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物理学賞は青色LEDを開発した3人に

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 11 | doi : 10.1038/ndigest.2014.141102

松尾義之(科学ジャーナリスト)

2014年のノーベル物理学賞は、窒化ガリウムによる高輝度青色LED(発光ダイオード)を開発した3人の研究者に贈られることになった。赤﨑勇・名城大学教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の各氏だ。

左から赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏。

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青色LEDは、世界の国のどこよりも日本でよく知られている。中村修二博士がかつて所属した日亜化学工業(株)を相手に裁判を起こし、一審ながら200億円という驚くべき勝訴判決が出たからだ。もともとのLEDは、1962年にGE社のホロニアック博士が米国で特許出願している。しかし、彼自身が書いたように、明るい素子は原理的に不可能だと信じられていた。その誤りを正し、1000倍以上、つまり輝度1カンデラを超える今日の“スーパーLED”を生んだのは日本だ。

要するに、今日のLEDは昔の暗いLEDではなく、全てスーパーLEDのことを言っている。その三原色のうち、赤と緑は東北大学総長を務めた西澤潤一博士が発明し、スタンレー電気(株)が自動車用ブレーキライトとして赤色を世界で初めて実用化した。しかし青色のスーパーLEDは1990年時点で実現されておらず、10ミリカンデラ程度の暗い製品が米国クリー社から発売されていただけだった。だから青色スーパーLEDは“膨大なリターンが確約された開発テーマ”だった。1993年11月30日、中村博士を含む日亜化学の技術陣がそれを実現した。

また今回の授賞説明で白熱灯・蛍光灯に代わる21世紀の光源として強調されているLED照明の実体、つまり白色光LEDは、青色のすぐ後に日亜化学の清水義則氏らが発明した。これも日本発。

このような歴史的事実と比較すると、スウェーデン王立アカデミーの「授賞背景」は、どこかずれているが、ともかくその評価を見てみよう。

赤﨑・天野両博士の最大の貢献は、1986年、サファイア基板上に窒化アルミニウム(AlN)の多結晶層を作りつけることで、窒化ガリウム(GaN)の高品質な結晶成長を可能にした点にあると評価している。それまでは、まともなGaN結晶ができなかったからだ。中村博士の仕事は1991年、AlNをGaNに置き換えたこと。

ダイオードは最も単純な半導体素子である。p型半導体とn型半導体を接合させて電極をつければよい。しかし、GaNではp型半導体がなかなかできなかった。その突破口を開いたのも赤﨑グループで、1989年、マグネシウム(Mg)のドーピングと電子ビーム照射によりp型を作り、「重要なブレークスルー」を達成した。中村博士は1992年になって、この現象を説明する実験結果を得て、普通の処理工程である熱アニーリング法によりp型を作っただけとされている。そして、最終的なヘテロ接合を実現したのは、赤﨑グループが1991年、中村グループが1992年だそうだ。

もう1つの物語

以上が背景説明の骨子で、競争関係にあった両グループは、常に赤﨑グループが先行成果を挙げ、後追い改良だけを中村グループが達成する図式だったと見る。その“歴史観”に立って、今年の物理学賞は、赤﨑グループから2人、中村グループから1人が選ばれたらしい。

本当にそうなら、ノーベル賞の伝統を守って中村博士を外すのが筋であろう。でも、中村博士なくして、人類が青色LEDを手にすることがあり得たのか?

周知のように、赤﨑グループは豊田合成(株)と組んで青色LEDを実用化してきた。一方の中村氏は所属する日亜化学で製品化を進めた。20年の歴史を見ると、日亜化学側が圧倒的な勝利を収めたことは明々白々。2002年に和解したとはいえ、日亜化学は最初、巨大企業の豊田合成に対して特許侵害訴訟まで起こしている。

実は、日亜化学の元技師長・小山稔氏が、開発経緯を克明に記録した本を残しており、そこには今回の“歴史観”とは全く異なる事実が詳細に記されている。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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