Turning Point

君が知ってる化学は、まだこれっぽっちだ

「転がってきた」と、ご自身の研究人生を表現されていますね。

藤田 誠
東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻教授

藤田: 人生には、いくつもの分岐点がありますよね。そこでは、必ずしも自分の思ったとおりの方向に進めるとは限らない。私の場合、予想外にあちらへこちらへと転がるように進んできたというのが実感です。

例えば、大学院修了後の進路。私は千葉大学で有機合成化学を学び、そのまま大学院に進みました。研究をしたかったのです。ところが、当時そこには修士課程までしかなかった。そこで研究室の教授の薦めに従い、相模中央化学研究所に就職することにしました。化学系企業の出資による公益財団法人で、基礎研究部門もある研究所です。

相模中研の基礎研究のラボで博士号を取得されたのですね。

藤田: 有機合成の研究に従事しながら、運がよければ博士論文が出せるといわれ、夢中で頑張りました。しかし翌年、上司はアメリカの大学へ。結局、次の上司、檜山爲次郎先生の下で、一から出直しました。

再度奮起して、研究に専念。3年間で論文を10本書き、博士号も取得できました。修士でプロの研究の世界に飛び込んで、密度の濃い研究生活を送り、自分のポテンシャルを上げることができた気がしたものです。論文の評判もよく、私は意気揚々でした。研究所との契約期限も近づいていたのですが、同様に研究を続けられるだろうと楽観していました。

今度は、どんな分岐点が待ち受けていたのですか。

藤田: 3月、研究所の所長に呼ばれました。そして「4月からは、“研究所のための仕事”をしてほしい」と言い渡されたのです。関連企業のための材料開発部門で、有機合成に従事してほしいと。想像だにしなかった配置転換です。

企業では、突然の異動など当たり前ですよね。でも私は、自分が大学のラボに所属しているような気持ちでいたので、たいへんショックでした。檜山先生にも文句を並べ立てました。「私が立ち上げた研究は、いったいどうなるんですか」などと。

残念な気持ちは檜山先生も同じだったと思いますが、先生の言葉は、「チャンスだと思え」でした。「君が全然見たことのないものを体験できるんだ。君の知っている化学なんて、まだほんのこれっぽっちなんだから」と。化学の中の、有機化学の中の、流行の一分野の、そのまた一部分が、私の体験。しかも、上司の下で進められた研究。その言葉に、反論の余地はありませんでした。

新しい部署で、現在の研究テーマのきっかけを見つけたのですね。

藤田: 新しい部署には、新鮮な驚きがありました。隣のグループが扱う無機化合物のシンプルな構造は、とても興味深く思えました。複雑な構造の有機化合物を扱ってきた私は、そのようなシンプルな骨格を持った有機化合物が作ってみたくなりました。そこで、一日の作業を終え、帰宅前に予備実験的なことをしてみると、その手応えも得られました。

しかしまた、どんでん返しが。千葉大学の恩師が教授に就任し、ラボに戻ってこいと連絡があったのです。とまどいつつも戻って助手になることにしました。

研究テーマ「自己組織化」へはどのようにつなげたのですか?

藤田: 有機合成化学を看板とするラボですから、当初は「シンプルな無機の構造」の実験は封印でしたね。ところがあるとき、研究バックグラウンドの異なる留学生のために、有機合成を必要としない実験の指導を任されたのです。

すると驚いたことに、材料を混ぜ合わせるだけの簡単な処理で、シンプルな構造の有機骨格が高効率で得られました。「これは、もの作りの原理を根底から覆すとてつもない発見だ」と思いました。シンプルな構造が、「自己組織化」という作用による弱い結合で作られていることを見いだしたのです。それ以来、自己組織化を研究テーマに、今に至っているというわけです。

偶然あちらに転がったり、こちらに転がったりしながら、自己組織化の発見に至りました。でもそもそも、自分の思うとおりの道を歩める人なんて、多くないでしょう。進むことになった道を「よい道」だと思えた人が、その先で何かをつかめるのだろうと、そう思っています。

聞き手は藤川良子(サイエンスライター)。

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130905