Editorial

プロ・テスト運動で発言力を確立した動物研究擁護派

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2006年1月に当時16歳だった英国の学生Laurie Pycroftが作ったプロ・テスト(Pro-Test)という名前の運動が、動物の権利を主張する過激派活動に対抗する科学者の結集点となりつつある。この言葉は、pro-test(動物実験への支持)とprotest(過激な運動への抗議)の両方の意を込めた表現だ。彼がこの名前を思いついたのは、英国オックスフォードで動物保護運動のデモに遭遇したときだった。活動家たちは、オックスフォード大学内に最新の動物実験施設を備えた生物医学研究棟を建設することに抗議していた。その暴力的な戦術には爆弾まで含まれ、一部の建設業者は撤退を余儀なくされていた。重要な研究が妨害されていると考えたPycroftは、素早く行動に移り、大学の学生と教官によるプロ・テスト委員会を設立、2月に予定されていた過激派活動家の次なるデモに合わせて、集会を組織した。

この集会はおそらく、動物研究擁護を主張する初の大衆運動となった。科学者と学生合わせて約1000人が参加し、約200人の動物権利活動家の影は薄くなった。これが転換点となった。英国の動物実験規制は世界で最も厳しいものだったが、国内の科学者は、攻撃的な反対論者に脅威を感じ、目立たないよう注意していた。しかし、プロ・テスト運動の旗印を得て、正々堂々と意見を述べることに恐怖を持たなくなった。特に、当時のトニー・ブレア首相を含む多くの政治家がプロ・テスト支持を表明し、大きな流れとなった。そして、オックスフォード大学の生物医学研究棟は建設されたのだった。

その6年後の2012年7月、動物権利活動家が、イタリアのブレシア近郊のビーグル犬繁殖施設「グリーンヒル」に押し入り、多くのビーグル犬が薬剤の法定毒性試験に使われ、残酷な扱いを受けていると主張した。警察は、活動家らがビーグル犬を持ち去ることを許し、後日、裁判所は、調査結果が明らかになるまでの間、活動家によるビーグル犬の保有を認めた。イタリアの司法制度は進行が遅いことで悪名高く、グリーンヒルはなお閉鎖されたままだ。2013年5月、大部分のスタッフが解雇された。

これに対してイタリアの科学者グループが立ち上がった。警察と裁判所は動物権利活動家の手法を容認しており、科学者に、自らの動物研究を説明できる安全な場がないからだ。そして2012年9月に、「プロ・テスト・イタリア」を創設した。残念なことに、それに呼応したように、同じ活動家グループが、2013年4月20日にミラノ大学の動物実験施設に押し入り、鎖で自らの首をドアにくくりつけ、実験動物(大部分がマウス)を連れていけなければ退出しないと言い張った。話し合いが行われ、12時間後、活動家は一部の実験動物を連れて施設から退去した。しかし、残りの動物を連れ戻しに再入構できるよう警察に保証させた。さらに、活動家は、退出する前に動物用ケージの表示ラベルと中身の動物をごちゃ混ぜにし、進行中の実験を妨害していった。

その翌日、多数の科学者と学生が、プロ・テスト・イタリアの旗印の下、街頭をデモ行進した。6月1日には、ミラノの中心街で動物研究擁護派の大規模なデモが計画されている。ミラノ大学は、動物権利活動家の再入構を拒否しており、刑事告訴の準備を進めている。また、同大学の学長を含む科学者や学生は、動物権利活動家の行動を糾弾し、動物を用いた医学研究の重要性を説明した公開書簡に署名した。

科学者が動物を用いた研究について率直に話せるように2010年に創設された“Basel Declaration Society”が、ミラノの科学者に対する国際的支援を鼓舞するための集会を開いた。連帯への呼びかけがインターネット上に掲載され、わずか1週間後の5月7日までに世界の4000人以上の研究者が署名した。この呼びかけでは、動物を用いた研究に関するマスコミ報道の公正化、そして、警察や政策立案者が動物権利保護の過激派の行動に対して断固とした措置をとるよう求めている。

動物実験を用いて医学の進歩を図ることはデリケートな問題だが、その論争に暴力が入り込む余地はない。科学者は、この問題を率直に議論する必要があり、科学者がその自信を持ったことは心強い。ちなみに、英国のプロ・テストは、所期の目的を果たして2011年に活動を終えている。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130831

原文

Voice of Pro-Test
  • Nature (2013-05-09) | DOI: 10.1038/497158a