News

40年前のルノホート2号の走行距離が、今も最長

Credit: km LUNOKHOD 2: EDGAR D. MITCHELL/GRIN/NASA; MIIGAIK. OPPORTUNITY: JPL-CALTECH/NASA; NASA/JPL-CALTECH/MSSS /NMMNH20

惑星地質学者Alexander Basilevskyは、何度も探査車を止めたいと思った。1970年代初頭、遠隔操作で動く旧ソ連の月面探査車ルノホート1号と2号が月に送り込まれ、Basilevskyも一緒に仕事をしていたのだ。車載カメラが興味深い岩石や土をとらえるたびに、ごろごろ走る探査車を止めて科学調査をさせてほしいと責任者に頼んだ。しかし、旧ソ連の宇宙プログラムのお偉方たちは、彼の願いに耳を貸すことはなかった。彼らはBasilevskyに、これはルノホート(ロシア語で「月を歩くもの」という意味)であって、ルノストップではないと言い切った。そして、できるだけ広い範囲をカバーすべく、月面を走らせ続けたのである。

今になって、ルノホート2号は、当時の人々が考えていたより、かなり長い距離を走っていたらしいことが判明した。探査車が40年前につけた轍の長さを、はるか上空の軌道から撮影した画像を使って新たに計算し直したところ、月面に送り込まれてから停止するまで、約42kmも移動していたことがわかったのだ。これは、公式のミッション記録に書かれている距離より5kmも長い。火星で10年近く活動しているNASAの火星探査車オポチュニティーの走行距離は、まもなく37kmになろうとしているが、ルノホート2号のチャンピオン記録を破るのは、まだまだ先のことになりそうだ(「宇宙でのレース」参照)。

2013年5月中旬、オポチュニティーの長寿について記者会見したNASAは、ロシアのルノホート2号の走行距離は37kmだったと引用し、一部のチームメンバーは、オポチュニティーはまもなく地球外探査車の走行距離記録を更新するだろうと発言した。しかしそれ以降、NASAは新記録の話についてはいっさい語っていない。

オポチュニティーの主任研究者であるコーネル大学(米国ニューヨーク州イサカ)の惑星科学者Steven Squyresは、「現時点では、記録の更新についてお話しするつもりはありません」と言う。「ルノホートのチームが40年も前にあれだけの記録を打ち立てたことに、私は畏敬の念を抱いています。強い確信がないかぎり、自分たちが新記録を樹立したとは言いたくありません」。

一方、ロシアの科学者たちも、42kmという修正された推定値に自信を持っていて、昨年、さまざまな惑星科学学会でこの知見を報告した。

全長1.7mのルノホート2号月面探査車は、1973年1月にル・モニエ・クレーターの調査を開始し、86枚のパノラマ写真と8万点以上のテレビ画像を地球に送った後、約4か月後の春に停止してしまった。原因は、探査車がクレーターの壁をかすめたときに、月の砂が内部に入ってしまったからではないかと考えられている。

ルノホート2号の走行距離の改訂作業は、モスクワ国立測地学・地図学大学(MIIGAiK)の惑星地図作成者Irina Karachevtsevaのチームによって行われた。利用したのは、2009年から月を観測しているNASAの月周回衛星ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)が撮影したルノホート2号の着陸地点の画像である。チームはまず、月の地形を3D表示した地図を使って、これらの画像の視線方向の小さな歪みを修正した。そして、修正された画像上で探査車が走行した経路をたどると、その距離は42.1~42.2kmとなったのである。これが現時点で最も正確な推定値であり、彼らが言うとおり、奇しくもマラソンの距離と非常に近い。

Karachevtsevaは、公式ミッション記録が最新の見積もりより5kmも少ないのは、決して意外ではないと言う。ルノホート2号の走行距離計は、車体の後ろに幅の狭い第9の車輪を引きずり、この車輪の回転数によって走行距離を決定する方式をとっていた。彼女によると、この距離計は常に10~15%の誤差があるとみられていたという。ルノホート走行チームのメンバーの1人は、MIIGAiKの科学者に対して、「チーム全員が、走行距離はいつも実際より少なめに表示されていると思っていた」と打ち明けていた。

MIIGAiKのチームは、1970~71年に月面を探査したルノホート1号の轍についても、分析し直した。すると意外なことに、今度は公式のミッション記録より短かったのだ。記録では走行距離は10.54kmになっているが、分析し直すと9.93kmだったのである。MIIGAiKのチームのルノホート1号の走行距離に関する論文はPlanetary and Space Scienceで印刷中であり、ルノホート2号に関する論文も仕上げの段階に入っている。

ウェスタン・オンタリオ大学(カナダ・ロンドン)の惑星地図作成者Phil Stookeは、ルノホート1号の走行距離計が実際より大きな数値を表示し、一方で、ルノホート2号では小さな数字を表示した理由はわからないと言う。ただ、彼自身は、ルノホート1号は車輪のスリップを考慮しておらず(月面は砂に覆われているため、車輪のスリップは大きな問題になる)、そのために大きな値になったのかもしれないと推測している。一方のルノホート2号は、このスリップを過大に評価してしまったか、センサーに関するその他のエラーがあったのかもしれないという。

車輪のスリップは、月以外の天体でも探査車を苦しめている。オポチュニティーの双子の相方である火星探査車スピリットは、火星のグセフ・クレーター領域にあるハズバンド・ヒルを登る際に、予想以上にすべってしまった。しかし、この丘から下りてくる際の静止摩擦が大きかったため、旅を終える頃にはすべりの総和はかぎりなくゼロに近くなっていた(R. Li et al. Geophys. Res. 113, E12S35;2008)

オハイオ州立大学(米国コロンブス)で火星探査車を利用した地図を作成しているRon Liによると、オポチュニティーを動かすエンジニアたちは、毎日、車輪を使って計測した走行距離と軌道からの画像とを比較して、走行距離を較正しているという。オポチュニティーは現在、20か月にわたって調査したケープ・ヨークという領域を離れ、1.3km離れたソランダー・ポイントに向かっている。迫りくる火星の冬をそこでやり過ごす予定だ。したがって、ルノホート2号の走行記録は、しばらくは破られないことになる。

現在、ロシア科学アカデミー(モスクワ)に在籍しているBasilevskyにとって、走行距離の再分析は、ルノホートの物語を締めくくるのにふさわしい話題である。ルノホート2号のミッション・コントロール・センターは軍の施設であったため、科学者である彼が出入りするのは許されていなかった。けれども彼はそこに忍び込み、遠隔操作で月面上を走るルノホートの様子を一緒に見ていたのだ。自分もまた、ルノホートを遠隔操作していたのだと冗談をとばす。「今回の発見で、当時思っていたより私の遠隔操作はずっと上手だったことを知りました」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130914

原文

Space rovers in record race
  • Nature (2013-06-20) | DOI: 10.1038/498284a
  • Alexandra Witze