ヒトのクローン胚から胚性幹細胞を作り出すことに成功
15年ほど前、体細胞核移植(SCNT)と呼ばれるクローン技術は、生物医学に革命を起こしてくれるものと大いに期待された。この技術を使って、患者本人と完全に適合する組織を作り出すことができ、糖尿病からパーキンソン病までさまざまな病気を治せる日がじきにやってくると思われたのだ。ところがその後、クローン技術の倫理問題が起こり、また、論文不正事件にも水を差されて、近年では、競合する別の技術、つまりiPS(人工多能性幹)細胞にすっかりお株を奪われてしまった。クローン胚を作って個々の患者に特異的な胚性幹(ES)細胞を作り出すという技術は重要だが、何かと神経を使うため、多くの研究グループはこの技術からとっくに手を引いてしまった。それでも、治療用クローン技術は果たしてまだ必要なのか、という議論はひっそりと続いていた。
オレゴン健康科学大学(米国ビーバートン)の生殖生物学者Shoukhrat Mitalipovのグループが5月15日にCellに発表した論文1は、この議論に間違いなく一石を投じるはずだ。ついに、クローン技術を使って患者特異的なES細胞が作り出されたのだ。彼らは現在、この技術に研究するだけの価値があることをぜひとも実証したいと考えている。
治療用クローン技術は体細胞核移植(SCNT)とも呼ばれ、その手順は、1996年にあの有名なクローンヒツジの「ドリー」を生み出した手順と途中まで同じである。皮膚などの体組織から採った1個のドナー細胞を、核を取り除いた未受精卵に融合させる。すると、卵はドナー細胞のDNAを「再プログラム」して胚期の状態に戻す。これがクローン胚である。その後、卵割を繰り返して発生初期の胚盤胞の段階になったところで、細胞塊を取り出して培養し、安定した細胞株を樹立させる。この細胞株は遺伝的にドナー個体と同じであり、人体のほぼ全ての細胞種になる能力を備えている。
多くの科学者がSCNTによるヒトES細胞株の樹立を試みてきたが、誰も成功しなかった。そうした中で、悪名高い論文捏造事件が起こった。ソウル国立大学(韓国)の黄禹錫が数百個のヒト卵を使って、2004年と2005年の2回、ES細胞の作製に成功したことを報告したのだ。ところが、どちらの成果も捏造であることが発覚した。
しかし、他ではそれなりの成果も挙がっていた。Mitalipovは2007年に、サルでSCNTを使ってES細胞株を樹立した2。また、ニューヨーク幹細胞財団(NYSCF)の再生医療専門家であるDieter Egliは、SCNTを使って、多能性を持つヒト細胞株の樹立に成功した3。ただし、成功したのは卵の核が細胞に残っていた場合だけだったため、細胞の染色体数が異常となって使用範囲も限られた。
サルからヒトへ
2012年9月、Mitalipovたちは新しい研究に着手した。大学の募集で若い卵提供者を集め、採取した卵を研究に使った。その年の12月、いくつかの失敗を経て、Mitalipovが核移植操作をしたクローン胚4個から取り出した細胞が増殖し始めた。「コロニーみたいだ、コロニーになりそうだ」。このことが彼の頭からずっと離れなかった。その後、Mitalipovの研究室にいる仙台出身の立花眞仁が、1mm幅の細胞塊を慎重に切り分け、切片を新しい培養皿へ移したところ、それらの小さい細胞塊は増殖し続けた。実験は成功したのだ。Mitalipovは、すぐさま休暇の予定をキャンセルした。「クリスマスを、細胞培養をして過ごすことができて幸せでした。家族は理解してくれました」と彼は振り返る。生殖医療を専門とする立花は、もうじき5年の滞在期間を終える予定だ。
成功のカギは、いくつかの手順の微調整にあった。研究グループは、不活性化したセンダイウイルス(細胞を融合させる作用がある)を用いて卵と体細胞を融合させ、電気刺激を用いて胚発生を開始させた。最初の試みで6個の胚盤胞が得られたが、安定した細胞株を樹立できなかったので、卵の活性化が早く起こりすぎないようにカフェイン(特定の酵素を阻害する作用がある)を添加することにした。
こうした方法はどれも目新しいものではないが、Mitalipovたちはこれらをさまざまに組み合わせて1000個以上のサル卵で試した後、ヒト細胞の実験に移った。「Mitalipovたちは手順をうまく改良しました。この成果はビッグニュースです。説得力があり、私はこの結果を信じます」とEgliは話す。
Mitalipovによれば、実験には数か月しかかからなかったという。「2007年にサルですでに成功しているのに、なぜヒトで6年もかかったのか、とよく聞かれます」。時間の大半は、ヒト胚の研究に対する米政府の規制への対応に費やされたのだと彼は説明する。
Mitalipovたちは、SCNTで作り出したES細胞が、自発的に収縮できる心臓細胞などの多様な細胞種を形成できることを実証するために、一連のさまざまな実験を行った。
最初に樹立したES細胞株は、胎児の皮膚細胞を使ったものだった。次に、ライ症候群という希少な代謝性疾患の生後8か月の子どもから採ったドナー細胞を使い、より成長した個体の細胞からでもES細胞が作れることを明らかにした。改良した手順を踏めば、膨大な数の卵を必要としない。例えば1人の卵提供者から15個の卵を採取して、1つの細胞株を樹立できた。また別のケースでは5個の卵で細胞株を樹立できた。「この成功率の高さが最もすばらしい点です」と、ボストン小児病院(米国マサチューセッツ州)の幹細胞研究者George Daleyは話す。
こうした成功率の向上は、SCNT研究にまだ価値があることを認めてもらうのに必要なことだろう。一方、この実験に卵を提供した女性には、対価として3000〜7000ドル(28万〜66万円)が支払われた。この金額はかなり高く、貧しい人を食い物にする臓器売買につながる恐れがあるとみる生物倫理学者もいる。また、この方法ではヒト胚を破壊する必要があるため、米国立衛生研究所(NIH)からの助成金を、SCNTを用いた細胞株の樹立や研究に使うことはできず、臨床研究をさらに進めることが難しい(Mitalipovは、NIHからの助成金で研究を進めるための研究室を別に構えている)。
研究のもう1つの障害は、この技術を使ってクローン人間が作られるのではないかという社会的懸念である。今回の研究が、「クローン技術に対するヒステリー」に火を付けてしまい、幹細胞研究の反対派がそれを利用するのではないか、と遺伝学政策研究所(GPI;米国フロリダ州パームビーチ)の理事長であるBernard Siegelは心配する。ただし、Mitalipovは10年以上にわたってクローン技術でサル個体を作り出そうとしてきたが、成功していない。立花によれば、次回発表する論文で、今のSCNT法ではヒトのクローン個体作製(生殖型クローン作製と呼ばれる)が不可能な理由を明らかにする予定だという。
しかし、すでにDaleyや他の多くの幹細胞研究者は、SCNTを使わない手法へと切り替えて、遺伝的に適合する患者特異的な細胞株を作製しようとしている。つまり、成体細胞を胚の状態へとプログラムし直してiPS細胞を作り出す手法だ。この方法は2006年に初めて報告され、卵やクローン作製も、胚の破壊も必要としない4。「正直なところ、今回の論文を見ていちばん驚いたのは、このiPS細胞の時代にまだヒトのSCNTを研究している人がいたことです」と、セルビアのレスコバツにある不妊治療医院の院長で、iPS細胞を使った再生医療を研究しているMiodrag Stojkovicは言う。
しかしStojkovicは、他の研究者と同様に、iPS細胞とSCNT細胞を直接突き合わせた比較の結果をぜひ知りたいと思っている。いくつかの研究から、iPS細胞が完全に再プログラム化されていないことや、iPS細胞よりもSCNTで作られたクローン胚由来のES細胞の方が、体外受精で得られたES細胞により似ていることが明らかにされている。Mitalipovと立花は現在、同じドナーの細胞に由来するiPS細胞とSCNT細胞を比較検討する研究を行っている。「それらの結果は非常に興味深いものになるでしょう」とDaleyは期待を込めて語った。
翻訳:船田晶子
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 8
DOI: 10.1038/ndigest.2013.130806
参考文献
- Tachibana, M. et al. Cell 153, 1228–1238 (2013).
- Byrne, J. A. et al. Nature 450, 497–502 (2007).
- Noggle, S. et al. Nature 478, 70–75 (2011).
- Takahashi, K. & Yamanaka, S. Cell 126, 663–676 (2006).