日本の縄文土器は、調理に使われていた!
土器の発明は人類史上最大級の技術革新である。火を使えば軟らかい粘土から水の漏れない土器ができることを知ったことで、人類の考え方は、物質とのかかわり方に関して大きく変わったに違いない1。
最近まで、考古学者は、土器を農耕民に関係するものと考えるのが一般的だった。狩猟採集民による土器の使用は、どちらかといえば例外的なもので、直観に反するものと考えられてきた。約1万年前に始まった新石器時代は、地中海東部で農耕集落が出現するまで、その生活様式は移動型だった。そんな移動生活に割れやすい土器はそぐわないと考えられてきたのだ。
しかし今回、ヨーク大学(英国)の考古学者であるOliver E Craigらは、約1万5000~1万2000年前の更新世後期のものとされる縄文土器に脂質が付着していたことを明らかにし、この分析結果をNature 4月18日号に発表した2 。この発見は、狩猟採集民が土器を調理に使っていたことを示唆しており、同時に、歴史をひもとく上で科学がいかに重要であるかを物語っている。
研究チームは、古代の土器片の表面に張り付いた炭化沈着物(先史時代の食物の遺物)から、初めて脂質を回収し、それを分析した。その安定同位体分析から得られた結果は、現在の日本列島に住んでいた更新世後期の人々が、淡水魚と海水魚の別を問わず、魚を調理するのに土器を使っていたことを示していた。東アジアの土器はそれよりもさらに古く、おそらくは2万年前までさかのぼると言われており3、脂質などを厳密に科学的に分析することは、土器が初めて製作・使用された当時の文化的状況を解明する上で、きわめて大きな意味を持っている。
更新世後期の土器という例は全く新しいわけではないが、それが何に使われたのかはほとんどわかっていなかった。1960年代後半、長崎県佐世保市の福井洞窟で小さな黒曜石の刃(細石器)とともに発掘された薄い土器片は、約1万2000年前のものとされた4。しかし、更新世後期の土器の存在をめぐる議論に火がついたのは、もっと最近のことだ。それは、大平山元I遺跡(青森県外ヶ浜町)で出土した小さな無文土器の破片の表面に付着していた炭化物に対して、加速器質量分析法を用いた新しい放射性炭素年代測定法が応用されたときだった5。ちなみにこの方法は、トリノの聖骸布の年代の再評価に使われて有名になった分析法だ。
福井洞窟などの遺跡で、土器が古い時期から使用されていたことが公表されたとき、日本の考古学者の多くはそれを受け入れたがらなかった。当時、日本の先史時代の年代の特定は、土器の様式の違いを識別して決めることが多かった。このような枠組みは戦前にその起源があり、8世紀に編まれた『古事記』と『日本書紀』の内容と衝突しないように、明確な年代の特定を避けていたのである。1930~40年代の軍国体制の下、記紀に異議を唱えることは許されなかった。戦後になって放射性炭素に基づく年代測定法が一般化したが、しばらくの間、ヨーロッパと同様、日本の権威者たちも、旧来の方式による年代と新しい科学的年代をすり合わせることができなかった6,7。
さらに1990年代まで、現代日本人の多くは弥生時代(紀元前300~紀元300年頃)の稲作民族を祖先に持つ、と考えられてきた。水田による稲作の伝来が、それ以前に存在した縄文文化とその人々に大変革をもたらした、とされていたのだ。縄文の名前は縄目文様の土器(図1)にちなんで付けられた。縄文人は原始的な先住民であり、その後の日本文化の発展とは基本的に無関係とされてきたのだった8。
更新世後期のものとされる土器の壺は、東アジア各地の遺跡で発見されている。久保寺南遺跡(新潟県十日町市)で発掘されたこの縄文時代草創期の土器は、約1万5000年前のものとされている。Craigらが土器を調べた結果、脂質が沈着していることがわかり、土器が魚の調理に使われていたらしいことがわかった2。
Credit: TOKAMACHI CITY MUSEUM
しかし、戦後のさまざまな考古学的新発見が、縄文社会のイメージを大きく変えていった。1990年代前半には、大平山元からわずか数km離れた場所で、縄文時代最大級の集落跡である三内丸山遺跡が発見・発掘された。そこからは建物や墓の遺物も見つかり、集落の空間計画が行われていたことが裏付けられまた、大量の土器片が見つかるなど豊かな物質文化が花開いていた証拠も得られた。放射性炭素年代測定法により、この遺跡には、途中の盛衰はあっても2000年近くにわたって人々が定着していたことが明らかになった9。
この発見がなされたのは、戦後から続いてきた日本の経済成長路線がちょうど終わる頃であり、縄文文化は、日本列島における持続可能な地域生活の手本として、大衆の新たな想像力をかき立てたのだった。縄文時代は自然と調和して生きていた日本の原風景として受け入れられるようになった10。
しかしその直後、日本の考古学を危機が襲った。2000年、本州東部各地で「前期旧石器」遺跡の年代を次々にさかのぼらせた1980~90年代の発表が、すべてねつ造であることがわかったからだ11。不正が明るみに出たことで考古学者に対する社会の信頼は損なわれた12。日本の考古学は、戦前からの日本の古代史を書き直し、日本の新しい歴史の組み立てに取り組んできていたところだった12。
発掘物の脂肪酸分析技術の専門家もその不正に巻き込まれ、分析法自体の信頼性にも疑念が投げかけられるようになった。そのような不幸な状況から、日本の考古学者は、科学的な情報に対しても批判的に評価する能力が必要であること、また、それは国際的な目で精査されるべきことを認識した。
今回のCraigらの分析結果は、考古学における脂質分析法の信頼を回復させるものであり、さらに、人類史の解明において日本の考古学が重要な資産を持っていることを改めて示すことにもなった。
日本、極東ロシア、中国東北部など東アジア各地では、更新世後期の狩猟採集民が、ほぼ間違いなく土器を作って使用していた。ということは、旧世界の狩猟採集民による土器の使用は、もはや例外的なものではないということだ。実際、農耕の伝来とは無関係に、ヨーロッパに土器をもたらした経路を示す証拠もあるらしい13。
しかしなお、土器が、なぜどのように発明されたのかについて、多くの疑問が残されている。例えば、発見されている最古の土器は容器ではなく、ドルニー・ヴィエストニツェ遺跡(チェコ共和国)の2万9000年前のものに代表される小立像の断片である14。最古の容器はお そらく調理に使われたと思われるが、 この新技術の出発点に与えられるべき特別な意味は、決して見過ごしてはならない。
先史時代の狩猟採集民が食器洗いに厳密ではなかったという事実のおかげで、私たちは今、当時の食物の内容についてまで、ある程度分析することができた。これからは、なぜ土器が必要になったのかを解明するため、分析や評価を、当時の食物が持っていた文化的意味にまで広げていく必要がある15。
翻訳:小林盛方
Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 7
DOI: 10.1038/ndigest.2013.130730
原文
A potted history of Japan- Nature (2013-04-18) | DOI: 10.1038/nature12093
- Simon Kaner
- Simon Kanerは、セインズベリー日本藝術研究所考古学・文化遺産センターおよびイーストアングリア大学日本学研究センターに所属。
参考文献
- Kobayashi, T. Jōmon Reflections: Forager Life and Culture in the Prehistoric Japanese Archipelago (eds Kaner, S. & Nakamura, O.) (Oxbow, 2004).
- Craig, O. E. et al. Nature 496, 351–354 (2013).
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