心臓病の幹細胞療法に対する疑い
成体幹細胞を用いた心臓病治療の効能が不適切に水増しされている、と多くの人が感じている。2014年4月29日、BMJに掲載された論文1により、この治療法の効果に疑問が投げ掛けられた。
成体幹細胞を用いた治療法は、心臓発作と心不全の治療に有効という結果が複数の早期臨床試験で示されている。こうした結果を受けて、大きな富をもたらす可能性を秘めたこの市場に多くの企業がすぐさま進出を始めた。しかしながら、今回、患者自身の幹細胞を用いた治療法の効果を検討した臨床試験に見られる齟齬について包括的な分析を行った研究結果がBMJに報告され、有望な結果が得られたと結論した臨床試験には、必ず何かしらの欠陥があることが明らかになった。その欠陥とは、研究のデザインが間違っている、あるいは報告の誤りがあるなどだ。一方で、誤りが見つからなかった臨床試験では全て、治療効果が見られなかったのだ。
現在、幹細胞治療に効能があるかどうかを最終的に確定させるためにデザインされた2つの重要な臨床試験が数千人の患者を募集している。このBMJの報告はちょうど、それと時を同じくして発表された。
ローマ大学ラサピエンツァ校(イタリア)の幹細胞研究者、Paolo Biancoは、BMJの論文は「治療的手法がすでに商業化されている故に、重大な意味があるのです」と述べる。「時期尚早な臨床試験は、患者に非現実的な希望を持たせます。また、より適切な治療法をデザインするのに不可欠な基礎研究から、リソースを奪ってしまう可能性があります」とBianco。
成体幹細胞を使用する治療法では、通常、患者の寛骨から採取した骨髄から間葉系幹細胞を集める。そしてこの細胞を注入によって患者の体内に戻し、損傷組織の修復の助けとする。当初、この治療法の効果は、患者の体内に戻された幹細胞が、分化して損傷組織の細胞を置換することで得られると考えられていた。だが、実はそうではないことが分かり2、今では臨床医の多くが、体内に戻した幹細胞が損傷組織で炎症を引き起こす分子を放出し、それに付随して損傷組織に酸素を届ける微小血管の成長も促されるために治療効果が得られる、と考えている。
成体幹細胞を注入する手法は、さまざまな形で治療に用いられ、世界中で商業化の波を引き起こした。今では、パーキンソン病から心不全まで多数の疾患に対する治療法を提供する企業が現れ始めている。しかし、幹細胞治療の効果はいまだ立証されていない。
BMJに報告された研究1を率いた、ロンドン大学インペリアルカレッジ(英国)の心臓専門医Darrel Francisは、この論文中で、2013年4月までに発表された心臓発作または心不全の患者に対する幹細胞治療について、49の無作為化臨床試験に関する133編の報告を調査した。Francisらは、入手可能な全ての無作為化試験を対象とし、その試験デザイン、方法、および結果についての齟齬を調べたのである。
その結果、なんと600以上の齟齬が発見された。齟齬の例として、患者の無作為化割り付けの方法に関する矛盾、図中・表中データの矛盾、および統計学的にあり得ない結果などがあった。またFrancisらは、同じ患者が男性と女性の両方で記載されていたり、死亡と報告されていた患者が明らかに試験に参加し続けて症状を報告していたりする論文も複数発見した。ただし、必ずしもそうした誤りの全てが臨床試験の結論に影響しているわけではない、とも示唆している。
Francisの論文の最後に記載されている校正段階で付け加えられた注釈では、分析した論文のうちの4編は、すでに現役を退いた心臓専門医Bodo-Eckehard Strauerが2005〜2010年に行った重要な臨床試験に関連するものだったことを指摘している。Strauerらの研究は、彼の以前の所属先であるデュッセルドルフ大学(ドイツ)によって科学的不正行為の証拠が発見され、現在、検察による調査を受けているところだ。
また、この注釈では、SCIPIO試験と呼ばれる臨床試験についても言及している。この試験では、異なる起源の幹細胞を用いており、それは患者の大動脈の組織から作り出した心臓幹細胞とされていたが、最近、その信憑性が疑問視されている。ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)のPiero Anversaが指揮したSCIPIO試験の結果は2011年にLancetで発表され、心不全患者に対する心臓幹細胞を用いた治療法は有望であるという結果が示された3。しかし現在、ハーバード大学は、いくつかのデータの真偽を調査しており、Lancetは、詳細には触れないままこの論文には「懸念があること」を、2014年4月12日に表明した。
Francisらの論文がBMJに掲載されたのは、幹細胞治療に効能があるかどうかを最終的に調べるためにデザインされた2つの重要な国際的第III相試験が、治験参加者の募集を開始したときであった。1つは、モン=サン=ギベール(ベルギー)を拠点とするカーディオ3バイオサイエンシズ社(Cardio3 BioSciences)が主導する臨床試験で、同社の「C-CURE」幹細胞製剤(特殊処理された幹細胞であり、心臓の細胞に分化できるとされる)の並行群間比較試験に心不全患者480人を募っている。そしてもう1つは、欧州委員会が590万ユーロ(約8億2000万円)をかけ、全欧規模で後押しするBAMI試験だ。BAMI試験は、標準化されたプロトコルに従って作成された幹細胞の治療効果を試験するもので、心臓発作を最近起こした患者3000人を募っている。どちらの臨床試験の研究責任者も、こうした幹細胞治療はこれまでのところ安全だと証明されており、有効な可能性もあると述べている。
しかし今、C-CUREの早期臨床試験結果には疑問が投じられている。Francisの研究が終了してから3カ月後の2014年6月、C-CUREの早期臨床試験において「慢性の心不全に有効である証拠が得られた」という報告が、JACC(Journal of the American College of Cardiology;米国心臓病学会誌)に掲載された4。FrancisらがC-CUREの研究チームとは無関係にこの論文の内容を分析したところ、彼らがBMJ研究で明らかにしたものと同種の齟齬が数十カ所特定された。Francisは分析の詳細をJACCに送ったが、重要性の高い懸念のうちのいくつかについては、論文の著者からの回答は得られなかったと主張している。例えば、試験当初に設定された主要評価項目(治療上の効果を反映する評価項目)が明らかに変更されていること、および結果の要旨と患者データとの間に明らかに矛盾が見られること、などについてだ。
JACCの論文の共著者でメイヨークリニック(米国ミネソタ州ロチェスター)の心臓専門医Andre Terzicは、Francisの懸念に対処がなされなかったという主張を否定し、彼らの研究チームの結果は同じ分野の研究者によって査読を受けたことを強調する。さらにTerzicは、当初の主要評価項目であった「心臓内の放射性トレーサー動態をモニターすることによる拍動強度の測定」を評価しないことにしたという決断は、研究の運営委員会の助言に基づいてなされたものだと付け加えた。運営委員会は、そのような効能の評価が必要になるのは第III相臨床試験になってからだと述べたという。実施を計画している第III相試験は、現在、米国食品医薬品局(FDA)と欧州医薬品庁(EMA)によってすでに認可が下りている、とTerzicは言う。
JACCの論文の別の共著者で、アールスト心臓血管センター(ベルギー)のWilliam Wijns(カーディオ3バイオサイエンシズ社の役員の1人でもある)はNatureに対し、「この治療法の基礎となっている科学的根拠とC-CURE試験のデータには自信を持っています」と語った。カーディオ3バイオサイエンシズ社は、JACCでの発表の数週間後に、第III相試験のための増資を募り、23万ユーロ(約3200万円)の資金を集めたと発表した。
BAMI試験の研究責任者であるロンドンのクイーンメリー大学(英国)のAnthony Mathurは、心臓発作後の幹細胞治療が有望かどうかをはっきり示したいと言う。彼は、BAMI試験で用いる幹細胞は、誰もが利用できる標準化されたプロトコルを使って作成したものであり、効果があることをはっきりと示した複数の早期臨床試験の結果に基づいたものだと説明する。
ライデン大学医療センター(オランダ)の心臓幹細胞研究者Christine Mummeryは、骨髄細胞を注入すると炎症が起こり、微小血管が発生することから、その後の心臓発作中の即時損傷を抑えることができるかもしれないと言う。「けれども、これが心臓の長期的な回復の助けになるのかは明確ではありませんし、また心不全における回復の機構も明らかにはなりません」と彼女は言い足す。
効能を確実に示す証拠が発表されていないにもかかわらず、多くの会社が商業化されたさまざまな間葉系幹細胞療法を心臓病患者に提供している。例えば、オーキアノス心臓研究所(Okyanos Heart Institute;バハマ・フリーポート)は、患者の脂肪組織から得られた間葉系幹細胞を患者に注入している。同社の最高医学責任者であるHoward Walpoleからのコメントは入手できなかったが、Walpoleは自社のウェブサイトにこう書いている。「私たちは、冠動脈疾患の成体幹細胞治療で示された科学的根拠と結果を強く信じています。多くの心臓病患者には徹底的な研究が完了するのを何年間も待つ時間はないのです」。
米国カリフォルニア州サンディエゴを拠点とするカルジオ・セル社(CardioCell)は、患者自身の細胞ではなく、独自の標準化された特許製法による間葉系幹細胞製剤を用いている。同社の社長で共同設立者のSergey Sikoraによれば、この製剤は、幹細胞を低酸素状態に置いて新生血管の成長を促す能力を高めるという方法に基づいているという。また、同社は、アルタコ社(Altaco;カザフスタン・アスターナ)にその技術の使用を許可してもいる。Sikoraによれば、カルジオ・セル社がこの治療法を提供しているのは今のところ、米国における心臓発作と、あるタイプの心不全に対する自社の早期臨床試験のみであるが、アルタコ社は心臓発作治療の第III相試験をすでに始めている。
Francisは、幹細胞療法が実際に使われる前に、それが本当に有効であるという証拠をもっとたくさん見たいと考えている。「私は再生医療に大きな望みをかけていますが、我々がBMJに報告した研究結果を見ると恐ろしくなります。せっかく得心のいく臨床効果が見られても、この15年間の不確かなデータのせいで信頼性が損なわれてしまい、有望な結果が無視されることになるかもしれないのですから」とFrancisは語る。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 8
DOI: 10.1038/ndigest.2014.140807
参考文献
- Nowbar, A. N. et al. Br. Med. J. 348, g2688 (2014).
- Laflamme, M. A. & Murry, C. E. Nature 473, 326-335 (2011).
- Bolli, R. et al. Lancet 378, 1847-1857 (2011).
- Bartunek, J. et al. J. Am. Coll. Cardiol. 61, 2329-2338 (2013).
関連記事
キーワード
Advertisement