遺伝子治療研究には、道徳的権威が必要だ
科学者はよく、規制と官僚主義によって研究が邪魔され、余計な時間がかかっていると不満を漏らす。それを最も感じているのは、米国の遺伝子治療研究者かもしれない。では、そうした規制を今、緩めるべきなのだろうか。
それを判断しようとしているのが米国医学研究所だ。6月初め、医学研究所は、米国立衛生研究所(NIH)の組換えDNA諮問委員会(RAC)についての審査を開始した。多くの遺伝子治療関係者は、RACは不要になったと主張している。そのとおりなのかもしれないが、医学倫理が問題となっている場合、科学者が正しい行動をとるだけでは十分ではない。何よりも、社会がそれを認知していなければならないからだ。
RACはDNA実験の倫理と安全に関する一般市民の懸念に直接応えるものとして、1974年にNIH内に設立された。研究のためのガイドラインを策定した後、RACは、ヒトを対象とした実験の提案を承認する権限を得た。RACの承認を要する実験の数は、分野の成長とともに増え、遺伝子治療に関する実験も含まれるようになった。
遺伝子治療に関わる医師たちが問題視しているのは、その間に数々の規制が並行して新設されたことだ。米国食品医薬品局(FDA)は、ヒトを対象とした遺伝子治療の臨床試験を承認する権限を持っているし、各研究機関には、それぞれ独自の安全委員会と治験審査委員会がある。
当然のことながら、RACはこれまで、他の検査官の所見に異議を唱えることもあった。その結果、決定の遅れが延々と続くこともあった。
2013年3月、これに対して「もうたくさんだ」と声を上げたのが米国遺伝子治療学会(ASGCT)だ。ASGCTは、NIHに対して、この数十年間に遺伝子治療の臨床試験が1000件以上実施されたが、一般市民が最も恐れている遺伝子治療によるヒトゲノムの改変、あるいは、遺伝子組換え実験で作られたスーパー細菌の流出は起こっていないと主張した。そして、RACは遺伝子治療プロトコルの個別審査をやめて、むしろ、「公開での議論や審査を行う場が必要な新しい研究分野の特定」に取り組むべきだとNIHに提案した。
遺伝子治療の分野は、有害事象のリスクと無縁ではないが、RACが有害事象を防止すると主張したことは一度もない。RACは、遺伝子治療の分野が失敗から学ぶことを手助けする点で、非常に重要な役割を果たしてきたのだ。
例えば1999年に米国の10代の若者Jesse Gelsingerが遺伝子治療の臨床試験で死亡した後、RACは、遺伝子治療の臨床試験中に起こった重大な有害事象をすべて報告することを治験医師に義務付ける規則を採択した。また、2001年に遺伝子治療によって重症複合免疫不全症から治癒した小児患者が白血病を発症した際には、RACは、遺伝子治療が白血病発症の一因となった過程を調べて、再発防止策を勧告した。
研究者は、RACによる個別審査が重要な役割を果たさなくなったと確信している。また、RACは、質問するために研究者を呼び出す権限を持っているが、研究と無関係なことで翻弄されると憤慨している。
しかし、医学研究の公開審査プロセスを縮小するには、今は微妙な時期にある。この10年間、多くの製薬会社が数々の疾患治療薬の副作用に関する報告を怠り、一般市民が怒りの声を上げたことを思い出すべきだ。
遺伝子治療の臨床試験は、極めて高度な公開性を持って実施されてきた。そして、このことは、この研究分野に対する一般市民の信頼と容認を得るうえで役立った。こうした大切な役割を果たした制度は、まねされこそすれ、廃止すべきものではない。遺伝子治療に関して、RACの審査以外に公開が義務付けられた監視制度はない。FDAの審査にも公開の会議は含まれているが、審査過程で、検査官が多くのデータを秘匿できるようになっているのだ。
問題は、RACが研究の進展を止めることなく実現した公開性を、いかにすれば守れるのかということだ。RACの権限を縮小する絶好のタイミングは今かもしれないが、RACの道徳的権威を維持しつつ進めることが絶対に必要だ。こうしたやり方は負担が大きいが、それがなければ、今日までの遺伝子治療研究の発展はなかったことを忘れてはいけない。
翻訳:菊川要
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 9
DOI: 10.1038/ndigest.2013.130931