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ホーキング博士がイスラエルに対する学術ボイコットに参加

Credit: THINKSTOCK

世界で最も高名な物理学者の1人であるケンブリッジ大学(英国)のStephen Hawkingが、2013年6月にイスラエルで開催される会議への出席をとりやめることを発表した。パレスチナ占領地でのイスラエルの行為に対する抗議として「学術ボイコット」運動が進められており、今回の出来事は、この運動に関する英国内の議論を再燃させることになった。

少し前、裁判所による1つの判断が下っていた。イスラエルに対する学術ボイコットをたびたび討議して反ユダヤ的な敵対的状況を作り出したとして、英国人大学講師が自分の所属する労働組合を訴えていた。しかし、雇用裁判所はその訴えを棄却したのだ。裁判所のこの判断を受けて、イスラエル・ボイコットをめぐる論争が激化すると予想されている。

Hawkingは、ケンブリッジ大学宇宙理論センターのセンター長として、エルサレムで開催されるイスラエル大統領会議に参加する予定になっていた。これは、イスラエルのShimon Peres大統領がヘブライ大学(エルサレム)と共同で開催する会議で、大統領の90歳の誕生日を祝う式典も開かれることになっている。6月18~20日の会合では、科学者、その他の学者、芸術家、政治家が、教育やニューメディアから政治的リーダーシップまで、さまざまなテーマに関する講演を行う。

5月3日、Hawkingは、一部の研究者が10年前から呼びかけている「ボイコットを尊重する」ため、この会議への出席をとりやめることにしたとする書簡を会議主催者に送った。彼のこの決断は、5月8日、パレスチナの大学を支援する英国委員会(British Committee for the Universities of Palestine;BRICUP)のウェブサイトで発表され、メディアから大きな注目を集めた。BRICUPはロンドンを本拠地とする団体で、学者がイスラエルの研究機関との関係を断ち切るよう呼びかけている。

ケンブリッジ大学は同じく5月8日に、「運動ニューロン疾患という進行性の麻痺を引き起こす神経疾患を抱えるHawkingは、健康上の理由により、会議への出席を見合わせることになった」と発表していた。しかし、その日のうちに、先ほどの発表は間違いであり、Hawkingがこのような決断をしたのは、「パレスチナの学者からボイコットを尊重するよう助言を受けたからである」と発表した。

会議の主催者であるIsrael Maimom弁護士は、Hawkingの決断は間違っていると考えており、イスラエルに対する学術ボイコットを呼びかけることは「良識に反し、目的にもそぐわない」と批判する。

英国におけるボイコット運動

英国でのイスラエルに対する学術ボイコットは、2002年にThe Guardian紙に1通の手紙が掲載されたことから始まった。それは、「イスラエルが占領地のパレスチナ人に対して行っている暴力的な迫害」に抗議するため、欧州がイスラエルの研究機関に資金を提供したり契約を締結したりすることを一時的に停止するよう呼びかける手紙であり、100人以上の学者が署名していた。それ以来、各種の運動団体や、大学教員や講師の労働組合が、自分たちの会合でボイコット動議を提出し、そのいくつかが可決・承認されている。

最初の呼びかけを組織したのは、オープン・ユニバーシティ(英国ミルトンキーンズ)の生物学名誉教授Steven Roseと、その妻でブラッドフォード大学(英国)の名誉教授である社会学者のHilary Roseだった。Stevenによると、イスラエルに対する学術ボイコットはこの10年間にどんどん拡大しているという。学術ボイコットの効果について厳密なデータはないものの、それに対抗しようとするイスラエル政府の動きを見れば(例えば、2011年にはイスラエル国内でボイコットの呼びかけをすることを違法としている)、「効果があるのは明らかです」と彼は言う。

学術ボイコットがイスラエルの科学に及ぼす影響を疑問視する研究者もいる。イスラエルは、欧米の多くの研究機関はもちろん、パレスチナ占領地の一部の研究者とさえ共同研究を進めている。ワイツマン科学研究所(イスラエル・レホボト)の免疫学者でイスラエル科学・人文科学アカデミー(エルサレム)の会長であるRuth Arnonは、Hawkingの今回の決断と学術ボイコットを強く批判しつつも、「私自身は、学術ボイコットによる被害は受けておらず、英国をはじめとする世界中の科学者と関係を持ち、共同研究をしています」と言う。「影響を受けた研究者もいるかもしれませんが、私が知るかぎり、深刻な影響を受けた研究者は1人もいません」。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校(米国)の臨床精神科医で、米国イスラエル学術・文化ボイコット運動(US Campaign for the Academic and Cultural Boycott of Israel)の組織委員会のメンバーであるJess Ghannamは、米国では伝統的にイスラエルに対するボイコットが盛んではなかったが、Hawkingの今回の発表は、米国におけるイスラエル・ボイコット運動を前に進める「重大な事件」になるかもしれないと言う。「この問題に人々の目を向けさせるという意味で、本当の転換点といえます」。

イスラエル・ボイコットの支持者たちは、自分たちの運動は、アパルトヘイト時代の南アフリカに対する学術ボイコットと同様のものだと主張する。これに対して批判者たちは、人権に関して疑わしい記録を持つ国は他にもあるのに、イスラエルだけがボイコットの対象となり、それ以外の国の研究機関や会議がボイコットされないのは不当だと指摘する。イスラエルだけが対象にされているのは反ユダヤ主義のためだと非難する人々もいるが、Roseらはそれを強く否定する。

冒頭でも触れたように、2013年3月22日、英国の雇用裁判所は、2011年に提訴された訴訟につき、被告である高等教育機関の教師の労働組合(University and College Union;UCU)の主張を支持して、原告Ronnie Fraserの訴えを棄却した。UCUのメンバーである数学講師のFraserは、組合が年次総会でイスラエルの学術研究機関をボイコットするための票決を繰り返すなどの「組織的反ユダヤ主義活動」をしたとする申し立てを行っていた。実際、UCUは2007年に法律家の助言に基づいてボイコットは違法であると判断していたにもかかわらず、その後の会合の票決でもボイコット関連の動議を承認し、ボイコットを呼びかけるパレスチナからの要請について議論するなどしていた。

雇用裁判所はFraserの訴えを棄却し、「訴訟という手段を用いて政治的な目的を達成しようとする、容認できない企て」と断じた。一部の学者は、裁判所のこの判断がイスラエルに対する学術ボイコットを助長するのではないかと危惧している。ロンドン大学ゴールドスミス校(英国)で反ユダヤ主義の研究を行い、英国のイスラエルに対する学術ボイコットに反対するEngageという団体を率いる社会学者のDavid Hirshは、今回の判断は、イスラエルに対する学術ボイコットは反ユダヤ的な行為ではないとする主張に、裁判所がお墨付きを与えたものだと見なしている。「これはきわめて有害です」と彼は言う。

コロンビア大学(米国ニューヨーク州)の神経科学者Richard Axelは、6月にエルサレムで開催される会議に予定どおり出席するつもりだという。「私は、イスラエルがパレスチナの領土を占領していることを深く憂慮し、心を痛めています。けれども、イスラエルの大学に対する学術ボイコットが、こうした危機の解決につながるとは思えないのです」と言っている。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130818

原文

Hawking decision fuels Israel debate
  • Nature (2013-05-16) | DOI: 10.1038/497299a
  • Daniel Cressey