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小児への脳刺激の有望性と懸念

小児の学習能力を高めることを目的とする研究は論争を巻き起こしている。 Credit: KLAUS VEDFELT/GETTY

ジャック(仮名)は通常の学校では苦労していた。彼は失読症および失語症の数学版である算数障害、そして統合運動障害と診断されていて、学校ではしばしば行儀の悪いふるまいをしたりお調子者の役を演じたりしていた。そんな彼を、学習困難の子どもたちを専門的に支援している学校、フェアリーハウス(英国ロンドン)が受け入れてくれると知って、両親は安堵した。フェアリーハウスはまた、生徒に脳への電気刺激を受ける機会を提供した世界で最初の学校かもしれない。

この電気刺激はある研究の予備実験として行われた。ジャックを含む8歳から10歳の12名の小児に電極を設置した帽子をかぶせて、テレビゲームをプレイさせた。2013年にこの予備実験を率いたオックスフォード大学(英国)の神経科学者Roi Cohen Kadoshは、小児の脳の特定の小領域を安全に刺激して、学習困難を克服できるかどうかを調べている世界で一握りしかいない研究者の1人だ。

「子どもの脳に有効な強度の刺激を与える方法が分かれば素晴らしい。そうすれば、発達障害によって子どもの学習能力が実際に後退してしまう前に、手を打つことができるようになります」と、スウォンジー大学(英国)の心理学者Nick Davisは言う。

精神疾患や学習障害を治療するために、あるいはただ認知能力を高めるために、マグネットや電流を使用するというアイデアは、過去10年間に大きな反響を呼んできた。この技術は、神経回路を活性化させる、またはニューロンでの発火を起こりやすくすることによって働くと考えられている。研究はまだ揺籃期にあるが、少なくとも1万人の成人に行われており、今のところ短期的には安全な処置と思われる。例えば、そうした技術の1つに経頭蓋磁気刺激(TMS)と呼ばれるものがあり、成人の偏頭痛とうつ病の治療用として米国食品医薬品局(FDA)から認可を受けている。

最近では、この技術が小児でさらに大きな効果をもたらし得るかどうかに関心が集まっている。特に有望視されているのは、より安価でもっと携帯に便利なTMSの姉妹品、経頭蓋直流刺激(TDCS)だ。

小児の頭蓋骨は成人よりも薄い。そのため研究者たちは、小児では刺激がより深部に届く可能性が高く、また、成長中の脳にはより強い影響を与えるかもしれないと言う。しかし、恩恵の可能性を高める要素は、同時に懸念の種にもなる。「家を建てるときのようなものです。問題が起こりそうな箇所は、後で直すよりも、初めのうちに直してしまう方がはるかに簡単です。しかしそうした部分を直すどころか駄目にしてしまう可能性だって大いに高いのです」とCohen Kadoshは言う。「電気刺激が発達中の脳とどのように相互作用するかは分かっていませんから」。

また、Cohen Kadoshはこの技術の乱用を心配している。医療用として使われる装置は、特定の安全基準を満たさなければならないが、現在、欧米では、単に認知能力を向上させたいと望んでいる人々に対するTDCSの使用を規制する法律はなく、実際にいくつかの会社がTDCSヘッドセットをオンラインで販売している。この状況下では、例えば、管理された実験室でではなく、自宅で自分たちの子どもの認知能力を高める技術を試してみたいと考える親たちが出てくるかもしれない。Cohen Kadoshは賛否両論をはかりにかけた後、試験を行うためにフェアリーハウスと交渉することに決めた。そのための倫理的承認も得た。フェアリーハウスで子どもたちと接している作業療法士Jenny Limは、「私たちは脳刺激を行うことに大きな不安を感じていました。学校として、私たちはその技術について何も知らなかったからです。けれども倫理面と安全面に関して安心を得ることができました」と、当時を振り返る。

学習能力向上装置

Cohen Kadoshは2013年に、経頭蓋ランダムノイズ刺激(TRNS)と呼ばれるTDCSの変法によって成人の数学的能力を改善できる可能性があることを示した1。小児での研究は、それに続くものだ。

フェアリーハウスの研究で、彼のチームは数学の学習困難を抱える12人の小児に20分間のトレーニングセッションを9回行った。被験者の半数は、計画や抽象的な推論などの過程に関わる脳領域を標的としたTRNSを受けた。残りの半数は、TRNS帽をかぶったが刺激は受けなかった。TRNSは学習中に脳の信号を変化させることによって働くと考えられている。この課題では、子どもたちは、自分の体を左右に移動させることでスクリーン上のボールを動かし、数直線上の特定の点に置かなければならない。そしてレベルが上がるにつれて難易度が増す。

刺激を受けた子どもたちは、対照群の子どもたちよりも成績が大きく向上した。対照群の平均がレベル14だったのに対し、彼らの平均はレベル17に達した。同時に、一般的な数学のテストの得点でもかなりの改善が見られた。Cohen Kadoshはこの分析結果を2015年7月下旬にブリストルで行われた英国精神薬理学会で発表し(現在、論文を投稿中)、今後もこの研究を進めていくつもりだという。

しかし、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ(UCL;英国)の神経科学者Vincent Walshは、小児に対する脳刺激の研究は未熟な段階にあると考える。青少年で見られた効果が成人でも常に見られるとは限らないし、多くの電気刺激研究の結果はまだ再現性が確認されていない、と彼は言う。「小児に広げていいと言えるだけの科学的土台ができていないのです」。

それとは対照的にDavisは、このような実験は妥当性が認められていると考えている。ただし、正式な研究以外でこの技術を使おうとする傾向には懸念を示している。彼は、世界中で少なくとも1000人の小児が臨床実験の一部として何らかの脳刺激を受けたと見積もっており、その数は将来もっと増えていくだろうと予想する。また彼は、小児に対して行われたどんな研究の結果も発表されることが重要だと強調する。「小児や若年層に脳刺激を与える臨床試験を行ったときには、その結果を科学界で共有するよう、全ての科学者に強く求めます。そうすれば、失敗から学び、必要に応じてプロトコルを改良できます」とDavisは話す。

翻訳:古川奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 12

DOI: 10.1038/ndigest.2015.151217

原文

Brain stimulation in children spurs hope — and concern
  • Nature (2015-09-24) | DOI: 10.1038/525436a
  • Linda Geddes

参考文献

  1. Snowball, A., et al. Curr. Biol., 23, 987–992 (2013).