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iPS細胞をしのぐ万能性を確認

酸性処理したリンパ球から形成されたSTAP細胞が集合した塊。酸処理後、7日間培養したもの。緑色の蛍光は Oct4 という多能性マーカー遺伝子が活性化していることを示す。

Credit: 理化学研究所

幹細胞研究における素晴らしい発見が、日本を中心とする国際研究グループからまた飛び出した。理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーと山梨大学の若山照彦教授、ハーバード大学(米国)のCharles Vacanti教授らのグループが新しい多能性細胞「STAP細胞」を開発し、1月30日付のNatureに発表した(http://doi.org/10.1038/nature12968
http://doi.org/10.1038/nature12968)。体細胞を酸性溶液に30分間浸すだけで細胞の初期化が起き、短期間で効率よく多能性細胞に転換できた。核移植、遺伝子導入に続く新しい初期化手法の発見で、医学・生物学に貢献する画期的な細胞操作技術を生み出すと期待している。

Credit: 理化学研究所の資料をもとに作成

小保方ユニットリーダーは、多能性細胞に特異な遺伝子Oct4が発現すると緑色の蛍光を発する遺伝子操作したマウスの脾臓からリンパ球を分離し、酸性溶液(pH5.7、37℃)に30分間浸した。75%の細胞は死んでしまったが、生き残った25%の細胞のうちの約30%が2日以内に蛍光を発して初期化を起こし始め、7日後に数十個が凝集した。

この細胞は、試験管内で刺激してもマウスへの皮下移植によっても神経細胞や筋肉細胞、腸管上皮細胞などに分化し、多能性も備えていた。「刺激惹起性多能性獲得(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency)」の頭文字を取って「STAP細胞」と名付けた。STAP細胞はリンパ球の細胞だけでなく、マウスの他のさまざまな体細胞からも作製できることを確かめている。

またSTAP細胞を胚盤胞に注入すると、胎仔部分だけでなく胎盤や卵黄膜にも分化する能力があった。同じく多能性を持つ胚性幹(ES)細胞や人工多能性幹(iPS)細胞では胎仔しか形成できておらず、今回の細胞は、受精卵の全能性に近い、より未分化な状態になったとみられる。

一方で、STAP細胞は増殖せず、大量に作成できない。さまざまな培養条件から、胎盤への分化能力は失いながらもES細胞と同様の多能性と増殖性を持つ「STAP幹細胞」と、全能性に近い多能性を保ちながら増殖可能な「Fgf4誘導性(FI)幹細胞」の2つの細胞株を確立したという。

簡単な手法に衝撃

植物細胞では細胞をばらばらにして培養すると「カルス」という未分化な細胞の塊ができ、やがて元の植物の全体を形作る。細胞外の環境を変えるだけで分化した情報が消去され初期化されるこの現象は、動物細胞では起きないというのが生物学の常識だ。John Gurdon卿による核移植と、山中伸弥・京都大学教授による遺伝子導入は、動物細胞でも初期化が可能なことを示し、2012年のノーベル生理学・医学賞受賞に輝いた。今回は、これらとは全く違う手法によっても初期化が起きる初めての実証となった。

特にその方法が、酸性溶液に浸すというあまりにも簡単だったことが、多くの研究者を驚かせた。マウスのiPS細胞の場合は多能性獲得までに約3週間かかるが、STAP細胞ならほぼ3日で済む。採取できる効率もiPS細胞は最近20%までに高まってきたが、STAP細胞の場合、開発当初で約7%と高い。まだヒトでSTAP細胞ができるかどうかは確かめられていないが、ES細胞やiPS細胞と同様「マウス以外でもできるに違いない」と考えられている。この論文の発表から、世界でその競争が一斉に始まったに違いない。

大胆な発想と情熱と

小保方ユニットリーダーは2006年に早稲田大学理工学部の応用化学科を卒業し、東京女子医科大学の岡野光夫、大和雅之教授の下で再生医療と組織工学の手法を学んだ。2011~13年に博士研究員としてハーバード大学のVacanti教授の研究室に在籍し、幹細胞研究に本格的に取り組み始めた。「極めて微細な細胞の中に幹細胞が存在する」という仮説の下で多能性細胞の選択に主眼を置いていた研究の中で、細胞外からの刺激でOct4を発現する細胞を出現させられるという発想を思いつく。それを実証できる核移植や細胞培養技術がそろった研究所を探して、若山教授が当時所属していた理研の発生・再生科学総合研究センター(兵庫県神戸市)にたどり着いた。ハーバード大学の博士研究員のまま理研の客員研究員として細胞初期化の研究を始め、2013年から同センターの細胞リプログラミング研究ユニットのユニットリーダーに就任した。

ユニットリーダーとして採用する際、面接した理研発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹・副センター長は「米国の著名な発生学者、Johannes Holtfreterの再来みたいだ」と感じたという。発生学の歴史の中で酸性溶液を使う方法は古くからあり、Holtfreterは1947年に両生類の胚の細胞を酸性溶液に浸し神経細胞に分化する実験を報告し、この報告は、発生学の専門書に載っている。ただ未分化な細胞に変化する報告は全くなく、大胆な仮説に基づく研究と受け止めたようだ。

再生医療への貢献に期待

若山教授も最初、この研究が成功するかどうかは「分からなかった」と振り返る。ただ全く見込みがなさそうではなく、何より小保方ユニットリーダーの熱意に可能性を感じた。周りにいる多能性細胞や発生学の専門家からの助言も大きく、 Nature 掲載にこぎ着けた。若山教授は理研での記者会見で「これでハーバード大学を超えられたかな」とうれしそうに話した。

細胞に刺激を与える方法はいろいろあり、細いガラス管を繰り返し通す方法や、細胞膜に穴を開ける毒を振りかけるなどの方法でも、STAP細胞はできたという。ただ初期化の効率は低く、酸性溶液に浸すという方法がいちばん成績が良かった。

酸性溶液で初期化が起きるのであれば、私たちの体の中でも同様な現象が起きているのではないか。そんな疑問も浮かぶ。研究グループは分離した細胞ではなく組織を使って同様の実験を行っているが、初期化する現象は見つけられなかった。分化状態が強く記憶されているのか、初期化を妨げる組織ならではの仕組みがあるのか、これから解明すべきテーマだとしている。

厳しい刺激の下で生き残った細胞から、初期化を起こす細胞が出現する仕組みはまだ不明だ。「分化した細胞の状態を拘束する鎖をほどいてしまう、何らかのスイッチがあるのではないか」というのが研究グループの仮説だ。もし仮に、鎖をほどく緩やかな方法が分かれば、生物学の研究を大きく推進する操作技術になるだろう。ヒトのSTAP細胞が開発できるかどうかにもよるが、再生医療に貢献する可能性も秘めている。

山中教授はこの成果に対し「マウス血液細胞に強いストレスを加えると多能性が誘導されることを示した興味深い研究であり、細胞の初期化を理解する上で重要な成果である。医学応用の観点から、iPS様細胞の新しい樹立法とも捉えることができ、人間でも同様の方法で体細胞において多能性が誘導された場合、従来の方法とさまざまな観点から比較検討する必要がある」とコメントしている。

(日本経済新聞編集委員 永田好生)

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2014.140304a