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結晶化せずに分子構造を決定する「結晶スポンジ法」

科学の世界では、分子など目に見えないものの形や様子が普通に説明される。そうした分子の構造を実際に明らかにする方法はいくつかあるが、X線結晶構造解析法ほど優れたものはない1。ただ、この解析法は、サンプルがほんの少量しか得られない場合、サンプル調製も解析も難しくなる。しかし今回、猪熊泰英らは、こうした問題を克服する「結晶スポンジ法」という新しい手法を報告した2。この手法のおかげで、X線結晶構造解析の適用範囲は大幅に拡大するだろう。

図1:骨格が秩序を作る
a たいていの結晶は、このように分子がぎっしり詰まっている。
b しかし、結晶スポンジはこのような規則正しく穴のあいたネットワーク構造をとる。
c 猪熊ら2は、分子を結晶スポンジの穴の中に捕らえることによって、分子を格子状に並べた。これにより、ナノグラムオーダーの微量化合物のX線結晶構造解析が可能になった

Credit: THINKSTOCK

X線結晶構造解析は、抗生物質、工業用触媒、人工甘味料、脳内で信号として働く神経伝達物質など、多くの小分子の構造解明に不可欠である。X線結晶構造解析に関する論文が雑誌のインパクトファクターに大きな影響を及ぼすことからも、この解析法の重要性がわかる。例えば、小分子X線データの解析に最も広く用いられるプログラムに関する論文3が2008年に発表されると、発表年には2.05であったその雑誌のインパクトファクターは、2009年に49.93、2010年に54.33に急上昇した。その後、2011年には2.08まで落ち込んでいる。

これほど大きな注目を集めるX線結晶構造解析だが、意外にも大きな欠点がある。それはサンプルの結晶が必要だという点だ。結晶中では、分子が規則正しい繰り返し配列をとることによって、そこに照射されたX線が、その繰り返し単位に応じた回折を示す。そこで回折を受けたX線を回折点として測定し、その強度データをコンピューターで処理することにより、結晶中の分子の画像が生成される。ところが、結晶化していない分子の場合、分子構造を決定するための十分な回折点が得られず、この構造決定手法はほとんど役に立たなくなってしまうのだ。

もちろん、質量分析法や核磁気共鳴法など、別の手法を用いて分子構造を求めることもできる。だが、それらは、候補を除外する推論過程を経て分子構造を絞り込んでいく手法であり4,5、分子像が得られるX線結晶構造解析法とは根本的に異なる。しかし、質量分析法や核磁気共鳴法のメリットは、X線結晶構造解析法よりもはるかに少ないサンプルで測定できること、そして何より重要なのは、サンプルの結晶化が不要なことだ6

単結晶X線解析法は、シンクロトロンによる高強度X線ビーム、散乱されたビームを測定する効率のよい方法、分子像を作成するコンピューター処理に有効なアルゴリズムといった技術開発の恩恵を受けてきた。こうした進歩のおかげで、測定に必要な結晶サイズは小さくて済むようになった。しかし、結晶が不要かどうかまで検討した例はこれまでなかった。結晶の作製は、わずかな一般原則と膨大な試行錯誤に基づく作業であり、知的技能よりも職人的技能が求められる。サンプルは、少量しか得られないことがほとんどであるため、結晶化は困難を極める。通常、1mgに満たないサンプルを結晶化することは非常に難しい。

今回、猪熊らは、「結晶スポンジ法」という驚くほどシンプルな手法でサンプルの結晶化を回避した。まず、多孔性のホスト結晶を作製する。ホスト結晶は、内部で無数の穴が互いにつながった構造をとっており、サンプル溶液から小分子を吸い上げることができる。小分子がホスト結晶の穴に捕捉されるのにちょうどいいサイズと形状を持つ場合、ホスト結晶内部で小分子が規則正しく配列するため、X線結晶構造解析法でその分子構造を調べることが可能になる。

混雑する空港の出発ゲート前の様子を考えると事情がよくわかる。出発ロビーには、座席が二次元格子状に配置されている。搭乗客は、いろいろな入口から空港に入り、別の便の搭乗客と混ざり合いながら通路や施設を通って出発ゲート前ロビーに向かってくる。そして、出発の少し前の段階では、出発予定の便の乗客だけが席の大部分を占めるわけだ。このたとえでは、規則正しく配置された空の座席が、ホスト結晶中の穴に相当する。正しい搭乗券を持つ乗客、つまり適切な形状を持つ分子だけが、然るべき場所に落ち着くことができる。

猪熊らがホスト結晶として用いた材料は、金属有機構造体、多孔性材料など、いろいろな名前で呼ばれているものだが、今回の用途には結晶スポンジと呼ぶのが最も適当と思われる7。結晶スポンジの構造は、M. C. エッシャーのモザイク画のような、球体がぎゅうぎゅうに詰め込まれた構造の図(図1a)ではない。むしろ、建設中のビルの足場のようなもので、内部に空洞がある(図1b)。この図で、桁が交差する部分は金属原子に相当し、桁は長く剛直な直鎖状有機分子に相当する。内部の空洞の特性は、接続基の特性(長さなど)に依存する。

分子を選択的に吸収するよう結晶スポンジを設計できることは、すでに知られていた。今回、猪熊らは、適度の無選択性(特定のものだけを選択する性質の逆)を持つ結晶スポンジについて報告している。こうした結晶スポンジは、さまざまな形状の分子を収容する無選択性と、一方向を向いた状態で分子を保持する選択性を併せ持つ。また、分子は、可逆的な結合が可能な程度に緩く閉じ込められる。このため、分子はいろいろな結合方向を試した後、エネルギーが最低になる結合方向へと落ち着く。つまり、結晶スポンジは、ゲスト分子の大部分を溶液から引っ張り出して、規則正しい配列で保持することができる。だから、X線結晶構造解析法で明確な分子構造が得られるのだ(図1c)。

猪熊らは、結晶スポンジ法を用いて、さまざまな分子の構造を見事に解明した。他の方法では、完全な解析が不可能だった天然物ミヤコシンAの構造も、解明できた。また、研究者の1人が被験者となったブラインド試験では、6種類の分子構造を正しく決定できた。さらに驚異的なのは、解析に必要なサンプル量を、従来のX線結晶構造解析法に必要な量の約1000分の1まで減らせることである。

ただし、何%の分子に結晶スポンジ法を適用できるのかは、今のところ不明である。また、分子はスポンジの穴にぴったり収まる必要があるが、ミヤコシンAは今回の結晶スポンジを利用できる上限のサイズに近いようである。今後、結晶スポンジ法が広く採用されるためには、猪熊らが開発した結晶スポンジを、例えば供給業者から、容易に入手できるようにする必要がある。ただ、今回の初期成果が一般に適用可能になれば、新しい分子構造の報告が増え、新しい結晶スポンジがどんどん合成されるようになるだろう。そんな時代が目に浮かぶ。近い将来、研究者たちは、分子を結晶化するなんて面倒なことはしなくて済むようになる。結晶スポンジセットを使って分子を吸収すればいいからだ。どのスポンジを使えば最も明瞭な分子像が得られるか、X線解析でどんどん試していけばいい。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2013.130624

原文

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  • Nature (2013-03-28) | DOI: 10.1038/495456a
  • Pierre Stallforth & Jon Clardy
  • Pierre StallforthとJon Clardyは、ハーバード大学医学系大学院生化学・分子薬理学科(米国)に所属。

参考文献

  1. Blow, D. Outline of Crystallography for Biologists (Oxford Univ. Press, 2002).
  2. Inokuma, Y. et al. Nature 495, 461–466 (2013).
  3. Sheldrick, G. M. Acta Crystallogr. A 64, 112–122 (2008).
  4. Nuzillard, J.-M. & Massiot, G. Tetrahedron 47, 3655–3664 (1991).
  5. Lederberg, J. et al. J. Am. Chem. Soc. 91, 2973–2976 (1969).
  6. Molinski, T. F. Nat. Prod. Rep. 27, 321–329 (2010).
  7. Kitagawa, S., Kitaura, R. & Noro, S.-I. Angew. Chem. Int. Edn 43, 2334–2375 (2004).