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夢の化学者ロボット

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1960年代の色あせた写真を見ると、有機化学者の実験室は錬金術師の楽園のようだ。棚には試薬瓶がずらりと並び、ラックにはたくさんのガラス器具がかけられている。科学者たちは、前かがみになって実験台の上でせっせと分子を合成している。

50年経つと、有機化学者を取り巻く環境は大きく様変わりした。2014年の実験室には、ドラフトチャンバーや分析機器が整然と並んでいる。パイプをくゆらす人はいない。だが、仕事の内容は今も昔も本質的には変わっていない。有機化学者たちは、普通、紙の上で研究の計画を練る。目的分子の合成に必要な一連の反応をじっくり考えながら、六角形や炭素鎖を何ページにもわたって書いていく。次に、実際に実験して反応の流れをたどろうとする。丹念に混ぜ、ろ過し、蒸留して、分子をパッチワークのように継ぎ合わせていく。

ところが、現在、あらゆる有機分子を自動で合成できる自動合成ロボットを開発することで、有機化学をそうした職人的作業から解放しようと考え、それに挑む化学者が増えている。「10億種類の規定の小分子の中から、必要に応じてどれか1種類を合成できる装置なら、完全に実現できると考えています」とサウサンプトン大学(英国)の化学者Richard Whitbyは断言する。

適当な大きさの炭素系分子は、推定で1060種類存在すると考えられている。プログラムのメニューに10億(109)種類の化合物が載っていたとしても、存在し得る1060種のうちのほんの一部にすぎない。それでも、10億種といえば、人間が合成したことのある有機分子の数の10倍以上はある。従って、そんな装置が誕生すれば、薬や農薬や材料を開発する研究者に驚くほど多様な化合物を提供できるだろう。

「自動合成ロボットは変革をもたらすことでしょう」とマサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)の化学者Tim Jamisonは言う。「どの領域にも課題があることは分かります。でも、不可能ではないと思います」と付け加える。

「ダイヤル・ア・モレキュール(Dial-a-Molecule)」という英国のプロジェクトが、基礎作りをしている。Whitbyが率いるこの70万ポンド(約1億2300万円)のプロジェクトは、2010年に始まり、2015年5月まで実施される。これまでこのプロジェクトが主に重点を置いてきたのは、自動合成ロボットにはどんな構成要素が必要なのかはっきりさせることと、アイデアを検討しやすいよう450名以上の研究者と60社以上の企業が互いに協力関係を築くことである。ここを出発点としたのは、チームメンバーがダイヤル・ア・モレキュール構想の実現に必要な長期的支持を集めやすくなると期待してのことだとWhitbyは説明する。

たとえこれらの取り組みが不十分であっても、自動合成ロボット実現に向けての初期検討が化学を変える可能性がある、とプロジェクトメンバーたちは言う。初期検討の恩恵は、1ステップずつではなく連続プロセスとして進む多くの反応かもしれないし、分子同士を結び付ける最良の方法を予測できるアルゴリズムかもしれない。また、化学物質の特性(反応性など)に関する膨大なデータをコンピューターで引き出す方法が重要な進歩を遂げることかもしれない。おそらく最も重要なのは、後で詳しく述べるが、毎日反応を行う化学者にデータの記録と共有を奨励することによって、文化的な大転換が起こることだろう。

人間と同じくらい熟練した自動化学者ロボットの開発にはおそらく何十年もかかる、と考える人もいる。しかし、人間ほど有能でないにしても役に立つ装置なら、もっと早くに実現する可能性がある。「十分な資金があれば、5年で終わりますよ」とノースウェスタン大学(米国イリノイ州エバンストン)の化学者Bartosz Grzybowskiは言う。彼には独自の合成装置を開発する大掛かりな計画がある。

夢の自動合成ロボット

化学者が考える夢の自動合成ロボットには、3つの主要機能を全て搭載していることが求められる。第1の機能は、設計の際に既存の分子合成方法に関するデータベースにアクセスすることである。例えば、どの反応で炭素原子間に結合が形成されるか、試薬で分子のある部分を形成した場合に別の部分にダメージを及ぼす恐れがないか、などの情報が入手可能でなければならない。第2の機能は、一連の動きを考えるチェス名人のように、合成手順を1つ1つ計画するアルゴリズムに、こうした情報を入力することである。第3の機能は、ロボット反応器の中で、実際の試薬を使って一連の反応の流れを自動で実行することである。

現時点では、第3の機能に関する技術が最も進歩している。多くの研究室がすでに、DNA鎖やポリペプチドを量産する専用の装置を所有している。また、この10年で、市販用医薬品研究の分野において、適応力のある化学者ロボットの重要性が増した。しかし、既存の自動合成装置には限られた機能しかない。例えば、DNA配列やタンパク質配列を作成する「シーケンスビルダー」は、通常、最大5つの反応を用いてわずかな分子ブロックを結合させるにすぎない。それより汎用性の高い「合成ワークステーション」もあるが、価格が3万~50万ポンド(約525万~8750万円)を超えるものまであり、大学の研究グループにとっては高価過ぎる。その上、合成できる分子の化学的性質が狭い範囲に限られる傾向にある。

合成ワークステーションは、ほとんどの反応を人間と同じようにバッチ処理方式(処理を一区切りずつ行う)で行う。これに対して、装置の中で化学物質を移動させながら複数の反応を連続的に起こしていく連続フロー合成という方式もあり、この開発を試みる化学者もいる。連続フロー方式は、スピードと収率を高めることができるため、バッチ式よりもずっと自動化に適している。

例えば、Jamisonは、ノバルティス・MIT連続生産センター(英国ケンブリッジ)でフローケミストリーに取り組んでおり、2013年、高血圧治療薬アリスキレンヘミフマラートの初の徹底した完全連続合成・調製に関する論文を発表した1。Jamisonらは、長さ7m以上、高さと奥行きが約2.5mの自動合成・調製装置を製作した(現在は解体されている)。「完成までの4年間、可能なかぎりの失敗を重ねました」とセンター長兼プロジェクトリーダーのBernhardt Troutは言う。数々の試行錯誤の末、連続自動化といえる領域に達した。研究者はスイッチを入れて溶媒と原料を投入するだけでよいとのこと。この装置は大型の空調設備のような音を立てる。装置に投入された化学薬品は、撹拌器で混ぜられ、ブンブンと音を立てるポンプに吸い上げられる。そしてろ過器では、液体が滴り落ちたり絞り出されたりしている。化合物が長さ2mの乾燥管の中に入るとスクリューコンベヤが固体になったそれを押し出し、射出成形に至る。47時間後に14の操作が終了し、完成した錠剤が落とし口に現れる。バッチ式合成なら、300時間以上をかけて21の操作を行う必要があっただろう。

Jamisonは、非常に高い確率で反応を連続フロー方式に適応させられると考えており、「ゆくゆくは全反応の50%を大きく上回り、75%に達するかもしれない」と推測する。進歩は加速度的である、と彼は付け加える。というのは、あるステップで問題(例えばパイプが固形物で詰まるなど)が1つ解決されれば、他のプロセスも直ちに改良される可能性があるからだ。

化学脳を作る

自動合成装置の汎用性はどんどん高まっているが、コンピューターに独自の合成を考案するよう教えることは依然として大変な課題である、と製薬会社グラクソ・スミスクライン社(英国スティーブニッジ)の自動化研究者でDial-a-Moleculeプロジェクトの協賛者でもあるYuichi Tatenoは言う。「ハードウエアは常に存在していたのに、ソフトウエアとデータがいまひとつだったのです」と彼は言う。

合成計画を立てる化学者は、逆合成解析という手法をよく使う。まず、合成したい分子を書き、次にジグソーパズルをバラバラにするようにその分子をピースに切り分けていく。このとき、形成しやすい結合を消していき、安定なピースや入手が容易なピースを残すようにする。この操作で原料物質となるピースが確認でき、実験室でそれらのピースをつなぎ合わせる戦略を考えることができる。必要なら、SciFinder(米国化学会のケミカル・アブストラクツ・サービスに対応したインターフェース)やその主要ライバルのReaxys(大手出版社のエルゼビア社が提供する統合データベース)といった商用データベースにアイデアを求めることもできる。こうしたデータベースに分子構造や反応を入力すれば、文献中の例を返してくれるのだ。だが、オンラインヘルプを利用しても人間はよく合成に失敗する、とTatenoは言う。「世の中に出回っている化学情報の量は膨大で、全てを知ることができる人間はいないのです」。

そのうち人間よりも機械の方がはるかに優れた成果を出すようになるだろう、とWhitbyは期待する。コンピューターの方がずっと速くテラバイトの化学データを読み取って、特定の反応を見つけ出すからなおさらである。しかし、その実現には大きな課題が横たわっていると彼は付け加える。特に目的分子が過去に合成されたことがない場合、実際に反応がうまく進むかどうか、コンピューターにはなかなか判断できないと彼は言う。

この問題は、ハーバード大学(マサチューセッツ州ケンブリッジ)の化学者Elias Coreyを悩ませた。彼は1960年代に逆合成の方法論を確立し、その後の10年間でLHASA(Logic and Heuristics Applied to Synthetic Analysis)と呼ばれるソフトウエアを開発した。LHASA は、逆合成を利用して、目的分子の合成に向けた一連のステップを提案することができた2。しかし、LHASAもその後継版も成功したとはいえないものであった、とGrzybowskiは言う。あるバージョンは、データベースに収録された反応が非常に少ない上、誤りも多かった。またあるものは、提案された種々の反応に分子中の全官能基が耐え得るかどうかをアルゴリズムで適切に評価できなかったのだ。「化学結合を一度に1つ形成できる合成ステップがバラバラに存在するだけなら、化学的におもしろいとは思えません」と彼は言う。

Grzybowskiは、それらの課題に取り組むため、10年を費やしてChematicaというシステムを構築した。彼はまず、約600万種類の有機化合物を検索できるネットワークの開発を始めた。これらの有機化合物は、Reaxysを構成する主要データベースから選び出されたほぼ同数の反応と関連付けられた。次に、数年かけてデータ整理を行い、試薬との相性や反応条件に関する重要情報が欠けていないか、チェックした。こうしたデータ整理を行わないと、Chematicaは、例えるなら大型料理本でアイスクリームを使う料理を調べ、たまたま見つけたベークトアラスカ(アイスクリームをメレンゲで包んでオーブンで焼いたデザート)の情報から、アイスクリームは高温に耐えられると結論付けるコンピューターシェフのようなものになってしまう。つまり、オーブンでアイスクリームをうまく調理するにはメレンゲという断熱材が必要、という情報が欠けているのだ。Chematicaにはそうした重要情報が盛り込まれているので、Chematicaが提案する新規分子の合成(約3万の逆合成に基づく)は、はるかに信頼性が高くなっている。

さらに、Grzybowskiらのチームは、合成の全体像をつかめるようにChematicaを設計した。ステップごとに最良の反応を探していくばかりでなく、考えられるあらゆる合成ルートの効率を検討してもくれる。つまり、あるステップで効率が低くても、一連のステップのどこかで高収率反応が続けば、相殺される可能性がある。「考えられる20億の合成ルートを5秒でスクリーニングできます」とGrzybowskiは言う。

Chematicaの画面。目的化合物が黄色、出発物質が赤、中間物質が青で示されている。

Bartosz Grzybowski

より強く、より速く、より安く

2005年にGrzybowskiが初めてChematicaネットワークを発表したとき3、「ほら話だろうと皆に言われました」と彼は笑う。しかし、2012年に、Chematicaが動作することを示す記念碑的論文を3報4-6発表すると、状況が一変した。例えば、開発したプログラムを使うことによって、「ワンポット」合成ルートが数多く発見された。ワンポット合成とは、試薬を次々と容器に投入していくだけでよく、各ステップ終了後に面倒な生成物の分離や精製を一切必要としない合成方法のことである。チームがChematicaの提案に従って各種キノリン(薬や色素によく見られる構造)を合成できるか試したところ、多くの場合で従来法よりも効率が向上していた。

Chematicaは、出発物質のコスト情報を調べることや、各反応に要する労力を見積もることもできる。従って、特定分子を合成する際、最もコストがかからないルートを予測することができる。Chematicaが提案した51の低コスト合成をGrzybowskiらがテストしたところ5、トータルで45%を超えるコスト削減効果があった。

Chematicaを実際に試したことのある研究者は少ないが、これらの実証実験は合成化学者たちを感心させるのに十分であった。Grzybowskiは、Chematicaの商品化を望んでおり、開発したプログラムをReaxysに導入するようエルゼビア社と交渉している。また、製薬業界とともに、Chematicaが提案した生物活性天然分子の合成案を実際に検証している。さらにGrzybowskiは、自動で合成計画を立てて3種類以上の重要薬物分子を合成できる有能な「合成装置のブレイン」としてChematicaを利用することで、ポーランド政府からの最高700万ズウォティ(約2億3000万円)相当の助成金を得ようともしている。

自動合成ロボットは実現するだろうか。少なくともすぐには無理だろう、と懐疑的な見方をする人もいる。Dial-a-Moleculeに参加する委託研究会社、カトサイ社(CatScI;英国カーディフ)のコマーシャルディレクターSimon Tylerは、「当面は、常に人間が手を貸さなければならないでしょう。ロボコップを実験室に常駐させるわけにはいかないですから」と言う。

それに、発表後の研究に基づくデータベースに依存する限り、Chematicaのようなプログラムは、未知化合物を確実に作る合成ルートの設計に苦労するだろう、とWhitbyは指摘する。自動合成ロボットを作るためには、「反応がうまく進む場合を予測可能でなければなりません。でも、もっと重要なのは、反応が失敗する場合も予測できないといけない、ということです」。

残念ながら、そうした失敗はめったに論文に記録されることがない。「私たちは成功例だけを発表します。それは実験室で起こったことをきれいに整理してまとめたものなのです。その際、多くの情報が失われます。実際の温度は何度だったのか、撹拌速度や使った溶媒の量はどれほどだったのか、などです」とWhitbyは言う。

1つの解決策は、電子実験ノート(ELN)を使って成功例と失敗例を記録することである。ELNは、実験の生データを記録するためのコンピューターシステムである。産業界では広く使われているが、大学ではまだ珍しい(Nature 2012年1月26日430~431ページ参照)。「誰がこんなデータを全部読むのか、と尋ねる人が多くいます。重要なのは、データを使うのは機械だということです。機械はデータ検索ができます」とシドニー大学(オーストラリア)の化学者Mat Toddは説明する。

原理上、自動ワークステーションや計器はELNに情報を送ることができる。それらの詳細情報をELNがオープンアクセスデータベースにアップロードする。合成ロボットが反応の信頼性を予測する際、そうしたELN由来の情報が役立つだろう。「過去に行われたことのある全ての化学反応を本当に詳しく知っていたら、驚くほどの予測能力を持つことになるでしょう」とToddは言う。

Dial-a-Moleculeの研究者たちは、大学の研究室でELNの試行を調整し、機械で読めるELN記録用標準フォーマットを考案し始め、データをChemSpiderなどのオープンデータベースに入力できるソフトウエアを開発した。また、特許の中から化学情報を取得しリスト化することによって追加データを取り込むことのできるPatentEyeという試作ソフトウエアの開発も行った。

合成ロボットを夢見る人の多くは、広範なデータ収集には大きな文化的転換が必要と考えている。「間違いなく、ここが最大の障壁なのです。化学の分野には、共有の文化がありません。そこを変えなければならないと思います」とToddは語る。

金銭面も大きなハードルである。自動ワークステーションは費用がかかるので、自動ワークステーションやそのデータ収集能力を熟知している科学者は少ない。また、大学には大学院生という頼れる大きな労働力があるので、大学の研究室は大抵、自動化にあまり意欲を示さない。Whitbyは、最新の自動合成装置や自動合成ソフトの開発・利用を推奨しようと、受け皿となる国家研究機関に働きかけている。そうした動きが具体化するまで、彼はDial-a-Moleculeで次世代の化学者たちを刺激し、データの共有と自動化を促すことができれば、と考えている。

Grzybowskiは、個人的に、自動合成ロボットが実現可能であると確信している。「唯一の障害は懐疑主義なのです」と彼は言う。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2014.141122

原文

The robo-chemist
  • Nature (2014-08-07) | DOI: 10.1038/512020a
  • Mark Peplow
  • Mark Peplowはケンブリッジ(英国)在住の科学ジャーナリスト。

参考文献

  1. Mascia, S. et al. Angew. Chem. Int. Edn 52, 12359–12363 (2013).
  2. Corey, E. J., Howe, W. J. & Pensak, D. A. J. Am. Chem. Soc. 96, 7724–7737 (1974).
  3. Fialkowski, M., Bishop, K. J. M., Chubukov, V. A., Campbell, C. J. & Grzybowski, B. A. Angew. Chem. Int. Edn 44, 7263–7269 (2005).
  4. Gothard, C. M. et al. Angew. Chem. Int. Edn 51, 7922–7927 (2012).
  5. Kowalik, M. et al. Angew. Chem. Int. Edn 51, 7928–7932 (2012).
  6. Fuller, P. E., Gothard, C. M., Gothard, N. A., Weckiewicz, A. & Grzybowski, B. A. Angew. Chem. Int. Edn 51, 7933–7937 (2012).