共著者であるチュービンゲン大学(ドイツ)の神経科学者Mathias Juckerは話す。決定的証拠を得るには、対照群のある条件下で、問題となった死後脳由来のhGHを動物に注入し、その結果としてアミロイド沈着が起こるかどうかを調べる必要があるだろう。

しかし、問題とされる製剤の元となったhGH抽出物は容易に入手できないかもしれない。こうした抽出物はさまざまな場所で製剤化されていたからだ。一部の抽出物は英国に保管されていることが分かっており、同国内では賠償の可能性に関する訴訟が進行中だが、その他にも保存されているかどうかは研究者にも分からないという。また、問題のhGHを注射された人々についても、あまりに年数が経っていて追跡するのは難しいだろう。UCL付属病院の中には、hGH注射後のCJD発症リスクを心配する人に電話相談サービスを提供する国立プリオンクリニック(National Prion Clinic;NPC)があり、今回の新しい研究結果に関する問い合わせにも対応してくれる。

1958年から、死後脳由来hGH注射の危険性が初めて認識された1985年までに、世界中で約3万人がこの製剤の筋肉注射を受け、そのほとんどが低身長などの成長障害の子どもだった。当時、hGH製剤は、数千人の死者から抽出してプールした原料から作られた。一部の抽出製剤はCJDプリオンで汚染されていたことが明らかになり、2012年までに226例の死に至る感染例が出ていて、その発生のほとんどはフランス(119例)、英国(65例)および米国(29例)だった。この数は今もじわじわと増えているが、それはCJDの潜伏期間が長いためである。

今回の研究対象となった8人の患者は36〜51歳で死亡しているが、生前にアルツハイマー病の臨床症状が見られた患者は1人もいなかった。アルツハイマー病の潜伏期間もCJDと同じく長い。アミロイドβ病変のあった6人の患者のうち4人では、病変が脳内の広域に存在していた。

今回のような比較的若い年代でこの状態のアミロイド病変が見られることはめったにない。そのため著者のSebastian Brandnerらは、CJDプリオンと同様に、アミロイドの凝集核もhGH注射で持ち込まれたのではないかと考えた。そこで彼らは、それ以外の説明を排除するために一連の調査を行った。

その結果、死亡した8人の患者のうち誰も、早期発症アルツハイマー病もしくは他の神経変性疾患の素因となる遺伝子を持っていないことが確認された。Brandnerらはまた、CJDその他のプリオン病によって同程度の年齢で死亡したがhGH療法を受けた経験のない患者を対象に、有意のアミロイド病変のある例を探したが、見つからなかった。

Brandnerのチームはさらに、アミロイド病変が脳から下垂体(脳の外部にあり、脳底部直下に位置する)まで実際に広がり得るのかどうかを確かめた。そして、2013年の米国チームの研究を追認する形で、原則として病変が広がり得ることを確認した。脳内にアミロイド斑のある死亡者49人の下垂体を調べたところ、7人の下垂体でアミロイド沈着が認められたのである。

従って、「hGH療法歴のあるCJD患者脳で見られたアミロイド病変は、CJDプリオンだけでなくアミロイドβの凝集核でも汚染されていた一部のhGH抽出製剤によって伝播し、発生したものだというのが、最も納得できる説明だと思います」と、この論文の共著者であるUCLの神経科学者John Collingeは話す。もしこの説明が当たっているなら、アミロイドβはPrPの場合よりもはるかに高頻度で、さまざまなhGH製剤を汚染していることになる。アルツハイマー病はかなりありふれた疾患だからだ。

プリオンは細菌やウイルスよりも不活性化するのが困難である。プリオンは金属類に強く接着し、また、汚染を除去するには厳しい滅菌条件が必要で、そうした条件ではデリケートな医療器具が痛んでしまう場合もある。こうした理由から神経外科医はこの種の汚染除去を通常行わないのだと、あるドイツ人神経外科医はオフレコで話してくれた。さらにその外科医は、もしアルツハイマー病がプリオンと同様の経路で感染することが確定された場合、公衆衛生や外科診療に及ぶ影響は甚大であり、大きな代償を払うことになるだろうと付け加えた。

「我々は、hGH製剤によるCJD伝播の経験から汚染除去について多くのことを学んできました。しかし今回の研究結果は医学界に対するさらなる警鐘であり、この事態には特別の注意を払うべきです」と、ピティエ・サルペトリエール病院(フランス・パリ)の神経病理学者Charles Duyckaertsは話す。

多くの問題はあるものの、研究者らは今回の研究結果の再現を独自に試みようとしている。Duyckaertsは、CJDによってフランスで死亡し、死後脳由来のhGH投与を受けた治療歴のある20〜30人の患者について、同様の調査を行う予定だと話している。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 12

DOI: 10.1038/ndigest.2015.151218

原文

Alzheimer’s fear in hormone patients
  • Nature (2015-09-10) | DOI: 10.1038/525165a
  • Alison Abbott

参考文献

  1. Jaunmuktane, Z., et al. Nature 525, 247–250 (2015).