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正常ヒト細胞株WI-38の光と影

1982年に撮影された、WI-38細胞をチェックしているLeonard Hayflick。彼が中絶胎児の肺から作り出したこの細胞株は、多くのワクチン製造に使われ、それらは現在も世界中で多くの人の命を救うために貢献している。

COURTESY OF LEONARD HAYFLICK

1962年、スウェーデンのある病院で、1人の女性が合法的に人工妊娠中絶を受けた。その女性は妊娠4か月だったが、もう子どもは欲しくなかった。胎児は女の子で、緑色の滅菌布に包まれた体長20cmの遺体は、ストックホルム北西にあるカロリンスカ研究所に送られた。そこで摘出された左右の肺は、氷詰めにされて、空港からウィスター研究所(米国ペンシルベニア州フィラデルフィア)へと送られた。数日後、大西洋を横断してやって来たその箱を開封したのは、野心にあふれた若き微生物学者Leonard Hayflickだった。

Hayflickは2本の外科用メスで、その胎児の肺を大人の指先ほどの大きさに細かく刻み、酵素の混合液の入ったフラスコに入れた。次に、酵素の働きでばらばらになった細胞を、両側面が平らなガラス瓶に移し替え、栄養素入りの培養液を加えた。この後、ガラス瓶を37℃の保温室に平らに寝かせておくと、中の細胞が分裂を始めた。

こうして樹立された「WI-38」細胞株は、その後ワクチン開発に使われ、研究で作り出された細胞株としては、最も多くの人命を救うために貢献した。有名なHeLa細胞など、当時入手できる実験用細胞株の多くは、がん細胞を増殖させたものか、遺伝的に異常があった。しかしWI-38は、研究用にも産業用にも実質的にほぼ無制限に大量入手可能な、最初の正常ヒト細胞株であり、現在に至るまで、正常ヒト細胞株の中では最も徹底的に調べられ、多くの研究報告もなされている。

WI-38細胞を使って、風疹、狂犬病、アデノウイルス、ポリオ、麻疹および水痘・帯状疱疹のワクチンが製造され、膨大な数の人々が接種を受けた。1960年代から1970年代には、集団発生した感染症の原因ウイルスを突き止める疫学研究においても、WI-38は使われた。病変細胞と比較するための対照細胞として、その「正常さ」が役立ったのである。WI-38は今なお細胞老化やがんの謎を探るための重要なツールであり、ウィスター研究所をはじめ世界各地の研究機関や大学で広く使われている。

「人類の健康に多大な影響を与えてきた細胞塊なのです。1人の胎児に由来する細胞が大勢の命を救ってきたことは、間違いありません」と、フィラデルフィア小児病院の感染症部門主任を務めるPaul Offitは説明する。

その輝かしい功績の一方で、この細胞に厄介な歴史があることはほとんど知られていない。しかし、それを知ることで、ヒト組織を使った研究を考えている現代の研究者は、いくつもの教訓を得るはずだ。Hayflickは、この有名な細胞株を樹立した6年後、細胞のストックをウィスター研究所から持ち去り、細胞株の発送代金を取り始めた。そのため、米国立衛生研究所(NIH;メリーランド州ベセスダ)との間で、WI-38株の所有権をめぐる歴史的な法廷論争が繰り広げられた。この騒動で、Hayflickの経歴には大きな傷がつき、また、この種の発明品から科学者が利益を得るべきなのかどうか、またどんな方法で利益を得るべきなのかという問題が浮上した。

ワクチン製造業者は、このWI-38細胞株から何十億ドルも利益を上げた。これに対し、細胞提供者に当たる胎児の親は、いっさい金銭を得ていないと思われる。こうした事情は、WI-38より古いHeLa細胞の開発の経緯を思い起こさせる。HeLaという名前は、細胞株が由来する腫瘍の持ち主であった患者女性の氏名の一部を取って命名された。詳しい経緯は、Rebecca Sklootのノンフィクション『The Immortal Life of Henrietta Lacks』(Crown, 2010)に描かれている(邦訳は『不死細胞ヒーラ–ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』講談社)。

WI-38の場合も、HeLa細胞と同様、由来組織の提供者に対価を支払うべきかどうか、また支払い方法はどのようなものであるべきかという問題を提起し、現在もまだ決着はついていない。例えば先月、米国で一部の科学者が、ヒト胚由来の新しい幹細胞株の使用を禁じられたが、その理由は、彼らが細胞株を作り出すために使った卵に、対価が支払われていたことにある(Nature http://doi.org/mv2; 2013を参照)。

WI-38の物語には、HeLa細胞とはまた違う議論がつきまとっている。その原因は、中絶した胎児に由来する点にある。人工中絶に反対する活動家たちは、過去40年にわたって、WI-38の利用やWI-38で開発したワクチンの使用に反対してきた。「これは今も続いている問題です。起源が胎児の組織だからという理由で、WI-38から作られたワクチンの接種を拒む人々がいまだにいるのです」と、ウィスコンシン大学法科大学院(米国)の法学および生物倫理学教授のAlta Charoは話す。

細胞を求めて

Hayflickがスウェーデンから届いた氷詰めの箱を開封した1962年当時、彼は米国のウイルス研究の最前線にいた。当時のウィスター研究所の所長は、ポリオワクチン研究の先駆者Hilary Koprowskiが務めており、彼は、研究所内の細胞培養研究室を稼働させて研究者に細胞を供給するためにHayflickを雇った。しかし、Hayflickはその傍らで、ウイルスによってヒトのがんの一部が引き起こされるかどうかも調べ始めた。その研究には、当時まだ存在しない資源、つまり、実験室で確実に増殖させることができ、検証も可能な正常ヒト細胞が必要であった。胎児細胞は、成人細胞に比べて過去にウイルスと接触した確率が低いため、理想的な候補だと彼は考えていた。

当時、ペンシルベニア州では、妊娠中絶は建前上は違法だったが、医師が医学的に必要と認めた場合は可能であった。Hayflickは、ウィスター研究所と道を挟んで向かい側にあるペンシルベニア大学病院の手術室から、胎児を直接入手していたという。胎児組織は、何かに利用されなければ「間違いなく焼却炉行きになる」と彼は考えていた。ペンシルベニア大学によれば、Hayflickが使った胎児組織の供給源を確認できる記録は見つからないという。

Hayflickは25種類の胎児細胞株を作り出し、それにウィスター研究所の頭文字と番号を付けてWI-1からWI-25と命名した。しかし、プロジェクトが動き出して数か月後、彼は奇妙な現象に気が付いた。科学の定説では、培養細胞は、適切に処理すれば無制限に分裂すると考えられていた。ところが、いちばん古い細胞株の分裂速度が遅くなり始め、最終的には分裂を全く止めてしまったのだ。

1961年、Hayflickは、同僚のPaul Moorheadとともに、生物学で最も引用回数の多い論文の1つ1を発表している。これが「The serial cultivation of human diploid cell strains(ヒト二倍体細胞株の継代培養)」というタイトルの論文で、正常な胎児細胞が約50回分裂すると細胞分裂を止めてしまうことを報告したのだ。この論文によって、「細胞老化」という新しい研究分野が誕生した。その後、すでに何度か分裂を経た成人細胞ではこうした細胞分裂回数の限界がもっと早く訪れることが明らかになり2、分裂回数の限界は「ヘイフリック限界」として知られるようになった。

HayflickとMoorheadによる重要な発見はそれだけではなかった。胎児細胞は、冷凍して数か月後でも生存能力を保持していることや、いったん解凍すると、過去に何度分裂したかを思い出し、中断した回数から分裂を再開することもわかった。論文には、「どうやら、培養の継代のたびに、あるいは数回の継代ごとに細胞を冷凍することで、任意の分裂回数の細胞を得ることができ、しかも細胞はほぼ無尽蔵に得られると考えられる」と書かれている。そのうえ、これらの細胞はさまざまな種類のヒトウイルスに容易に感染することもわかり、ワクチン開発に必要な「ウイルスを増殖させるための媒体」として、申し分ないものであることが判明した。

Hayflickは、胎児由来細胞株の1つを配布することに決めた。この細胞株が研究用資源として広く一般に使われ、なおかつ産業規模でのワクチン製造の材料となることを期待したのだ。彼はそのとき、米国立がん研究所から助成を受けていた。1962年2月、ウィスター研究所とその共同責任者であるHayflickに対して、「ヒト二倍体細胞株を産生し、特性を解析して、保存および研究し、そうした細胞株を適正なあらゆる研究機関へ配布すること」という契約で、助成金が出されたのだ。

成功を収めた細胞株

この助成金の契約が決まる前に、Hayflickは胎児組織の供給元を変えていた。それが、妊娠中絶が合法とされるスウェーデンにある、カロリンスカ研究所のウイルス学科主任Sven Gardの所だった。1962年6月、Hayflickはカロリンスカ研究所から、その後WI-38株になる胎児肺を受け取った。彼はその胎児の細胞を数週間にわたって培養し、細胞が培養瓶の底を覆う状態になると2個の瓶に分けた。こうして、培養瓶は2個から4個、4個から8個へと増えていき、元の細胞群が9回の倍加を経ると、瓶の数は数百個になった。

この年の7月31日、Hayflickは長時間に及ぶ大掛かりな作業を行った。この作業のために採用していた何人かの実験助手とともに、増えた細胞を800個以上のガラス製アンプルに分配して、そのアンプルの先をブンゼンバーナーの炎で密封した。その後、彼はそれらの貴重なアンプルを、ウィスター研究所の地下にある液体窒素冷凍庫に運び入れた。

その1年後、スウェーデンからHayflickの元に連絡が入り、胎児の母親とその家族が、がんにも遺伝性疾患にもかかっていないことがわかった。この情報は、ワクチン製造業者にとってもありがたい知らせだったに違いない。なお、胎児組織の使用にその母親が同意していたかどうかについては、同意していたことを示す情報は多少あるが、Natureでは確信するまでには至っていない。当時のスウェーデンの法律ではそうした同意は特に必要なく、ヘルシンキ宣言が出される前は「スウェーデンでも米国でも研究に関する倫理的な意識はかなり低かったのです」と、カロリンスカ研究所の医学倫理学教授Niels Lynöeは指摘する。ヘルシンキ宣言は、1964年に世界医師会(WMA)総会で採択された、人体を対象とする研究の倫理規範である。ストックホルム大学で医学史を研究するSolveig Jülichによれば、スウェーデンでは長い間、中絶胎児由来の組織などの研究材料は、その親の同意もしくは認識なしに研究に使われていたという。事前と事後の同意に関する規定が厳しくなったのは、どちらも1960年代後半のことだ。

WI-38という理想的なヒト正常細胞株を手に入れたHayflickはすぐに、世界への進撃を開始した。彼は海外へ頻繁に出向き、しばしばWI-38アンプルを入れた小型の液体窒素冷凍庫を持参した。そうやって、ロンドン、モスクワ、レニングラード、ベオグラードの研究仲間たちにWI-38を手渡したのである。また彼は、アンプルから「初心者用」培養細胞をこしらえて多数郵送した。正常なヒト細胞の基本的な生物学的特性を調べるために、安価で数も豊富なWI-38は、研究者たちにとって喉から手が出るほど欲しい細胞株だった。そしてすぐに関連する論文が発表されるようになり、細胞呼吸3から細胞を構成する脂肪分子4まで、WI-38のあらゆる特徴が調べられた。

WI-38は、ウイルス研究でも大いに活用されることになった。この細胞はさまざまなヒトウイルスに簡単に感染するため、すぐにウイルス同定の重要なツールとなったのだ。例えば、1967年に世界保健機関(WHO)が四大陸の入院児童で下気道感染症を起こしたウイルスを調べた際にも、この細胞株が使われた。

1971年、当時ウィスター研究所の所長だったHilary Koprowskiが、WI-38を使って開発された狂犬病ワクチンを接種されているところ。接種しているのはStanley Plotkin。

Credit: WISTAR INST.

Hayflickは、意欲的なワクチン作製研究者に対してもWI-38のライブラリーを提供した。その1人が、ウィスター研究所の科学者で医師のStanley Plotkinだった。1960年代初頭に英国と米国では風疹が広がり、その大規模な集団発生の影響を、彼はその目でじかに見ている。風疹は、妊娠中の女性が感染するとその胎児に重篤な障害を生じる可能性があり、視力障害や聴力障害、知的障害のいずれか、もしくは複数持って生まれてくる場合がある。

Plotkinはウィスター研究所で、WI-38に風疹ウイルスを感染させて体温より低い30℃で増殖させることで、弱毒化してもなお将来の感染を防ぐのに十分な程度の刺激を免疫系に与えるウイルス株を作り出した。臨床試験の結果、このワクチンは風疹に対する免疫を効果的に誘導でき、その能力は競合するワクチンより高いことが示された5。その後、Plotkinのワクチンは、1970年に欧州で、1979年に米国で認可された。現在、米国で接種されている唯一の風疹ワクチンは、製薬大手のメルク社(米国ニュージャージー州)によって改良されたPlotkinのワクチンであり、またグラクソ・スミスクライン社(英国ロンドン)は、Plotkinの弱毒化ウイルスを使って欧州とオーストラリアを市場とする風疹ワクチンを製造している。

風疹ワクチンの他にも、WI-38を使っていろいろなワクチンが作られた。1960年代に旧ソ連でWI-38を使った麻疹ワクチンが認可され、またKoprowskiはこの細胞を使って狂犬病ワクチンを開発した。1970年代初頭には、製薬企業のワイス社(現在は買収されてファイザー社の一部になっている)が、WI-38を使って開発した経口アデノウイルスワクチンを売り出し、ファイザー社(米国ニューヨーク州)はWI-38を使ってポリオワクチンを製造した。WI-38は現在もメルク社の水痘・帯状疱疹ワクチンの製造に使われている。

Hayflickの疎外感

WI-38に関する論文が注目を浴び、この細胞がますます有名になる一方で、Hayflickはウィスター研究所の中で自分の地位が低いままだと感じていた。ウィスター研究所の正規職員に推挙されたことは一度もなかったのだ。また、WI-38のことをまるで自らの手柄のように自慢するKoprowskiの態度から、Hayflickは、自分が研究者ではなく実験助手ぐらいにしか見られていないと思った。(Koprowskiは2012年4月に亡くなった。)

Hayflickのくすぶり続けた疎外感は、ある日、激しい怒りに変わった。それは、Koprowskiが英国の製薬企業バロウズ・ウェルカム社(グラクソ・スミスクライン社の前身となった製薬会社の1つ)に対してWI-38供給を保証したことを知ったときだった。あろうことか、Hayflickが編み出した生ポリオワクチン作製用の細胞培養技術6もあわせて提供され、その使用料は全て、ウィスター研究所あてに支払われることになっていたのだ。Hayflickは、KoprowskiがWI-38からの利益を研究所のものにしようとしたことにショックを受けた。と同時に、Hayflickがいつまで経っても表舞台に出られないのは、Koprowskiにそうした思惑があったからだと考えるようになった。

1962年に作られた、オリジナルのWI-38細胞株が入ったガラス製アンプル。

Credit: LEONARD HAYFLICK

1968年7月、Hayflickはスタンフォード大学(米国カリフォルニア州)で医学微生物学の教授の職を得て、新たなスタートを切った。その年の1月に彼は、370個余りのWI-38アンプルを今後どうするか話し合う会合に出席した。同席したのは、Koprowski 、NIH、そして培養細胞を配布する非営利組織「ATCC」(American Type Culture Collection;当時の本部は米国メリーランド州ロックビル)の関係者だった。出席者たちは、Hayflickがスタンフォード大学へWI-38アンプルを10個持って行けること、ウィスター研究所には10個をそのまま残しておくことに同意した。残りはNIHがん研究所の所有物となり、配布を取り仕切ることになったATCCへの移送が決まった。

Hayflickはこの計画に承服しかねたが、同意のサインを求める強い圧力を感じたという。また彼は、不正行為ではないかとも感じた。彼が作り出して無料で手渡した細胞から、利益を得ていた連中がいたからだ。企業、そしてウィスター研究所もそうだったと、現在の彼は考えている。「私が苦心して価値を授けたものに飛びつき、自身の利益のためにそれを奪取しようとしていたのです。まともな人なら、私がなぜ憂慮したかわかってくれると思います。憂慮という表現では足りないくらいです」と彼は語る。ウィスター研究所の見解によれば、WI-38の開発につながった研究を進めるに当たって倫理的な問題点は見当たらず、また、WI-38を使って製造・認可されたワクチンからは使用料(ロイヤルティ)は受け取ったが、細胞の使用許可に関する料金は取っていないという。

その会合から少し経った1968年6月、Hayflickはウィスター研究所の地下にこっそりと入り込み、WI-38のアンプル全てを、容量30Lの持ち運びできる液体窒素保存容器に詰め込んだ。そして、彼の緑色の大型車ビュイック・ルセイバーの後部座席に運び入れ、2人の子どもの隣にくくりつけて、カリフォルニアへと旅立った。「WI-38とともに逃亡したのです」とHayflickは回想しながら苦笑した。

スタンフォード大学に着任したHayflickは、なおも細胞を分けて欲しいと問い合わせてくる数百人もの研究者に対してWI-38培養細胞を送り、その多くについて料金を取るようになった。彼が設定した料金は、ATCCが細胞を送る際に請求する額と同じ15ドルだった。Hayflickはその金を、「細胞培養基金(Cell Culture Fund)」と名付けた口座に入れ、1975年5月には6万6000ドル以上も貯まっていた。

Hayflickはこの行為の理由について、法的権限を持つ何らかの独立機関がWI-38の所有者を判定してくれるまで、基金用の口座を別個に作って維持しようと考えたのだと言う。この事実は、1975年の春にHayflickがNIHに新設された国立老化研究所の所長候補者としてNIHで面接を受けるまで表面化しなかった。この問題についてNIHは、NIH資金の誤った運用の申し立てを受けて調査する資金運用監査部門(DMSR)に任せることを決めた。そして同部門は、3人の担当者をスタンフォード大学のHayflickの研究室へ派遣し、数日かけて記録を調べ上げ、彼の手元にある全てのWI-38細胞株を査定した。

1976年3月、NIHが情報公開法(FOIA)に基づいて数人のジャーナリストにこの報告書を提供したことで、内容が公のものとなった。その内容を記した記事はすぐにScienceに掲載され、The New York Timesの1面を飾った。「記事が出て24時間も経たないうちに、私の経歴はどん底に沈んでしまいました」とHayflickは話す。その報告書には、Hayflickが「米国政府の所有物」を売り、その金を銀行口座に貯め込んだこと、そして、WI-38アンプルの中に行方が明らかでないものがあること、さらには、一部のアンプルに細菌汚染が見られたことが書かれていた。

Hayflickは、この報告書の内容は断固として認められないものだと言う。まず、WI-38が政府のものだとする法的決定はいっさいなかったという。次に彼は、この細胞株の所有者が確定されるまで、受け取った資金をWI-38の調整と発送のための口座に入れただけであって、彼が誤った資金運用をしていたと断言できるだけの証拠は何一つ示されていないと指摘する。また、アンプルの細菌汚染については、1962年当時の通例に反して、HayflickはWI-38細胞の立ち上げ時から抗生物質を加えていなかったと述べ、その訳は、ワクチン製造業者が抗生物質に対するアレルギー反応を恐れたためだと説明した。

Scienceに記事が出る7直前に、HayflickはNIHを相手どり訴訟を起こした。NIHが彼の名前を公表したことや、FOIAの下で出された彼への申し立てに彼の反証を含めていないことは、1974年に成立したプライバシー法に違反していると主張したのだ。同時に彼は、WI-38とそれによる利益の所有権をめぐっても訴訟を起こした。その頃、Hayflickの元に強制捜査の手が及ぼうとしていた。スタンフォード大学が、この事例が政府の財産に対する窃盗罪である可能性があると、地方検察官に通報していたのだ(しかし検察官はその後、犯罪として捜査する根拠を何も見いだせず、この事例から手を引いた)。その一方で、一部のワクチン製造業者は、WI-38のストックがなくなって将来の需要に対応できなくなることを恐れ、別の胎児細胞株MRC-5を使う方向へと舵を切った。

Hayflickは1976年2月にスタンフォード大学を辞職し、たちまち、週104ドルを受給する失業者となった。彼は無職になったばかりか、Science誌上で「我が子同然」と述べたWI-38細胞も失っていた。Hayflickが職を辞する前年、彼が会議に出ていた間に、NIHが彼の研究室からWI-38を持ち去ってしまったのだ。

時代の変化

辞職から数か月後、Hayflickは、サンフランシスコ湾を望むオークランドの小児病院に職を得て、老化研究に再び取りかかった。1977年、彼はNIHの3年間の助成金に応募し、彼の申請は審査によって承認された。資金獲得と一部のWI-38細胞を取り戻すためのNIHとの長い闘いの末、1981年1月にようやく、HayflickはオリジナルのWI-38アンプル6個を受け取ることができた。

この争いが終結する1か月前、バイ・ドール法(産学連携で開発された知的財産に関する条項)が制定され、研究機関が対価の一部を発明者に分配しさえすれば、政府の資金を使って作り出された発明品であっても、その所有権を研究機関が主張できるようになった。HayflickのWI-38創出はこの法律の制定以前のことだったが、バイ・ドール法に代表される新しい考え方が浸透してきたことで、政府はWI-38をめぐる法的闘争を継続するのが難しくなった。係争はすでに約5年にも及んでいたのだ。

1981年の夏、米司法省はHayflickの弁護士に書簡を送って、この件を示談で和解するよう提案し、Hayflickもそれを受諾した。両陣営はこの問題が妥当に議論されたことを認め、またどちらの陣営も法的責任を認めなかった。その結果、この和解によってHayflickは、現在彼が所持する6個のオリジナルのWI-38アンプルとその子孫細胞の所有権が認められた。一方、米政府は、所有している19個のオリジナルアンプルの所有権を確保した。HayflickがWI-38を売って得た収益は、利子が付いて約9万ドルに膨れ上がっていた。そこでこのお金に自己資金を加え、弁護士費用に充てたという。WI-38による経済的な収益は一切ないとHayflickは言う。

こうした間にも、科学者たちはこの細胞から多くの学術上の恩恵を受け続けた。1980年代中頃には、分子生物学で革新的な新ツールが登場したおかげで、WI-38は、ヒト白血病での遺伝子発現8から、当時クローニングされたばかりの重要な免疫調節タンパク質である腫瘍壊死因子9の作用まで、さまざまなヒト細胞の機能解明に貢献した。

WI-38は、「細胞老化の研究に極めて重要な役割を果たしてきました」と、ウィスター研究所でこの領域を研究するRugang Zhangは話す。WI-38の細胞分裂は約50回で必ず止まるので、その理由を明らかにしようと盛んに研究され、大量の知識が積み上げられてきた。例えば、1990年代にWI-38を使って細胞老化マーカーが発見され10、このマーカーは現在最も広く使用されている。さらに最近では、ZhangのチームがWI-38を使って、DNAとタンパク質からなる複合構造(クロマチンと呼ばれる)が細胞の増殖を制御する仕組みを明らかにした11

しかし、WI-38をめぐる議論はくすぶり続けた。スタンフォードにいた1973年7月、Hayflickは、自宅で米航空宇宙局(NASA)の上級医務官から電話を受けた。その数時間前、フロリダ州ケネディ宇宙センターから「スカイラブ3号」が発射されていた。スカイラブにはWI-38細胞が乗せられており、宇宙空間で、無重量状態が細胞の増殖や構造にどんな影響を与えるか調べるために使われる予定だった。電話をよこした医務官は、それに抗議する中絶反対活動家たちの対応に当たっていた。Hayflickが、WI-38の起源となった胎児の中絶手術はスウェーデンで合法的に行われたものだったと説明すると、これで反対活動は鎮められそうだと医務官は話してくれた。しかし、WI-38に関する中絶反対派の関与は今なお続いている。

「他のワクチンは、倫理的に完全に問題のない方法で生み出されています。ではなぜ、全てのワクチンでこれを実行しないのでしょう」と、NPO組織「Children of God for Life」の事務局長を務めるDebi Vinnedgeは話す。この組織は米国フロリダ州ラーゴに本部があり、WI-38をワクチン製造に利用することに反対している。2003年、Vinnedgeはバチカンに対して書簡を送り、カトリック教会が中絶胎児に由来する細胞を使って製造されたワクチンを倫理的に受け入れられるのかどうか質問した。彼女は2年間答えを待った。ようやく届いた返信には、代替できるものがない場合には、WI-38やMRC-5を使って製造されたワクチンを自分の子どもに接種し、子どもや社会集団全体を重大なリスクから回避させようとすることは「法にかなっている」とする結論が書かれていた。

さらにバチカンの返信には、敬虔なカトリック教徒であれば、そうした細胞を使う「製薬業界に抗議する場合、どんなときでも合法的手段をとるべきだ」と書かれていた。Plotkinの風疹ワクチンを製造するメルク社は、長年にわたって中絶反対活動家の標的になってきた。活動家はメルク社の米国株主総会に出席し、この問題をしつこく追及してきた。一方のメルク社はNatureへの回答で、「そうした細胞の代替を開発し試験することは、可能であればやりたいのですが、非常に難しいと思われます」としており、このワクチンの安全性や有効性については長年の記録があることを強調している。Plotkinは反対運動を皮肉って、こう語っている。「風疹ワクチンによって救われた命の数は、カトリック原理主義者の中絶阻止によって救われた命の数よりずっと多いのですが、と申し上げたいです」。

メルク社の風疹ワクチンが生み出した利益は、WI-38が関係する製品がこれまで生み出した何十億ドルもの利益の中でかなりの部分を占める。WI-38で利益を上げた他の製薬企業の中には、バールラボラトリーズ社(現在はテバファーマスーティカル社の一部で、本社はイスラエル・ペタクチクヴァ)があり、同社は現在、米国軍入隊者の全員に接種するアデノウイルスワクチンを製造している。また、シグマ アルドリッチ社(米国ミズーリ州セントルイス)は米国でWI-38を1瓶424ドル(約4万2400円)で販売している。

法律の専門家によれば、WI-38の胎児の親もしくはその相続人が、採取された組織の過去50年分の対価を要求するために、何らかの法的根拠を得ることはありえないという。WI-38が樹立された当時、米国では同意なしの組織利用が当たり前であり、スウェーデンも同じ状況にあった。現在の法律の下では、米国政府の助成金を受ける研究者は、過去に同意なく摘出されて識別名が取り去られた組織(中絶胎児の組織も含む)を自由に利用できることになっている。ただし、一部の州ではもっと厳しい法律になっている。

しかし生物倫理を専門とするCharoは、「法律上の言葉でこの問題を議論し続けると、WI-38にまつわる話の感情的な部分が見落とされてしまうように思います。もし親以外の誰かが、こうした組織から富を築いた場合、その富を他に分け与える義務があると言っていいのではないでしょうか。それは法律ではなく倫理道徳の話なのです」と説明する。WI-38を使ったことがあり、この話にコメントを寄せた科学者や研究機関は、この細胞を使った自らの研究が非倫理的なものとは思っていない。その根拠の一部は、WI-38細胞株が作り出された当時の基準に従っているからだ。さらに、一部の回答者は、厳しくなった現在の倫理基準を持ち出して過去の研究活動を検証するのはフェアではない、と指摘する。「その胎児が使われた当時は、廃棄された材料を使うことに何の問題もなかったのです。過去にさかのぼって倫理を適用するのは簡単ですが、やりすぎだと思います」とPlotkinは話す。この話に絡む企業の大半は、コメントを拒否した。グラクソ・スミスクライン社は、高度の倫理基準を守ることに専心しているとだけ回答している。

現在の状況について、シカゴ大学ベッカー・フリードマン経済学研究所(米国イリノイ州)の研究員Scott Kominersは、提供組織から将来得られると予想される利益をあらかじめドナーに分配すれば、ドナーからの臓器提供が促進され、医学の進歩を促すことになるだろうと話す12。「もし、価値に基づく何らかの対価が支払われるならば、組織の供給を後押しすることになると思います」と彼は言う。

しかし、ハーバード大学トランスレーショナル医療センター(マサチューセッツ州ボストン)の倫理プログラムを指揮する小児腫瘍医Steven Joffeは、正反対の意見だ。ドナーに対価を支払うことで、組織に対する需要と供給の関係から利他主義が排除されることになり、組織を提供しようという善意を減退させてしまうと心配する。そのうえ、WI-38やHeLa細胞のようなドナーとの1対1の関係はめったにないと彼は言う。よくある例が治療用タンパク質などの現代の医薬品で、提供された多くの血液試料を一緒にしてから、成分を抽出して作り出されている。この場合、「収入を得る権利を持つ全ての人々を考慮すれば、科学の歩みは止まってしまうでしょう」とJoffe。

WI-38の物語からわかるのは、対価のあり方と、組織ドナーとの同意の問題を最初にきちんとさせておくべきだということだ。WI-38の場合、たとえ対価を支払うとしても、今になってドナーに支払えば、「彼女はその中絶の経験を思い出し、それが苦痛をも呼び起こすかもしれません。慎重に行うべきです」とCharoは注意を促した。

現在のLeonard Hayflick。カリフォルニア州シーランチの自宅にて。「我々は、組織ドナーに対して道徳的恩義があるのです」と彼は語っている。

Credit: RAMIN RAHIMIAN/GETTY IMAGES

WI-38でもヒト培養細胞でも、所有権を保有する立場は少なくとも4つあるとHayflickは考えている。つまり、①組織のドナー、②有用な細胞株を樹立させた研究者、③研究者の所属する研究機関、そして、④その研究に資金を提供した組織である。「私同様、何百人という研究者が、WI-38や他のヒト培養細胞を使って業績を挙げてきました。そういう意味で我々は皆、組織ドナーたちに恩義を感じるべきです」と彼は付け加えた。

Hayflickは現在85歳で、老化研究の大御所となっているが、何十年もの間、自分のWI-38アンプルを手放さず、カリフォルニア州の自宅のガレージでずっと保管していた。ところが2007年に、アンプルをコリエル医学研究所(ニュージャージー州カムデン)に寄付してしまった。彼は、新しい液体窒素を受け取るために毎月遠出するのがおっくうになり、安全に保管してくれると信じてそこに預けたという。

最後に彼はこう言った。「WI-38を手放したとき、悲しくはありませんでした。5人の子どもたちが世界各地に飛び立ったときと同じでした。私の“子どもたち”も今はもうすっかり大人となり、親元を離れるときだったのですよ」。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130924

原文

Cell division
  • Nature (2013-06-27) | DOI: 10.1038/498422a
  • Meredith Wadman
  • Meredith Wadmanは、ワシントンD.C.に在住する Nature の生物医学系リポーター。

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