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イタリア警察を動かしたゲル画像不正検出技術

Credit: THINKSTOCK

2つの科学誌の編集長を務める細胞生物学者Gerry Melinoの元には、深刻さに差はあるものの、学術誌に掲載された論文データの正当性を疑う趣旨の電子メールが毎日大量に送られてくる。しかし、彼が担当する学術誌の1つであるCell Death and Differentiationに2006年に掲載されたある論文を批判する1通の電子メールは、並はずれたプロフェッショナリズムと正確さによって異彩を放っていた。彼は早速、問題の論文について独自調査を行った。そして2013年12月6日、同誌は、執筆者であるイタリアの著名ながん研究者Alfredo Fuscoらによりこの論文が撤回されたことを発表した。

Melinoが受け取った電子メールには、Fuscoの論文に「不適切に複製された」画像が含まれていると記されていた。このメールの送り主は、イタリア北部のポン・サン・マルタンでバイオ・デジタル・バレー(BioDigitalValley)社を経営するEnrico Bucciという名の人物だった。同社は、メタ分析サービスを提供する新設の小さな生物医学企業である。Bucciは、自身のデータベースから「汚染された」文献を除去するために世界中の生物医学論文を検索する過程で、Fuscoの論文に不自然な電気泳動ゲル画像が含まれているのを発見した。彼によると、これまでに同じ方法で調べた生物医学論文の約4分の1に不自然な画像が見つかったという。

ナポリ大学の教授で、イタリアの権威ある国立科学アカデミー、アカデミア・デイ・リンチェイ(Accademia dei Lincei)の準会員であるFuscoは現在、警察による捜査と大学による内部調査の対象になっている。

Fuscoは、Bucciの調査によって警察の捜査を受けることになった最初の科学者だが、彼以外にも、著作論文が綿密に調査されている科学者が現在いるかもしれない。それに今回の事件は、重大な事実をもう1つ明らかにした。それは、研究者の不正行為の告発を受けて調査を行うシステムがイタリアの大学には存在しないことである。

物語は、分子生物学者のBucciが2008年にバイオ・デジタル・バレー社を設立したことから始まる。同社が提供するサービスの1つに、出版された文献の中から特定の疾患や組織に関連したゲル電気泳動分析(タンパク質やRNAの配列などの大きな分子を分離・同定する分析法)の画像を全て集めるというものがあった。

Bucciらは、2000年以降に出版された入手可能な生物医学論文を全て集めたデータベースを構築した。しかし、科学的に問題のある論文をデータベースから除去する作業は、彼の予想以上に時間を要した。Bucciはまず、撤回された論文を除外した。次に、撤回論文の著者と3回以上共著で論文を執筆した科学者を調べ出してネットワーク化した。

リストアップされた科学者の人数が100万人以上になったため、Bucciはイタリア人研究者だけを調べることにした。バイオ・デジタル・バレー社は、論文からゲルなどの画像を抽出して、特定の単純な特徴(複製された形跡など)の有無をチェックすることができる独自のソフトウエアを持っている。彼はこのソフトウエアを使って、イタリア人研究者が出版した全ての論文の自動チェックを行った。そして、論文の被引用回数が多く、自動チェックにより不自然な画像が検出された論文が複数ある研究者に注目した。この作業で8本の論文が引っかかり、リストのいちばん上にきたのが、がん遺伝学の専門家であるFuscoだった。

バイオ・デジタル・バレー社のチームは、電気泳動ゲルをチェックするソフトウエアを使って、Fuscoの研究論文全てをより詳細にチェックし、再利用されたゲル画像や画像を切り貼りしたことを示唆する印などのさまざまな特徴を洗い出した。その結果、Fuscoが筆頭著者か最終著者(一般的に責任著者である場合が多い)になっている約300本の論文のうち、不正に改変された可能性のあるゲル画像が含まれているものは53本に上り、1985年にまでさかのぼることが明らかになった。

BucciはFuscoの行為を告発しようとしたが、イタリアの学術機関には研究者の不正行為に関する告発を受け付ける窓口がないことを知り、2012年2月にミラノ警察に接触した。

Bucciらは現在、自動チェックと共著者ネットワークを用いた調査でポイントが高かった数十人のイタリア人研究者についても、詳細な調査を行っているという。「科学者のネットワークを考慮する調査法の長所は、最初に簡単なチェックを行うだけで、綿密な調査が必要な著者を決定できることにあります」とBucciは説明する。

ゲル画像を含む論文全ての分析はまだ終わっていないが、ゲル画像作製について広く受け入れられているガイドラインを逸脱した処理が行われている可能性がある論文は、これまでに調べた数千本の論文の約4分の1に上るとBucciは見積もっている。約10%の論文では、ゲルのバンドを切り貼りするなどの非常に明白な不正行為が行われているようである。なお、不正が疑われる論文の割合は学術誌によって違いがあり、インパクトファクターが高い学術誌ではそうした論文の割合がわずかに低い傾向があるという。彼は、調査結果の出版を計画している。

検察官は、今年の4月までにFuscoを起訴するかどうかを決めねばならない。警察に近い筋からの情報によると、現在、Fuscoが執筆した論文のうちの約60本について調査が行われているようだ。その中には、2007年にJournal of Clinical Investigationに掲載され、2013年11月に同誌の編集部によって撤回された論文も含まれているという。FuscoはNatureへの電子メールで、「調査が終了するまでコメントすることはできない」と述べた。

2013年10月に、この調査の詳細がイタリアの新聞にリークされると、Fuscoが所属するナポリ大学の学長は、同大学の副学長であるRoberto Di Lauroを委員長とする3人のメンバーからなる内部調査委員会を設置して、年内に報告を行うように指示した。Di LauroはFuscoと共同で9本の論文を執筆しているが、いずれかの論文が調査の対象になるようなことがあれば、委員を辞任すると言っている。

イタリアの大学では科学者の不正行為に関する告発を取り扱うためのガイドラインが確立されていないため、委員会は作業手順を制定しながら調査を進めている、とDi Lauroは話す。「つまり私たちは、大学が科学者の不正行為に関する告発をどのように取り扱うべきかについて、学長に進言する機会も与えられているわけです」とDi Lauro。

彼らの報告書は歓迎されるだろう。オーストリア研究公正機関(ウィーン)に所属し、欧州研究公正局の局長であるNicole Fogerは、「イタリアはこの種の取り組みが他の欧州諸国に比べ大きく遅れていますから。とはいえ、監視システムの整備が遅れている国でも、科学者の不正行為に関するスキャンダルがひとたび起これば、すぐに他国に追いついてくることが分かっています」と説明する。

MRC毒性学部門(英国レスター)とローマ大学トル・ベルガータ校の教授を兼任しているMelinoは、「私のような科学誌の編集者の元にはレベルの低い告発が毎日いくつも寄せられていて、とても対応しきれません。けれども、科学文献の汚染という純粋な問題に取り組むBucciの体系的なアプローチは非常に有用です」と話す。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2014.140309

原文

Image search triggers Italian police probe
  • Nature (2013-12-05) | DOI: 10.1038/504018a
  • Alison Abbott