途絶の危機にあるキーリング曲線
2013年10月末、スクリプス海洋研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)のスタッフがツイッター上で、気候変動研究の象徴とも言える「キーリング曲線」を途切れさせないために寄付をしてほしいと呼び掛けた。大気中の二酸化炭素(CO2)濃度の長期観測記録であるキーリング曲線は、観測開始から55年にわたってCO2濃度上昇を示し続けている。スクリプス海洋研究所が有するこの世界最長の観測記録が、近年の予算削減により途絶の危機に瀕している。同年7月には、資金的な支援を訴える運動が始まったが、数件の少額の寄付しか集まらず、観測プログラムを続けるには全く足りない。
この状況に対し、スクリプス研究所の地球化学者Ralph Keelingは驚きも失望もしていない。彼は、CO2観測を始めたCharles Keelingの息子で、キーリング曲線はその名に由来する。同研究所が最近始めたクラウドソーシング(雇用関係を必要としない業務委託)についても、「あれは探りを入れているにすぎませんから」と言う。けれども彼は苦悩している。
Ralphは何年も前から、CO2の観測と、自らが1989年に始めた大気中の酸素濃度の観測を続けるための資金調達に悪戦苦闘していた。短期のプロジェクトを支援する研究助成金プログラムは、彼が行っているような長期的なモニタリングには資金を提供してくれない。彼は、スタッフを削減し、作業を簡素化することで観測を続けてきた。
けれども今、彼の資金は尽きようとしていた。すなわち、キーリング曲線の未来も危ういのだ。「これほど厳しい状況は経験したことがありません」と彼は言う。
Charles Keelingがハワイのマウナロア山の頂上で最初にCO2濃度の測定を行ったのは1958年のことだった。それ以来、多くのことが変わった。Charlesが始めたプログラムは、今では、南極からアラスカまでの13カ所の観測点でCO2濃度をモニターしている(「温室効果ガス観測網」参照)。一方、米国海洋大気庁(NOAA)もCO2濃度観測を行っており、こちらはより大規模な観測網を展開している。2つの観測網が一部重複していることは、両チームの観測データの正しさを保証する上で役立っている。両者のデータは、世界中の研究者による観測データと合わせて、環境の中で炭素がどのように移動しているかを検証するためのモデルに利用されている。
Ralph Keelingによる大気中の酸素濃度の観測記録は、キーリング曲線と対をなすデータである。この観測は、NOAAでは行われていない。化石燃料が燃焼する際には、酸素が消費されてCO2が生成する。Ralphは観測記録から、実際に大気中の酸素濃度が低下していることを実証した。そこから科学者たちは、大気中のCO2濃度と酸素濃度の収支を明らかにし、人類が排出するCO2のうち約4分の1ずつが海と植物によって吸収され、残り半分のCO2が大気中に蓄積すると見積もった。
「私たちもそれに近い答えを予想していましたが、観測データを提出したのはRalph Keelingが最初でした」と、NOAAの地球システム調査研究所(米国コロラド州ボールダー)の炭素循環・温室効果ガスグループを率いるPieter Tansは言う。
Ralphによると、彼のCO2観測プログラムは、以前は、米国立科学財団(NSF)と米国エネルギー省(DOE)から合わせて年間約70万ドル(約7000万円)の資金提供を受けていたが、3年前にNSFからの資金提供がストップしたという。それ以来、スタッフを減らして、約35万ドル(約3500万円)の予算で観測を続けている。また、スクリプス研究所のコストを下げるために、大気の観測を行っているアース・ネットワークス社(米国メリーランド州ジャーマンタウン)と提携して、同社のセンサーをマウナロア山に設置した。彼が今回DOEに申請した助成金の承認はまだ保留中になっているが、当面は予備の資金で観測を続けられるという。
酸素濃度観測の見通しは、さらに暗い。NSFとNOAAは20年以上にわたってこのプロジェクトを支援してきたが、NSFからの助成は2009年に打ち切られ、NOAAからの助成金は2014年1月上旬にも底をつく恐れがあった。何としても観測を続けたいRalphがNSFに再度掛け合ったところ、近日中に極地プログラム部門から約35万ドル(約3500万円)を提供できるようにするという返事をもらえたという。
この助成金があれば1年間はしのげるが、先行きは相変わらず不透明である。NOAAの地球システム調査研究所の地球モニタリング部門長を務めるJim Butlerによれば、CO2観測網が2つ存在することの価値は科学的独立性にあるため、NOAAの観測予算の一部をRalphのCO2観測点に提供するわけにはいかないという。ただ、NOAAが観測を行っていない酸素濃度観測の方なら、NOAAの予算を融通しても問題はないだろうとButlerは言う。しかし、彼の部門の予算は2011年以来12%も削減されていて、2014年度はさらなる予算カットが予想されているという。予算削減を受けて、彼らもすでにスタッフを削減し、10カ所もの観測点を閉鎖している。
「NOAAの予算は激しく攻撃されていて、Ralph Keelingの観測プログラムのような研究に資金を提供するのは、ますます困難になっています。現時点で私にできることは、我々が何らかの計画を思いつくまで、彼が1年1年しのいでいけるように精神的な支えになることしかないのです」とButlerは言う。
一時期、観測データに商品としての価値が見いだされ、これが苦しい状況を改善する策になるように見えたことがあった。2011年にはアース・ネットワークス社が、スクリプス海洋研究所と協力して世界100カ所に観測点を設置し、地球温暖化ガス観測網を整備する計画を発表した。けれども、米国政府が気候調節に関わる事業を棚上げにしているため、同社は2013年11月時点でわずか25カ所の観測点しか設置できていない。「今のところ、顧客はゼロです」と、アース・ネットワークス社の社長Bob Marshallは言う。
Ralphは民間の財団に支援を求めることも考えたが、大気のモニタリングは慈善事業の支援対象になりにくい。その上、民間の財団は、支援の判断材料として、国から安定した支援を受けられる証拠を要求するだろう。「こうした観測を長期間続けることが国にとっても困難であることを、人々に広く知ってもらう必要があります」と彼は言う。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 2
DOI: 10.1038/ndigest.2014.140207