Editorial

改革を迫られる大学

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大学とは何か。米国の小説家で、南北戦争史家のシェルビー・フットにとっての大学は、「図書館のまわりにビル群を集めた施設」に過ぎなかった。これに対し、大学で人生最良の時を過ごしたと語る卒業生は数知れない。Natureの読者には多くの大学関係者がおり、Natureにとって大学はお客様である。そして、言語学者にとっての「大学(university)」は、教師と学者のコミュニティーを意味するラテン語を語源とする単語である。

この極めて重要なコミュニティー意識は、1000年以上にわたって保たれている。教育(知識の伝達)と研究(知識の創造)の間には自然の相乗効果が生まれる。教師と学者が席を並べて座ることは道理にかなっており、教師が学者であれば、なお都合が良い。

大学は、常に時代とともに変化してきた。ところが、その変化の速度が加速しているという感覚が高まっている。もっと根本的なことを言えば、大学は変化を強いられており、大学自体の変化を制御できなくなっているのだ。

知識の伝達と創造を担う「教師と学者のコミュニティー」は、今後も間違いなく存続する。その力は無視できないほどに強大化しているからだ。ただ、強大なコミュニティーであっても、その形態を根底から変え、時代に対応していくことは可能であり、どのような姿をした大学でも、2030年には今と大きく異なったものになっていると考えられる。

この問題は、国際的な関心を集めているが、大学が依拠するモデルや大学の資金調達と運営が国によって大きく異なるため、解決方法になり得る案の一般論を述べることは難しい。しかし、程度の差こそあれ、全ての大学がさらされている潮流が3つある。

第1の潮流は、大学で学ぶ人が増えていることである。大学の規模が最初に大きくなったのは今から1世紀あまり前のことで、貴族に古典を教えることから法律学、医学や科学を専門に教えるプロフェッショナルスクールの併設へと拡大した。最近の数十年間は、社会の変化によって大学教育の門が幅広い層に開かれ、学生数が増え、学生のタイプも多様化した。その分の設備や人件費などの費用は、何らかの方法で賄わねばならない。

第2の潮流は、「好奇心と知識欲によって突き動かされる場所」だった大学が、もっぱら「自らの経済的発展を推し進める場所」と捉えられるようになってきたことである。成功の尺度は、卒業生の就職状況であり、研究は問題志向になった。研究者は新進の起業家と化し、知識は貸借対照表に計上され、政策の導入は投資利益率を最大化させるために行われている。つまり、象牙の塔からの脱却を図らねばならない。

第3の潮流は、学習とイノベーションが実現された過程とそのための望ましい方法の再評価が迫られていることである。大規模公開オンライン講座(MOOC)などのオンライン講義の登場に見られるように、伝統的な一対多数の講義の価値に対する考え方が変化し、1人の天才を中心とした古典的な研究モデルが崩壊するなど、数世紀続いた大学というコンセプトの根幹部分がかつてなかったほど批判にさらされている。

2014年10月16日号のNatureでは、こうした潮流に対応するための大学の取り組みを特集している(nature.com/universities参照)そこでは、大学が進むべき方向とその途中に潜む危険に関する多種多様な学術的考察について、適切に論じられている。

結局のところ、未来の大学の姿には2パターンあると考えられる。1つは理論的なもので、最も革新的な技術と最も訴求力のある発想を選び出し、それらを組み合わせて1つのパッケージにするような抽象的な考案に基づいた組織である。だが、そうした組織は実現方法を見つけるのが難しく、空飛ぶ自動車や火星の植民地化が実現する頃の話だろう。もう1つの姿は、現在と過去の大学にしっかりと立脚し、教師と学者の下に学生が集まって情報の共有と探求を行う場であり、そうして生み出された情報と情報を解明する過程が価値を有するような組織である。

既存の大学全てにそのような未来があるわけではない。また、現代は動きが速すぎるため、大学の生き残りに必要な実践と組織構造に関する決定的な考え方は存在しない。従って、唯一の賢明な戦略は、科学で常に行われていたことを大学が行うことであろう。つまり、実験を行って、どの方法が功を奏するかを見極めるのである。実際に、大学では既に実験が始まっている。

翻訳:菊川要、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2015.150130

原文

Universities challenged
  • Nature (2014-10-16) | DOI: 10.1038/514273a